ボランタリー画廊   副題「げってん」・「ギャラリーNON] 

「げってん」はある画廊オーナとその画廊を往来した作家達のノンフィクション。「ギャラリーNON]は絵画を通して想いを発信。

ボランタリー画廊(88ー追録)若松軍艦防波堤

2020年02月03日 | 絵画

若松軍艦防波堤については、次の出版物があるので参照されたい。「若松軍艦防波堤」のHPあり。
「若松軍艦防波堤物語」、作・松尾敏史、第一刷・2013年8月1日、発行所・(公益社団法人)福岡県人権研究所

ギャラリーNON (88)若松軍艦防波堤

2020年01月31日 | 絵画

若松軍艦防波堤については、ギャラリーNON(43)と同(44)2010年5月掲載 で触れた。あれから10年経った今、ここ軍艦防波堤に佇んでみると、軍艦は腐食が進んで痩せ細って見えた。急に描いて置きたい衝動に駆られた。
画題;「時雨」、サイズ;M50、画材;水彩・アルシュ、制作;2019年4月


  

ギャラリーNON(87) 橙

2017年11月29日 | 随筆

 ときどき通っている教会は、クリスマスの唄が聞こえ始めるこの頃になると、毎年「もなかバザー」を行う。バザーという単語はummage sale(米国)、jumble bazaar(英国)と言って、(家の不要物の)かき回しセールや、寄せ集め市場のイメージであるが、この「もなかバザー」は教会員らが実際に材料を仕入れて餡(あん)を作り、皮づめまでの手間をかけて売り、資金集めの一助にするという結構大変な苦労である。この教会は創立127年の小さな教会だが、「もなかバザー」は50年前から続けているとのこと。私は、この「もなか」を我が家で採れる橙(だいだい)と合わせて、年末の元気便り・プレゼントにしている。

 2017.11.27撮影 「橙」
 今年はしっかり実を付けてくれて、この籠に二杯採れた。酢醤油には適しており、酸っぱさはもちろんだが少しの苦味が良い味を造ってくれる。横に写っている倒れた黄色の葉は「ギボウシ」だ。多年草で夏の花、それに日陰を好むので、ずぼらな私向きの手のかからない花である。近寄って見下ろすと、ちょっとした抽象画だ。
 
 2017.11.27撮影 「ギボウシ」
 
 面白くなって、手入れをしない我が家の庭を歩いてみると、次々と目に留まるものがある。

 2017.11.27撮影 「ミツバ」
 まだ小さな葉(3~4cm)をしているが、見事に群生している。お吸い物に浮かせたり、サラダに混ぜたり。


 2017.11.27撮影 「ツワブキ」
 半分は花の見ごろを過ぎていたが、まだまだ艶のある葉をしていて、花びらの黄色が映える。


 2017.11.27撮影 「ツタ」
 詳細な名前は分からないが、緑と赤紫の補色が綺麗だ。ベースの石の色もいい。


 2017.11.27撮影 「ジネンジョ」
 自然薯のことは、子供の頃、山を持った農家に居候していたのでよく知っている。自然薯の根は栄養豊富で美味しい。細長くハート型をした葉は秋の終わりには黄色になって枯れ落ち、冬には蔓も朽ち果てる。土中の根は、新たな芽を出すためにエネルギーを消耗してしぼんで痩せるが、夏には新たな栄養接種が勝って肥大する。それを繰り返して5年も経つと1mくらいになり、旬の食料になる。ムガゴは実、鼻にくっつけて遊ぶ三つの陵は種子を内包している。この5年も待つところがポイントで、素人は蔓があると根を掘り出してしまい、山を荒らす奴だとさげすまされる。
 あるがままの我が家の植物たちは、こうして季節に従った暮らしをしている。

ギャラリーNON(86) ワクワク感

2017年11月02日 | 随筆

  秋も深まってきた。私が中学生のころ松茸を採る義兄について行って、どうにか見つけた松茸は、うっかり踏んづけることでしか見付からなかった.たった一個の傘の壊れた松茸を,七輪で焼いて醤油をかけて食べた味が忘れられない。その後今日まであんな美味しい松茸に出会っていない。つい一昨日、TVのドキュメンタリー番組で、松茸だけで生計を立てることに成功した農家の執念の人を取り上げていた。松茸はその松林の間伐と周りの落ち葉のかきとりなどをしておくとよく採れるという。これを糸口に、松茸の生育について深く掘り下げた人の25年間の苦労話だった。この人は思考錯誤を繰り返しながら、家族の心配をよそに毎日ワクワクしながら過ごしたことだろう。今では、松茸の栽培技術は、農林水産業の本格的な研究テーマの一つとして定着しており、間もなく私たちの口にもおいしい松茸が届くに違いない。
  私たち絵を描くことを趣味にする者にはどんなワクワク感があるのだろうと振り返ると、うまく描けたなと思えた時だろう。もっと正確には、完成間近になって「これでいいのができるぞ」と思えた時かもしれない。それにしても、最近そのワクワク感が弱まっている。前の「ギャラリーNON85 形が消えた」では、初めての作品を目指した取組みとあって、描き始めから描き終わるまでワクワク感が絶えなかった。そして、その後も数点の作品に取り組んだがまだまだ緊張感は続いており、わくわく感も消え去らない。これをしばらく続けてみようと思う。


「儚」、M20号、2017.10作

ギャラリーNON(85) 形が消えた

2017年09月22日 | 随筆

  小倉織研究の工房を訪問して、400年前に生まれた小倉織・綿織物を復元・展開する研究の一端に触れる機会を得た。丁度、藍染めの時季で、きれいなグラデーションで藍が染められた糸を見るだけでも、その風合いや色調の美しさに心惹かれた。絵を描く私は、いつのまにか画用紙の上で広がる染料を想像して、実際にそんなことをしてみたい衝動に駆られた。
  画用紙も綿でできているではないか、だったら染まるのでは?、その前に染まるって何?、化学反応なんだ、だったら何と何が反応するの?。 思いはどんどん奥へ進んで行って、とにかく、画用紙を“すくも藍”にディップしてみて染まるかどうかやってみよう。その結果は、染まることは染まるのだが、画用紙のエッジだけにしか染まらなかった。これは何かが染色剤と触れることを邪魔しているぞ!ドーサーか?それとも綿を紙にするときの糊かな、紙の製造工程を理解しておかないと前に進めないな。エッジだけが染まるという事は、ドーサーだな!ドーサーを用いていない水彩画用紙ってあるのだろうか。分からないことだらけで、ひとまず、画用紙を染めることは棚上げにしておこう。
  その気で用意した水張りの20号画用紙が遊んでいるので、工房からいただいた“藍すくも”を画用紙の上に垂らしてみた。広がっていく“藍すくも”の色のきれいなこと。その色はVandyke Brown。一日2点、三日で6点の画面ができた。それぞれバラエティーに富んだ“ウォッシュ”の画面となった。丁度、岡垣アート・フェスティバルの会期が近づいていたので、思い切ってこれを作品として出品することにした。


「滲」M20号、2017.9作

  描いているときは、ごく自然に脳裏からすべての具象が消え去っており、水に運ばれる絵の具の拡散や、津波のように絵の具が移動する様ばかりを感じていた。筆を用いないことを掟として、絵の具を垂らし、被せ、傾けて、滲みわたる美しい色面づくりを意識した。形が消えた。初めての抽象作品となった。果たして抽象画といえるのかどうか心配しながら、ギャラリー・トークに臨んだ。予想以上に先生方から「変わったね」と感想が寄せられ、制作方法について質問も集まった。今後このテーマが私の作品として展開するのが楽しみだとまで言って下さったのは、そんなに時間が残っていない私にとっては、慌てなくてはいけないが、大いなる励みである。