ボランタリー画廊   副題「げってん」・「ギャラリーNON] 

「げってん」はある画廊オーナとその画廊を往来した作家達のノンフィクション。「ギャラリーNON]は絵画を通して想いを発信。

ギャラリーNON(82) 2016小品展・珈琲館ドン

2017年01月18日 | 随筆
 12月に入るとクリスマスソングが聞こえ始める。そうなると有難いことに、「今年も小品展するのでしょう」と声をかけられる。
 2013年11月から3年間、個展ができていない。2014年は病気治療のため作品ができなかったが、2015年からは描けたはずなのに果たせなかった。個展は私の最優先の課題の筈であるから、僅か10点の小品展で時が過ぎ去っていることは大いに反省すべきである。どうも絵を描くのに身構えてしまっているのが根っこの原因のようだ。放浪の旅に出て、無心になってみたいところである。


「スヅツキイズコ」M20 2016.11作

この絵は北九州市若松区の若松港の出入り口にある軍艦防波堤の名残を描いたものだ。2010年に駆逐艦涼月元乗組員の話を直に聞いたことが、この絵を描く強い動機になっている。2011年の私の個展にも登場したモチーフだが、構図を変えてもう一度描いてみた。
 画題の「スヅツキイズコ」はほとんどの方に通じなかった。この画題は、戦艦大和への特攻出撃に編成された9隻の駆逐艦中の「凉月」と「冬月」との交信電文からとったものだ。全く成功の見込みのない戦艦大和の特攻は、日本側の犠牲者3700人となったことは戦史上知られているが、大和は沈み、「凉月」は満身創痍、奇跡的に軽傷だった「冬月」が、「凉月」を救おうと「スズツキイズコ、ワレフユツキ」と打電した実話からとった画題だった。詳しくは松尾敏史著「若松軍艦防波堤物語」福岡県人権研究所発行を参照願いたい。Wikipedia「若松軍艦防波堤」でも掲載されている。
 今回の小品展をお世話下さった珈琲館ドンで、いつもおいしいコーヒーを淹れてくれる店員さんには、この話が通じた。聞けば海上自衛隊上がりのひとだった。


「博多献上」M20 2016.9作
 この絵の敷物は、絵画クラブのメンバーの方から頂いた帯だ。帯に何かを載せて絵にしようと思っていた時に、何を置いても帯の存在感に負けそうなのでしばらく放置していた。数日後、その帯を主役にすれば悩むことはないではないかと閃いた。そこでできたのがこの構図だ。透明なガラス容器もキラッと光って帯に負けない存在感を醸してはいるが、画面上の占有面積が小さい分、脇役でいてくれそうに思った。
 博多織を調べると、「博多献上」と名づける歴史があり、文様は仏法事に用いる仏具由来であることも知った。この帯を下さった方はクラブの最古参メンバーの一人だったが、私より10歳年上で、つい先日退会を申し出て来られた。その理由は、一年前から始められた裁縫教室の人数が増えて多忙になったからとのこと。いつの時も高齢で退会される時は寂しく悲しいものだが、この人には拍手とエールを贈った。