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ボランタリー画廊   副題「げってん」・「ギャラリーNON] 

「げってん」はある画廊オーナとその画廊を往来した作家達のノンフィクション。「ギャラリーNON]は絵画を通して想いを発信。

げってん(50) 桑野郁司さんの水彩画

2012年02月12日 | 随筆
 桑野郁司さんは家族と離れて一人暮らしをしていた。90歳ともなれば、元気にしていても家族は心配する。きっと娘さんの勧めだろうと思うが、桑野さんは冬になると神奈川に住む娘さんのところに身を寄せる生活となった。昨秋、体調を崩し、娘さん達に看取られて94歳の人生を終えた。娘さんは父の遺品の整理をしていて、父がマルミツ画廊で2度個展をしていることを知った。しかし、作品は遺されてなく、どんな絵をかいていたのか知りたくなった。“マルミツ画廊”の検索で辿りついたのが筆者のブログ。早速、「父の作品が見たいが何か手がかりはないか」との問合せがあった。筆者は桑野さんの作品の行方を知らないので、ここに個展の記録を紹介することで、どなたか桑野さんの作品について情報をお持ちの方がおられたら、ご一報いただける(コメントに書き込み)ことに期待する次第。

 1995年7月1日~9日 桑野郁司水彩画展 於 マルミツ画廊
 画廊主、光安鐵男の案内文は
 「パラグライダーで大空を遊泳、次はスカイダイビングだと張り切る桑野さんは喜寿を超えています。求道心は水彩画でも佳境に迫ります。」
 とある。
 西日本新聞では
 「紫川や鱒淵ダムなど小倉南区の自然を中心に四季を描いている桑野郁司さん(78)の個展がマルミツ画廊で開かれている。作品は32点。桑野さんは10年前に退職後、絵画教室に通い水彩画を学び始めた。小倉南区の紫川沿いに住み始めた4年前に、身近にテーマを見つけたという。・・・後略」

 案内状に掲載された作品は、近くを流れている紫川であろうか。

 2度目の個展は84歳になっていた。
 2001年9月11日~20日 於 マルミツ画廊
 西日本新聞では、
 「桑野さんは四季折々の風景を好んで描いてきた。自宅から気軽に出かけられる紫川上流、鱒淵ダム周辺、合馬の竹林。そして、静物に自画像も。会場には明るい色調、おおらかなタッチの1号から15号までの近作35点を並べている。・・・中略・・・
 桑野さんは小さい頃から絵を描くのが好きだった。かつて広告社を経営し、本格的に水彩画をはじめたのは今から10年前の74歳の時。別府市在住の姫野陸郎さん(故人)が若松で開講した水彩画教室に入門したのがきっかけだった。
 いい絵を描くためにも健康づくりは欠かせない。好天の日は、自宅から若松区の会場まで往復20数キロを自転車で通う。小倉南区志徳公民館では毎週2回、絵画教室を開き、卓球も楽しむ。卓球は最低でも5時間は汗を流す。
 独り暮らしだが、家庭菜園で野菜も自給し、料理も得意だという。“まだまだ若い人には負けませんよ”と桑野さんは今も青春を謳歌する。」とある。

 筆者は姫野教室で桑野さんとご一緒の期間があり、面識がある。私は特訓教室に移ったのでご一緒の時間は短かったが、記憶からすると桑野さんが74歳で絵を始めたのは間違いでもっと早かったと思う。とにかく集中力があり、画面に食らいついて描くという表現が合っている姿勢だった。後年、私の個展には必ず顔を出して下さり、私の絵を描くところ見たいので教室に入れてくれなどとおっしゃったり、私の絵を模写するのだといって数点購入して下さったりしたことがあった。
 私の記憶に間違いが無ければ、若い頃、アドバルーンによる広告法を考案して特許を取得し会社をつくったと聞いたことがる。老いてなおパラグライダーやスカイダイビングを趣味にするなど、ニ周り年上の小柄でも大きな先輩であった。

 小倉南区の志徳公民館で桑野さんに教わった方がこのブログを読まれることがありましたら、桑野さんの娘さんの希望に副える情報をご一報頂きたい。