クラブN水彩画展は13回目となった。初回は2005年4月で、会員数は今と変わらない40名だった。
案内はがきの文面には、「拙作を省みない私たちの勇気だけは買っていただいて、ぜひご来廊の上・・・」とある。会場はマルミツ画廊。小さな画廊だったが、それでも手に余る空間だった。
あれから13年経って、このクラブはまだ続いているし、作品の内容もレベルアップした。
展覧会が終わって、リバーウォーク近くのリーセントホテルで懇親会を持ち、その場でスピーチの時間を頂いた。
「水彩画の手ほどき・余滴」の末文に記載した次のような文章を読み上げてスピーチにした。
「絵が生業の画家たちは、もの心ついてからずっと苦悩しながら、生涯を賭して描き続ける。私たち趣味の画家連は、長い時間絵から離れた生活をしてきたのだから同じようにはいかない。同じようになろうとすれば絵を描くことが辛い作業になる。そんな事より、日常やたまに出かける旅の中で、美を見つける目を働かして過ごせば、生きてる時間が数倍楽しく充実すると私は信じている。その思いを携えて、これからもクラブの皆さんと向き合っていきたい。2014年6月25日」この思いは今も全く変わらない。
「連綿」M20 2017年3月作
この作品は、豊前小倉織研究会の方とお知り合いになれて、工房を取材(スケッチ)させて頂く機会を得た。この作品はそれらのスケッチからの第1号作品です。
織物を作る工程は、綿を育てルことに始まり、収穫した綿を紡ぐことのできるようにするまでに、綿繰り、綿打ち、綿筒づくりという工程があり、紡いだ糸は染めるという大仕事に回される。ようやく織る工程に入るが、染めた縦糸の並べ方をどうするかは創作の鍵を握る。そして通常30センチ幅の帯を織るのに1000本を超える糸を縦糸として並べなければならない。こんな世界を絵にすることができるかどうかは未知数だが、挑戦してみようと思っている。
案内はがきの文面には、「拙作を省みない私たちの勇気だけは買っていただいて、ぜひご来廊の上・・・」とある。会場はマルミツ画廊。小さな画廊だったが、それでも手に余る空間だった。
あれから13年経って、このクラブはまだ続いているし、作品の内容もレベルアップした。
展覧会が終わって、リバーウォーク近くのリーセントホテルで懇親会を持ち、その場でスピーチの時間を頂いた。
「水彩画の手ほどき・余滴」の末文に記載した次のような文章を読み上げてスピーチにした。
「絵が生業の画家たちは、もの心ついてからずっと苦悩しながら、生涯を賭して描き続ける。私たち趣味の画家連は、長い時間絵から離れた生活をしてきたのだから同じようにはいかない。同じようになろうとすれば絵を描くことが辛い作業になる。そんな事より、日常やたまに出かける旅の中で、美を見つける目を働かして過ごせば、生きてる時間が数倍楽しく充実すると私は信じている。その思いを携えて、これからもクラブの皆さんと向き合っていきたい。2014年6月25日」この思いは今も全く変わらない。
「連綿」M20 2017年3月作
この作品は、豊前小倉織研究会の方とお知り合いになれて、工房を取材(スケッチ)させて頂く機会を得た。この作品はそれらのスケッチからの第1号作品です。
織物を作る工程は、綿を育てルことに始まり、収穫した綿を紡ぐことのできるようにするまでに、綿繰り、綿打ち、綿筒づくりという工程があり、紡いだ糸は染めるという大仕事に回される。ようやく織る工程に入るが、染めた縦糸の並べ方をどうするかは創作の鍵を握る。そして通常30センチ幅の帯を織るのに1000本を超える糸を縦糸として並べなければならない。こんな世界を絵にすることができるかどうかは未知数だが、挑戦してみようと思っている。