ボランタリー画廊   副題「げってん」・「ギャラリーNON] 

「げってん」はある画廊オーナとその画廊を往来した作家達のノンフィクション。「ギャラリーNON]は絵画を通して想いを発信。

ギャラリーNON(84)13th クラブN水彩画展

2017年04月14日 | 随筆
 クラブN水彩画展は13回目となった。初回は2005年4月で、会員数は今と変わらない40名だった。
案内はがきの文面には、「拙作を省みない私たちの勇気だけは買っていただいて、ぜひご来廊の上・・・」とある。会場はマルミツ画廊。小さな画廊だったが、それでも手に余る空間だった。
 あれから13年経って、このクラブはまだ続いているし、作品の内容もレベルアップした。
 展覧会が終わって、リバーウォーク近くのリーセントホテルで懇親会を持ち、その場でスピーチの時間を頂いた。
「水彩画の手ほどき・余滴」の末文に記載した次のような文章を読み上げてスピーチにした。

 「絵が生業の画家たちは、もの心ついてからずっと苦悩しながら、生涯を賭して描き続ける。私たち趣味の画家連は、長い時間絵から離れた生活をしてきたのだから同じようにはいかない。同じようになろうとすれば絵を描くことが辛い作業になる。そんな事より、日常やたまに出かける旅の中で、美を見つける目を働かして過ごせば、生きてる時間が数倍楽しく充実すると私は信じている。その思いを携えて、これからもクラブの皆さんと向き合っていきたい。2014年6月25日」この思いは今も全く変わらない。

「連綿」M20 2017年3月作
 この作品は、豊前小倉織研究会の方とお知り合いになれて、工房を取材(スケッチ)させて頂く機会を得た。この作品はそれらのスケッチからの第1号作品です。
 織物を作る工程は、綿を育てルことに始まり、収穫した綿を紡ぐことのできるようにするまでに、綿繰り、綿打ち、綿筒づくりという工程があり、紡いだ糸は染めるという大仕事に回される。ようやく織る工程に入るが、染めた縦糸の並べ方をどうするかは創作の鍵を握る。そして通常30センチ幅の帯を織るのに1000本を超える糸を縦糸として並べなければならない。こんな世界を絵にすることができるかどうかは未知数だが、挑戦してみようと思っている。

ギャラリーNON (83)11・3・11・6

2017年03月11日 | 随筆
 2011年3月11日から6年経った。今回は少し絵から離れて震災に思うことを綴っておきたい。

 報道関係のメディアでは、6年前の巨大な津波にすべてをさらわれた町々の様子と今の様子とを比較して、復興の達成度を俯瞰している。その中から問題を見出して、今後のあるべき方向に思いを馳せることを中心に映像を流している。どうやら見えてきた大きな問題は人口減少のようである。その原因は、津波の高さに抗した高い防潮堤作りや、高台移転や地面の嵩上げに時間を費やしているため、人々の生活を復旧させる時間軸のイメージが描きづらく、戻ってこれなくなったことが人口減少の原因ではないかと解説している。
 
 震災後の6年という時間は、中学一年生なら大学生となって将来の方向をほぼ定めて行く時間。25歳の若者なら自分の生業を見つけて31歳になっている時間。家族の柱になっている人なら、毎日が大切で6年も彷徨っては家族を守れない。75歳の後記高齢者ならひとに迷惑をかけずに生きながらどうにか81歳を迎える時間。ノホホンとして暮らしている私のような人間の時間より、被災地の人々にとっては何倍も貴重な時間に違いない。これからも故郷に回帰する人が少ない分、これから多大なエネルギーを復興に注がなくてはならないのだろう。 
 
 私は「ギャラリーNON(77)再会」で、津波にかき乱された浜辺に、ハマボウフウが浜辺を復興させようと、けなげに花を咲かせ、根を張ろうとしている写真に感動し、と同時に、すぐその横で、巨大な防潮堤がハマボウフウを見下ろしている様を想像して、何か大きな不自然さを感じたことを書いた。「きれいな海の見える町が防波堤の見える町になった」と悲しそうな表情が今日の映像に映しだされていた。万全な避難手段の確保で、生活の復興を優先すれば、人々はこれほど故郷を離れることはなかったのではなかろうかと思う。無責任な年寄りのつぶやきだったろうか。今後、新たにつくった防潮堤と嵩上げの高さでは敵わない想定外の災害や事件が起きたらどうするのだろう。
 
 それから原発の問題。6年たっても何も問題処理ができていないという事は、原発は収拾がつかない物騒なものという事だろう。再稼働や廃炉以前に、寿命や事故によって原発設備を始末しなければならない時に、そのための技術は無いのだ。そんな無茶な配備をしてしまったことの反省の弁が6年経ってもないというのはどういう事であろう。ちゃんと謝ってのち、ちゃんと原発廃炉技術の構築とそれに代わる新エネルギー技術をも構築する国家プロジェクトを編成して世界に冠たる日本になってほしいものだ。そのような理念の渦巻く東日本であれば、人は集まってくるに違いない。臨終の耳元でそんないい話を聞きたいものだ。震災の直後、もっと言えば原発災の直後、大げさでなくこれで日本は変わるなと直感して心が昂ったのを覚えている。がしかし、国策は、東日本海岸改造論的で、生活する人々が集まる策になっていなかったということだろう。
 
 次の大地震のエネルギーが溜まってきているという。私も避難の準備をするようになったのは地震列島を認識したからである。2011・3・11・6 の日に思い巡らしたことを綴った。


ギャラリーNON(82) 2016小品展・珈琲館ドン

2017年01月18日 | 随筆
 12月に入るとクリスマスソングが聞こえ始める。そうなると有難いことに、「今年も小品展するのでしょう」と声をかけられる。
 2013年11月から3年間、個展ができていない。2014年は病気治療のため作品ができなかったが、2015年からは描けたはずなのに果たせなかった。個展は私の最優先の課題の筈であるから、僅か10点の小品展で時が過ぎ去っていることは大いに反省すべきである。どうも絵を描くのに身構えてしまっているのが根っこの原因のようだ。放浪の旅に出て、無心になってみたいところである。


「スヅツキイズコ」M20 2016.11作

この絵は北九州市若松区の若松港の出入り口にある軍艦防波堤の名残を描いたものだ。2010年に駆逐艦涼月元乗組員の話を直に聞いたことが、この絵を描く強い動機になっている。2011年の私の個展にも登場したモチーフだが、構図を変えてもう一度描いてみた。
 画題の「スヅツキイズコ」はほとんどの方に通じなかった。この画題は、戦艦大和への特攻出撃に編成された9隻の駆逐艦中の「凉月」と「冬月」との交信電文からとったものだ。全く成功の見込みのない戦艦大和の特攻は、日本側の犠牲者3700人となったことは戦史上知られているが、大和は沈み、「凉月」は満身創痍、奇跡的に軽傷だった「冬月」が、「凉月」を救おうと「スズツキイズコ、ワレフユツキ」と打電した実話からとった画題だった。詳しくは松尾敏史著「若松軍艦防波堤物語」福岡県人権研究所発行を参照願いたい。Wikipedia「若松軍艦防波堤」でも掲載されている。
 今回の小品展をお世話下さった珈琲館ドンで、いつもおいしいコーヒーを淹れてくれる店員さんには、この話が通じた。聞けば海上自衛隊上がりのひとだった。


「博多献上」M20 2016.9作
 この絵の敷物は、絵画クラブのメンバーの方から頂いた帯だ。帯に何かを載せて絵にしようと思っていた時に、何を置いても帯の存在感に負けそうなのでしばらく放置していた。数日後、その帯を主役にすれば悩むことはないではないかと閃いた。そこでできたのがこの構図だ。透明なガラス容器もキラッと光って帯に負けない存在感を醸してはいるが、画面上の占有面積が小さい分、脇役でいてくれそうに思った。
 博多織を調べると、「博多献上」と名づける歴史があり、文様は仏法事に用いる仏具由来であることも知った。この帯を下さった方はクラブの最古参メンバーの一人だったが、私より10歳年上で、つい先日退会を申し出て来られた。その理由は、一年前から始められた裁縫教室の人数が増えて多忙になったからとのこと。いつの時も高齢で退会される時は寂しく悲しいものだが、この人には拍手とエールを贈った。

ギャラリーNON(81) 12th クラブN水彩画展

2016年04月26日 | 随筆
 12回目のクラブN水彩画展が終わった。最終日には1時間半をかけて全作品を寸評する時間を持った。作品のレベルはどうあれ、どれをとっても熱心に描いているのが分かるので、楽しみの絵が苦しみの絵になるようなことは言えない。技術的に未熟な点と表現の未熟な点とを分けて、技術的な点については的確に言い、表現については正解・不正解などない領域なので、何を描きたかったのかを聞いた上で、「それなら別の方法、あるいは今の方法をもっと」などと刺激するにとどめる。
 まあ、こんなことを繰り返してはきたが、どれだけの効果があるか分かりにくいことだ。ただ、みなさんの目は肥えてきて、他人の作品に対しては良さとまずさが分かるようになってきている。自分のまずいところは皆同じで、分からないし、分かりたくないこともある。
 
 
「山の音」M50、2016.4
 これは同展に出品した私の作品である。
 山の音を感じるような景色はないか探していたら、まあこれなら妥協できる景色を見つけて描き上げた。小倉南区辻三という所。丁度、腰かけてスケッチをするところがあって、好天にも恵まれて二日間スケッチに通った。

 展覧会最終日の夜、打上げ(懇親会)を催した。会の途中でスピーチの時間が与えられ、「絵画の基本中の基本」について考えてみたことを話してみた。
 
 60歳の定年が近づいてきたころ、私は市民センターの絵画クラブで、絵の助言や指導を乞われてするようになっていた。形を描く、色を作る、陰影を表す、にじみやぼかし、タッチやトーンのいろいろ等、絵画の基本については何とか分かっているが、何か絵の軸になる理念が欲しかった。たかが生涯学習のお遊びと茶化されても、教えることをいい加減に行いたくなかった。そんな時、ゴルフのインストラクターとの会話の中から大きなヒントをもらった。
 
 ゴルフは方向性の競技。100人100様のスウイングをしていても、まっすぐ飛ばすにはまっすぐ振るしかないのだ。これが基本中の基本。人間の体はハンマー投げのように体を独楽(こま)の芯棒のようにしてクラブを振り回すことはできるが、その振り方はゴルフには使えない。そこで肩の線を目標方向に合わせて弓道のような立ち方をする。それでもって地面にあるボールを長いクラブの先についているヘッドで打って目標方向に飛ばす方法をとる。この動作は人間の自然な動きからそれている。傾斜したクラブヘッドの円弧の軌道でまっすぐの瞬間などないに等しい。だけれども、まっすぐ振らなきゃならんので、それを基本中の基本として教えているという訳である。だから、100人100様であっても教えることはそのこと一つなのだと。
  
 絵を描くことの基本中の基本は何だろう。なかなか答えが見つからなかったが、最近、答えに近いところに辿りついた。それは、漢字一字でいうなら「惹」(読み:ジャク、意味:ひかれること)で、“惹かれる対象を見つけること”だ。 絵は表現の世界にあり、ゴルフのように技術的な要諦はなく、むしろ抽象的な要諦がある。私はそれを「惹」とした。

 よくあるパターンで、きれいな写真を見つけてこれを描きたいと言ってこられる。なるほどきれいな写真で、誰もがこの写真には惹かれる。しかし、それは写真家のオリジナル作品(最初の独創的作品)に惹かれているのであって、それを自分の演習に使わせてもらっても作品にすることはできない。たまたまジャンルが写真だったが、ある人の描いた絵に惹かれてそれを真似て描くことと違いはない。どんな物事にも惹かれることは大いに結構だが、惹かれれば何でも作品にして良い訳ではないのだから、やがて自分が独り立ちして見つけていかなければならない。

 人間の営みの中の惹かれるものを自分で見つけていくのが絵画の要諦であろう。そう思って毎日を迎えると、いつの間にか、向こうから魅力をアピールしてくる。難儀なことの多い毎日だが、難儀や、悲しみ、辛さも惹かれる対象になる。老人の来し方の難儀を刻んだ皺もまた惹かれるモチーフになる。言い換えると、絵描きは惹かれるものをしっかり見つめてお得な人生を過ごしているのだ。一途に、惹かれるものを描き切るために孤高の絵描き人生を送る人だっている。惹かれることは絵画制作エンジンのスイッチで、「掴む」、「握りしめる」、「放つ」の制作工程を最後まで走り切る燃料の働きもする。だったらこれは、絵画の基本中の基本と言えないか。

ギャラリーNON(80) 小品展2015・珈琲館ドン

2016年02月02日 | 随筆
 年の瀬が迫ってくると、今年の小品展はいつからですかと尋ずねられるようになった。年内にやっておこうと思ったことが溜りに溜まって落ち着かないが、結局やれることから一つ一つこなすしかない。小品展も年内にやらなければならないことの一つだ。こつこつ描きためるか、一気呵成に描くかは選択肢ではなく、やはり何を描くかだ。“私は最近こんなことを考えています”と発表するようなものであろう。
「香り・2015」
 実は、この作品は、高橋永順著「永順花日記・1991」の中の一枚の写真をモチーフに2001年に描いたことがあり、それを14年振りに再び描いたものだ。自分で比べてみたかった。違いはタッチだけだった。2015には筆が彷徨った形跡はなく、何をどう表現するか意志が決まって描けたようだ。14年間で変わったのは、少し場馴れして大胆になったという事か。筆数少なくすっきりと思いを伝えられる筆さばきの人になりたいのだが。
 花は「デモルホセカ」という名で、熊本県三角町戸馳(トバセ)という島を訪れたときの日記に記してある。
「切り花」
 花は「デルフィニューム」。茎の先端まで咲き揃ってきれいな青色を発色する。花のところを切って無造作に投げ入れたところ。測ったわけではないが一時間でほぼ描けたような気がする。
「天恵・エスキース」
  50号で「天恵」を描こうとしたときのエスキースだ。絵を始めたばかりの生徒さんが、自分で掴んだモチーフがこの梅の木を下から見上げた時の魅力だった。我が家にも梅の木があり、丁度実が色付き始めるころだったので見てみるとやはり魅力的だった。
「野葡萄」
 これも我が家の庭にはびこる野草の一つで、冬の初め頃、真珠のような大きさの色鮮やかな実を見せつけられる。食べられないので眺めるだけだが、毒々しく見える色でもある。つるを切って切り株にもたれさせるときれいな影が投影された。