ボランタリー画廊   副題「げってん」・「ギャラリーNON] 

「げってん」はある画廊オーナとその画廊を往来した作家達のノンフィクション。「ギャラリーNON]は絵画を通して想いを発信。

げってん(46)―平田逸治の銅版画(その2)―

2008年11月08日 | 随筆
 この展覧会に寄せた満生和昭さん(北九州市立美術館)の言葉は次のようでした。

 絵を売ることだけで生計を立てている画家を私達はプロと呼ぶ。絵が売れるということは、その絵を理解し愛好する人がいることで、生活に困らない程の絵が売れる画家は、時代の求める感性と技能を身につけていると言える。しかし表現することは自己の内面を画面の中に描き出すことで、時代や社会に阿ることではない。いかなる方法であれ自己の目ざすものを貫くことである。あらゆる妥協を拒絶しながら自己の個性を表現することである。出来上がった作品が社会から拒否されたり、全然売れないこともあろう。しかしその真摯な探求の態度こそプロの画家と呼ぶに値するのである。 

 絵が売れないのだったらどうやって生きていくのだろうと思うが、絵を売る以外の何かで生きていかなければならない。それも叶わなかったら、誰かに支えられてなければならない。私には綺麗事としか思えない。

 恒例にしているマルミツ画廊企画の「新春色紙・小品展」の出品依頼を平田さんにしていたので、その作品を、珈琲館ドンで落合って私に渡したいと平田さんから電話があった。奥様を亡くされて元気をなくされているのではと少し心配していたが、頬のつやつやしたお元気そうな平田さんが現れた。
 「いい歳になってきたので制作に集中できるよう身の回りの整理を始めたんだ」
と話し始められ、
 「5つあった教室を1つに整理したら、女房も整理してしまって・・・」
 国際展では銅版画の作品が好評で、もうすっかり銅版画家にされたことを駄洒落にして、
 「半人前の絵かきだから、最近、半画家(版画家)と言われるようになった」
 娘さんのおられるニューヨークでの展覧会の話になって、
 「金が無いので、風呂屋で展覧会だ」
 とか。
 私は笑ってばかりだった。
 とにかく、元気である。きっと何か残される人だと確信した。