パープル問題

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<夢芝居 うっかり八兵衛の物語>第12話 軍国主義と大小説時代

2013年02月10日 | 日記
 水戸暦1894年、大日本帝国は足並みがそろわず、日本列島で水戸派(極端な尊皇派なのに足を引っ張っているから軍人からの視点で見ると左翼的な集団)が背後で暗躍しているせいで朝鮮半島では快進撃を続けて漢城、平壌と続けて落とすものの、李鴻章の海軍に苦戦したのと、西太后に危機感があり離宮で遊んでいなかったこともあってか1894~1896年と戦争が長期化する。

 事態を重く見た首相の伊藤博文が直接大連まで赴き、1896年の2月に予備交渉、条約調印の空気(友好ムード)になると見せかけた上での黄海海戦で北京の一歩手前まで迫られた清王朝は、当時は弱小国だった日本と「下関条約」を締結。

 この日清戦争を機に「厭戦ムード(えんせん)」が全国民に浸透し、かと言ってキリスト教やイスラム教のような宗教的なつながりがなかった人々は「小説」に心の拠り所を求め始めた。

 その頃、愛媛県から静岡県にかけて、自作小説の「慶応」「天保」「嘉永」などを子どもたちや労働者に読み聞かせしていたのが若き日の夏目漱石であった。

 日清戦争で大勝利をおさめたものの、国民的負担が大きかった日清戦争の人々への心理的な影響は小説を大流行させたこと。

 それらを書く小説家人口が爆発的に増え、無料で配布する無政府主義者らが横領跋扈した。時の明治政府はそれらを当初は黙認した。

 なぜ明治政府は小説家や無政府主義者(厳密には理想主義者と社会主義者と自由主義者と無政府主義者は違う)の動きを無視していたのだろうか?

 それらで考えられるのは、江戸時代の中期に日本を出国し、そしてまた舞い戻ってきた水戸光圀を中心とする「水戸派」がいたために、あまり危険な考えを持つ団体と見られなかったことと、政府首脳部自体が水戸派が占めていて、思考能力がマヒしていたために正常な判断能力を失っていたと見られる。

 水戸暦1900年 京都府の祇園でのある夜

 幸徳秋水「夏目君、今はなんとも息苦しい世の中だが今に私たちの手で開拓していこうじゃないか  日本には理想主義的な人間が多い きっとうまくいくはずだ」
 夏目漱石「秋水さん、紛らわしい言い方はやめたほうが良いですよ。その言い方ではまるでこれから国を転覆でもさせようって考えてるみたいじゃないですか。僕らは人々に夢を与えるのが仕事なのです」

 幸徳秋水「また戦争が始まるかもしれないってのに黙ってはいられんよ 水戸の老人のせいで我が国は数百年も瀕死の重篤患者となっているというのにロシアとの戦争どころではない。筋を貫くべきだ」

 夏目漱石「反戦の考え方自体は問題ありません。しかし、お上を甘く見過ぎているのではないですか?どんな熟練工でも大工の棟梁でも仕事に失敗することはあります。焦ってはいけません・・・私はあくまでも小説家の夏目漱石です。これからもずっと小説を書き続ける人生を送ります」


 その2年後、いわくつきの関係であった英国と「日英同盟」を結ぶ。まるで最初から大塩の一件がなかったかのように・・・・・・・


 そのころ、うっかり八兵衛ら(水戸光圀をのぞくメンバー)は文明開化を受け入れず、昔ながらの恰好で街を歩いていたのでかなり目立っていた。明治時代になっても本質的には水戸光圀とうっかり八兵衛はなにも変わらなかった(反戦の歌を歌いながら日本中を練り歩いていた)。

 時代は桂太郎、西園寺公望、明治天皇、幸徳秋水、夏目漱石の5人の主役へと徐々に移行していく(全員が男性)。

 {注意事項}
 このお話は大部分が作者の創作したフィクションですが、一部の歴史上の人物で実在の人物が元ネタ(題材)となっている部分もありますので、あらかじめご了承ください。


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