パープル問題

2011/11/24(木)より開設
*小説執筆がメイン*
 ドラマとかアニメの感想などを日記にしています

フーシェのポエム帳(2期)第12話「5月までブログは休みです」

2013年04月15日 | 日記
フーシェ「今回はこれと言って題材はないんですが、ユゴー経由で新作の原稿がオトラントに来てますね シェイエス議長お読みいただけますか?」
 シェイエス「ヨーロッパは萌えているか?(仮)原案ユゴー>>>幕府暦1853年で時間が止まった世界。舞台がヨーロッパしか出てこない。紀元前から1853年までの人物がランダムに登場、鎌倉幕府がプロイセンに、室町幕府がオーストリアに、江戸幕府がフランスに存在。主人公小田信彦(王)の住むスイスが室町オーストリアの中の自治州。戦国期と幕末(新撰組)の大名ら日本人グループが男で、女キャラがヨーロッパの人物全員。主役男性<土方・伊達>第1陣ヒロインにラボアジエ・コペルニクス・アンペール・ラザフォード・プリーストリ・・・・・・>>>」
 フーシェ「夏までにはできそうな気がしますが・・・・・ちなみにフーシェのポエム帳も八兵衛さんとアンドレオシ君以外は全員女性(美女キャラ)です」
 八兵衛「アンドレオシ君とロタールさんは、オトラントのカナダ支店(店長は本多正純)に配置換えになったようですね」
 作者からのお知らせ{作者は耳鼻科の手術(鼻の通しを良くする)が来週にあるので、フーシェのポエム帳は長期休載とさせていただきます。今月は放置です}
 *補足*<鎌倉プロイセン幕府ー高時王><室町オーストリア幕府ー義輝王><江戸フランス幕府ー慶喜王>

フーシェのポエム帳(2期)第11話「鉄の女 サッチャー 死去」

2013年04月08日 | 日記
「鉄の女」イギリスのサッチャー元首相死去 87歳、女性初の英首相(産経新聞) - goo ニュース
 フーシェ「今日はニャル子さん2期の<這いよれニャル子さんw>について宣伝しようとしたんですが・・・・・・」
 源内「本多正純元副店長からのメールですが、『実はベネズエラのウゴ・チャベス大統領が死んでたのを昨日になって知った』とのことです」
 フーシェ「サッチャーほど20世紀史に残る偉人はいないでしょう」
 源内「アメリカのレーガン大統領と同じく、新自由主義論者だという意見もちらほら聞きますよ」
 フーシェ「サッチャーの存在で、イギリスが第二次世界大戦から完全に立ち直り、長年悩んできた英国病を克服した。福祉制度を充実させたという意味では<新自由主義者>というくくりはねぇ・・・そういえば国民新党っていつの間にか解党してましたよ
 源内「作者から言われたんですけど、さっきの{ベルリン陥落}の映画の間違いシーンは、おのおのが見つけてくれとのことです。」
 シェイエス「お時間です 作者曰く、チャベスの死はアンサイクロペディアで知ったとか(笑)テレ東でチャベス特集放送中」

ベルリン陥落(1949年)の感想

2013年04月08日 | 日記
 今回紹介する作品はちょっとばかし古い作品で、制作年は第二次世界大戦終結のわずか3~4年。アメリカや西側陣営の視点ではなく、ソ連の視点で制作されている。

 基本的に<勧善懲悪>で、悪い者がいて(ヒトラーとナチス党)正義(ソビエト連邦と、そのソビエトの最高指導者のスターリン)が勝つという図式。主役はスターリン((もう1人の主役はヒトラー?))

 

 今の日本人の感性から見ても、違和感がない箇所がかなりあるが、『スターリン万歳』を叫ぶ民衆や兵士のシーンは、笑うか笑わないか微妙なライン(うう~む)
 

 改めて再確認した部分は、1945年のドイツの降伏時に、ベルリン一番乗りを果たしたのはソ連であったこと。これが米英が先に入っていた場合は、ドイツのその後は違っていたかもしれませんよね。
 監督のミハイル・チアウレリは、スターリンと同じグルジア人で、スターリンを神格化する映画を作ることで有名だったようです。
 スターリン批判が高まっていく中で寂しく死亡(1974年没)ベルリン陥落の戦闘シーンで、どこかで聞いたことがあるなぁと思った曲があったのですが、ドミトリー・ショスタコーヴィチの<レニングラード 第7交響曲>でした(涼宮ハルヒの弦奏のCDにも収録されていました)
 スターリンは、ヒトラーと並び<独裁者の総代表>のようになっていますが、この2人にほぼ違いは見られず、共産主義もナチズムも本質的には似通ったものとも言えますでしょう。
 ソ連の創業者のレーニンは、ソ連建国のすぐあとに、世界中で共産主義国家が誕生するだろうと過信していましたが、そうはなりませんでした(少なくともヨーロッパは1年でそうなると思っていた)
 スターリンは「ヒトラーから虐げられた諸国家を救う」という大義名分を得て、東欧(東ヨーロッパ)を手中に収めていきます。当初の米英ソの会談では、ポーランドは民主化され独立国となるはずでしたが、スターリン指導の共産党一党独裁の国となってしまいます(多くの東欧の国家がそうなってしまいました)

 スターリンは確かに、あくどく、狡猾で、卑怯な人物で、日ソ中立条約を無視し、樺太と千島列島に侵入し、現在の「北方領土問題」まで尾を引くその発端、原因になった人ですが{勝ち組}と言えば{勝ち組}で、日本流に言えば「勝てば官軍 負ければ賊軍」の典型例のような人でしょう。
 この作品はプロパガンダの実例として、観賞してみても学と教養がある作品と言えます。
 *スターリンって顔だけ見ると、若い時も壮年期もイケメンですよね?(トロツキーも見た目は良いですよね)作中では1度もトロツキーの登場はありません。

フーシェのポエム帳(2期)第10話「萌えって死語なのでは?という危機感」

2013年04月07日 | 日記
フーシェ「この前ですね、ワタクシごとなんですが、萌えって字を書こうとしたんですが書けなくなってたんですよ。最近は携帯変換とか一発変換とかでパパッと出てきますでしょう」
 ほらが源内「私も、草カンムリまでは思い出せましたが、<月+力>なのか<月+火><火+力>しばらく、どれなのか分からなくなりましたよ」
 シェイエス「萌えは、草に明るいと書きますね。草食(僧職)で明るい人って好きですね」
 八兵衛「ズバリ言いますけどね。萌えってもはや死語じゃねぇですかい?」
 タレーラン「萌えですか?<わび・さび>ときて<萌え>も入れて、わび・さびと同じ意味と言い切っても良いかと私は思いますよ」
 八兵衛「ちょっと待ってくださいよ~タレランさん、侘びや寂びと同じにするってのは強引じゃないですかねぇ~」
 フーシェ「最近では、どういった絵が萌えてるんだか分からなくなってきました。萌えって大量生産されてますよねぇ」
 シェイエス「お時間がきたようです。萌えについて言いだすのはご法度ですね。この話題だけで2時間ぐらい語れそうですよね」
 *ブチクスクスhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%82%B9%E7%A7%91
 クスクス科のカンガルーの仲間。萌えてるかもしれません。<萌えの解釈-可愛いをアニメ表現したもの?>
 

フーシェのポエム帳(2期)第9話「元寇の時の勝因ってさぁ」

2013年04月05日 | 日記
週末は大荒れか…台風並み「猛烈低気圧」通過へ(読売新聞) - goo ニュース
 フーシェ「週末は荒れそうですねぇ~」
 源内「鎌倉幕府が倒れる前に、モンゴルが攻めてきたことがあったじゃないですか。元寇ってやつです」
 八兵衛「暴風雨だとか台風だとか言われてますよね」
 源内「そん時の天候なんてわりかしどうでもいいじゃないですか。要するに海が荒れてたから元の大軍が海に沈んだわけじゃないですか?」
 シェイエス「正確にはモンゴルの兵士ではなく、大陸の元南宋の人間や、高麗(朝鮮半島)の人間が犠牲になった」
 フーシェ「ナポレオンも、1813年時点でオーストリアのメッテルニヒに対して『私はモスクワでフランス人を死なせたわけではない。征服した土地の人間が死んだのだからフランス人に恨まれる理由はない』と言い放ちました」
 シェイエス「身内のフランス人に言うなら良かったのですが、メッテルニヒに言ったのが良くなかった。今回はここまで」

<みなみけ ただいま>の感想

2013年04月04日 | 日記
 久方ぶりの<みなみけ>ですが、登場人物の年齢は変わらないのにチアキだけ大人びてきた気がしますね。キャラクターの女の子らしい仕草、フェチズム、そして保坂。

 やはり1期の時と同程度とまではいかないものの、みなみけらしさは感じ取れるものはあるかなぁと見ていましたなぁ。

 中の人が忙しいのもあるのか、トウマにもう少し出てほしかった。あと内田はもっとアホウなふうに演出していいと思う。

短編小説 『フランス皇帝 セントヘレナでの余生』

2013年04月04日 | 日記
 1820年のある日。
 「暑い、暑い、この暑さはいつまで続くのだろうか」

 かつてのフランス皇帝ナポレオン・ボナパルトとは思えない姿がそこにはあった。セントヘレナ島は1年中温暖な気候でムシムシと蒸し暑く、とても過ごしやすい南国の島とは言えなかった。

 「ボナパルト将軍 ワインの差し入れですぞ」

 英国のハドソン・ロウ将軍の声だ。本人は元皇帝に対して気を配っているらしいが、ナポレオンからすると、無礼で無骨者という表現が適切な老軍人である。

 英国紳士らしい上品なもてなしを期待したのだったが、それは幻想であった。

 しかも、当時ナポレオンが居住していた<ロングウッドハウス>は居住空間としては、ほめられたものではなかった。
 ナポレオン・ボナパルトが50歳弱で死没するに至ったのは、若かりし頃に戦場でダイナミックに生きてきたのに、狭い絶海の孤島での暮らしで急速に老いていったのではないか?と推測します。

 いつ死ぬか分からないヨーロッパでの戦場でのナポレオンと、戦場ではないセントヘレナ島では、晩年のほうが生きやすかったのではないかと思います(気候的には最悪なのですが)