フーシェ「遂にこの日が来てしまいましたねぇ・・・あの御仁が」
正純「2月の最終号ですから、タレーランさんとメッテルニヒさんをお客様にと言いだしたのは確かてんちょぉ・・・」と、なにやら口論から始まる店内にタレーラン氏とメッテルニヒご来店。
タレーラン「久しぶりですかね?いやぁ毎日会ってるような感覚もありますが、ジョゼフ・フーシェ店長、カラオケ喫茶オトラント店へお招きいただき光栄に存じます。」
フーシェ「・・・・・・・・・・どうぞイスにおかけください」
タレーラン「1つどうしても話したいことがありました。私たち(タレーランとフーシェが有名になったナポレオンの臣下だった時代)がともに大臣をしていた時代は、フランスには原子力発電所が1基もなかった。それが、いましがた見てきたら、我がフランスは世界有数の原発大国になっていた。1820年代のフランスは、パリもヴェルサイユも農村も綺麗な景色が広がっていたのはフーシェ店長も存じ上げているかとは思いますが、おや(笑)今は女性の身の上でしたか?」
フーシェ「作者の都合で今は女性ですが・・・・・フランス大革命(フランス革命)の発生時の1789年から、ナポレオン皇帝の退位の1815年までの時代は、確かに原発はありませんでしたね。現在のフランスは民主主義こそ高度に発達したのかもしれませんが、当時の私たちからすると、どこか物寂しいものがあります。」
タレーラン「うう~む。これは日本史の場合だと杉田玄白や近松門左衛門が、江戸時代には原発がなかったのに・・・・・と嘆くのと同じことかな。」と、2人のディベートが白熱化する・・・・・
正純「とても2人の輪に入っていけそうもないので、メッテルニヒ宰相、なにか話しませんか?」
メッテルニヒ「あそこにおられるタレーラン外相は、ナポレオン時代に外務大臣だっただけでは名を残せなかっただろうね。むしろ1814年~1815年のウィーン会議での外交巧者ぶりこそ彼の本当の土俵だろうね。」
正純「タレイラン家は代々軍人を多く輩出した家だそうですが・・・・・」
メッテルニヒ「フランスの貴族とオーストリアの貴族、プロイセンの貴族(ユンカー)、ロシアの貴族とでかなり違うけども、貴族とくくってしまうと同じだね。そもそも貴族だらけのヨーロッパでタレーランだけが日本でそれなりに有名になったのは、運が良いというべきか、悪いというべきか(苦笑)私はタレーラン氏の死後もウィーンで革命を起こされたり、ウィーンに戻ってはきたものの、なにもできずに、サルデーニャ王国という後進国との戦争で、イタリアでのハプスブルクの帝国領を失い、そして亡くなったのだよ。」
正純「1815年時のウィーン会議での、昔ながらの王様や貴族が政治をやっていこうというのが正統主義ですね。メッテルニヒ宰相が追放されたのが1848年のウィーンでの3月革命。」
メッテルニヒ「私自身は死ぬまで分からなかったが、ドイツの中心はずっとオーストリアだと思っていた。いつぐらいからプロイセンにとって代わられたのかということは、当の私たちですら気がつかないうちに、プロイセンが国力を増していった。あの時代は混沌としていて、現状を維持することですら容易ではなかった。」
正純「ありがとうございます。そろそろ店長を呼ばないと・・・・・」
フーシェ「名残惜しいですが、また月末とかに呼んであげますからね。★ヴェネバント大公シャルル・モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール殿下★」
タレーラン「さようなら、またそのうち来ますよ☆オトラント公ジョゼフ・フーシェ☆」タレーランとメッテルニヒは去っていた
フーシェ「いやぁ・・・・・・思ったよりもしんどいですね。」
正純「次回はコロンブス提督にしておきましょう」
フーシェ「そうですね・・・・このペースなら当分続けられますしね・・・・・・」
正純「シェイエスは・・・・コロンブス提督のあとあたりにセッティングしておきますか?」
フシェ子「シェイエスは折を見て呼びたいのですが、やはり、コロンブス回の次あたりでしょうね。」
こうして、2月の最後のお客様を迎えて、オトラントはいつも通り営業を続けるのであった。
正純「2月の最終号ですから、タレーランさんとメッテルニヒさんをお客様にと言いだしたのは確かてんちょぉ・・・」と、なにやら口論から始まる店内にタレーラン氏とメッテルニヒご来店。
タレーラン「久しぶりですかね?いやぁ毎日会ってるような感覚もありますが、ジョゼフ・フーシェ店長、カラオケ喫茶オトラント店へお招きいただき光栄に存じます。」
フーシェ「・・・・・・・・・・どうぞイスにおかけください」
タレーラン「1つどうしても話したいことがありました。私たち(タレーランとフーシェが有名になったナポレオンの臣下だった時代)がともに大臣をしていた時代は、フランスには原子力発電所が1基もなかった。それが、いましがた見てきたら、我がフランスは世界有数の原発大国になっていた。1820年代のフランスは、パリもヴェルサイユも農村も綺麗な景色が広がっていたのはフーシェ店長も存じ上げているかとは思いますが、おや(笑)今は女性の身の上でしたか?」
フーシェ「作者の都合で今は女性ですが・・・・・フランス大革命(フランス革命)の発生時の1789年から、ナポレオン皇帝の退位の1815年までの時代は、確かに原発はありませんでしたね。現在のフランスは民主主義こそ高度に発達したのかもしれませんが、当時の私たちからすると、どこか物寂しいものがあります。」
タレーラン「うう~む。これは日本史の場合だと杉田玄白や近松門左衛門が、江戸時代には原発がなかったのに・・・・・と嘆くのと同じことかな。」と、2人のディベートが白熱化する・・・・・
正純「とても2人の輪に入っていけそうもないので、メッテルニヒ宰相、なにか話しませんか?」
メッテルニヒ「あそこにおられるタレーラン外相は、ナポレオン時代に外務大臣だっただけでは名を残せなかっただろうね。むしろ1814年~1815年のウィーン会議での外交巧者ぶりこそ彼の本当の土俵だろうね。」
正純「タレイラン家は代々軍人を多く輩出した家だそうですが・・・・・」
メッテルニヒ「フランスの貴族とオーストリアの貴族、プロイセンの貴族(ユンカー)、ロシアの貴族とでかなり違うけども、貴族とくくってしまうと同じだね。そもそも貴族だらけのヨーロッパでタレーランだけが日本でそれなりに有名になったのは、運が良いというべきか、悪いというべきか(苦笑)私はタレーラン氏の死後もウィーンで革命を起こされたり、ウィーンに戻ってはきたものの、なにもできずに、サルデーニャ王国という後進国との戦争で、イタリアでのハプスブルクの帝国領を失い、そして亡くなったのだよ。」
正純「1815年時のウィーン会議での、昔ながらの王様や貴族が政治をやっていこうというのが正統主義ですね。メッテルニヒ宰相が追放されたのが1848年のウィーンでの3月革命。」
メッテルニヒ「私自身は死ぬまで分からなかったが、ドイツの中心はずっとオーストリアだと思っていた。いつぐらいからプロイセンにとって代わられたのかということは、当の私たちですら気がつかないうちに、プロイセンが国力を増していった。あの時代は混沌としていて、現状を維持することですら容易ではなかった。」
正純「ありがとうございます。そろそろ店長を呼ばないと・・・・・」
フーシェ「名残惜しいですが、また月末とかに呼んであげますからね。★ヴェネバント大公シャルル・モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール殿下★」
タレーラン「さようなら、またそのうち来ますよ☆オトラント公ジョゼフ・フーシェ☆」タレーランとメッテルニヒは去っていた
フーシェ「いやぁ・・・・・・思ったよりもしんどいですね。」
正純「次回はコロンブス提督にしておきましょう」
フーシェ「そうですね・・・・このペースなら当分続けられますしね・・・・・・」
正純「シェイエスは・・・・コロンブス提督のあとあたりにセッティングしておきますか?」
フシェ子「シェイエスは折を見て呼びたいのですが、やはり、コロンブス回の次あたりでしょうね。」
こうして、2月の最後のお客様を迎えて、オトラントはいつも通り営業を続けるのであった。