図書館で、何かいい本がないかと探している時、
フト目に付いたのが阿井景子著の「おもかげ」という本だ。
この本の何に惹かれたかと言うと、北大路魯山人の話が出ていたからだ。
多少なりとも陶器に興味を持っている私は、魯山人という人に関心がある。
著者が口述筆記者、編集者として出入りし、そこで垣間見た人間:魯山人の姿が描かれている。
著者に言わせると、魯山人は一言で言うと“狂気”の人であったらしい。
不義の子魯山人は、生れ落ちたときから邪魔者で、まわりから過酷な扱いをうけている。
人を恋しながらも妻子を人を愛せなかったのは肉親の情愛を知らずに育ったからと著者は推察する。
結局、家庭に恵まれず、孤独で淋しい晩年であった。
妥協することが少なく、自己中心的で、無邪気で、純粋でもあった。
怒りを発散させてしまうせいか、持続力が欠落していた。
みごとなまでに人を差別し、無教養で気働きのない人間を嫌い、低く扱っていた。
使用人に恵まれぬ魯山人は、ここ数日、銀座のレストランから取り寄せたというタンシチューをあたため返しては食していた。洋間のテーブルを動かず、ビールを飲み、小さな肉片を咀嚼している魯山人は、団欒がないだけに哀れである。灯火が暗いせいもあるが、美味を楽しんでいるようには映らない。美味なものをより美味に味わいたいという、魯山人らしくなかった。私は、顔半分を翳にしている魯山人を、縁台のところから眺めながら、侘びしい気分になる。荒廃した邸内を知るだけに、魯山人の老いが痛ましかった。