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自遊人の時間


毎日ブログを書くのもしんどいし、気が向いた時だけ書くことにしよう!

気分屋などと言われようと

2006年08月21日 | 想い
妻は私の事を「気分屋」「素直でない」「ヘソ曲がり」「屁理屈屋」などと色々言ってくれる。
妻はなかなかの評論家だから、まんざらはずれているはずも無く、かなり的を射てる。
しかし反面、「そう言うあんたはどれだけの者なんか」と言いたくもなる。
しかし、「それを言っちゃお仕舞いよ」となりかねないので、ノドから出さない事にしている。
お互いにいくら欠点を応酬したって何の得にもならない。

気分屋だっていい、素直でなくていい、ヘソ曲がりでいい、屁理屈屋でいい、と思っている。
神様、仏様でなく、私は人間なのだから欠点がいくつかあって当り前なのだ。
これが紛れも無い私の姿なのだ。私の個性なのだ。
いい歳して自分を変えるつもりも無いし、簡単に変えれるほど軟弱でもない。
今まで自信をもって育ててきたものだ。

これから益々頑固になっていく自信がある。
穏やかな、人のいい、理解のある、好々爺などなりたかない。
周りからいくら嫌われようとわが道を行くのだ。

「該当者なし」の投票制度

2006年08月19日 | 想い
最近読んだ本、倉本 聰エッセイ集「富良野風話」の中に「選挙」というのがある。
その中の一部分を紹介する。

(前略)
更に最も判らないのは、入れたいと思う候補者がいないのに、選挙に行け行けと言われることである。
行って白票を投じるのもたしかに一つの表現かもしれない。しかしそれでは手ぬるい気がする。
わざわざ白票を投ずる為に投票所まで行くのはいかにもしんどい。
そこで愚者はかねがね考えているのだが、投票用紙にあらかじめはっきり
「該当者なし」という欄を印刷しておいては下さらないものだろうか。
さすれば愚生など真っ先に投票所へ参じ、いつものなにか割り切れぬまま
「まァこの人か」と書くあの不快感を排して威風堂々投票できるのだが。
(後略)

この提案に私は大賛成だ。これが何とか実現出来ないものだろうか。
しかし、これを本当にやれば「該当者なし」が相当数にのぼるかも知れない。
「該当者なし」が過半数に達した場合、議員定数に満たなくても補充をしない。
さすれば議員が減って歳費が大幅削減出来るではないか。
消費税を上げる云々より、こちらの議論の方が先ではなかろうか。

母親の「老い」に苛立つ

2006年08月18日 | 想い
昨日の午前中、私の母親が我が家にやって来た。特別用事があった訳ではない。
私の母は今87歳で、兄夫婦と同居ではなく別棟に住んでいる。
体力的には同年齢の人より元気であろうと思う。
しかし、脳の方の老化は歳相応になりつつある。

今に始まった訳ではないが、1、2時間の間に何度となく同じ話が繰り返し出てくる。
以前はこの事で私は苛立っていたが、最近少しは我慢出来るようになってきた。
しかし、一方的な思い込みでの話しや執着心、他人の悪口などにはいつもながら閉口する。
若い時はそれほどではなかったと思うが、これも「老い」がもたらすものか。
「老い」だから仕方ないと言ってしまえばそれまでだが、年甲斐も無く苛立ってしまう。
何時まで経っても狭量な私は、老いてる母親についキツイ言葉を発してしまう。

母親の「老い」の姿が何年か後の自分とダブって見える。
私も同じような「老い」を迎えるのかと思うとゾッとする。
自分は絶対にそうならないと思っていても、似たような事をするケースが多い。
自分というものを保ちつつ、周りに不愉快さを与えない生き方はあるのだろうか。

浴槽に浸かって想うこと

2006年07月26日 | 想い

通常、私は毎夕食後フロに入る。
我が家の浴槽は狭くて、手足を伸ばしたままゆったりと入ることは出来ない。
私の入浴はカラスの行水に近いので、ゆっくりと時間をかけて浴槽に浸かることは無い。
ほんの僅かな時間浴槽に浸かりながら「今日も一日無事に終わった」と感謝する。
と同時に「こうして毎日お湯に入れて有難い」と自然に手を合わせる事も多い。

最近の九州南部地方の集中豪雨で被災されている方々の事を考えると、
こうして何不自由なしに入浴出来る有難さをひとしお感じる。
被害に遭われた方々にはお見舞い申し上げます。
何気なく毎日入浴するのが当り前のように思うのが不遜に思える。

ここ30年間というものはほぼ毎日フロに入っている。
それまでは1日おきの入浴生活だったとおぼろ気に記憶している。
現在はスイッチを捻れば電気とかガスでお湯が当り前のごとく出てくるが、
昔は外で薪やオガライトを焚いてフロを沸かしていた。
我が家は貧しかったせいか、節約の意味もあってか、1日おきにフロを沸かしていた。

そのような体験をしてきているから、今の入浴生活には自然と感謝の気持が出てくる。

私はパソコン依存症か

2006年07月23日 | 想い

私はほとんど毎日と言っていいほどパソコンに向かっている。
向かっている時間の長短はもちろんあるが、1日1回はパソコンに向かわないと気が済まない。
パソコン中毒だとは思わないが、依存症くらいには自分でも思っている。
仕事として毎日パソコンに向かうのは仕方ないとしても、個人の趣味としてはどうだろうか。

毎日パソコンに向かって何をしているかと言うと、
このブログを書いたり、後はネットサーフィンに時間を費やす。
数あるお気に入りのHPやブログをひと通り見るのにも結構時間がかかる。
それらを見たからと言って何と言う事でもないが、一種の強迫観念のようなもの。
頭の中に残るものはほとんど無いが、見たという安心感だけかも知れない。

私は写真が好きだから、上手な写真が掲載されているブログなどを見ることも多い。
高額なデジカメ一眼で撮った写真はやはりそれなりに素晴らしい写真が多い。
しかし一方で、こんな写真を撮ったらデジカメ一眼が泣くよ、と思うのもよくある。
あるプロカメラマンのブログに、勢いのある良い写真を撮るには、
一に構図、二にピント、三、四がなくて五に露出、と言っていた。

思い出作りにシフトしようかな

2006年07月21日 | 想い

少し前、身辺整理で過去の不要な色々な書類は廃棄処分などして一応片付けたが、
押入れの整理をしていたら数多くのアルバムを見つけた。
妻がテーマごとに写真を貼って一応は整理してあるが、それでもまだ未整理のものがある。

アルバムというのは不思議なもので、普段はほとんど見ないのに、一旦見出したらズ~と見入る。
ここ数年の写真より、はるか昔の写真がなんとも懐かしく見入ってしまう。
昔を懐かしく思うようになったら、もう歳をとった証拠だとよく言われる。
実際いい歳をとったのだから、とりあえずそんな事は気にしない事にする。

しかし、これからまだまだいい思い出を作っていかなければ、と思っている。
過去においても、あの時あそこへ行っておいて良かった、という事が多い。
私くらいの年齢になれば、もう物欲を捨てて思い出作りに励むのが良いのではと思う。
思い出は物やお金に代えがたいもので、これからは大切にしたいものの一つだ。

1年先は本当に分からない

2006年07月12日 | 想い
昨日はポッカリと穴が開いたようで、何もする気が起こらず、ボーと一日を過ごした。
身近に置いてあったDVDを何気なく見る。
デジタルビデオカメラで撮影したものをDVDへコピーしたもの。
ベスが二人の娘と河原で水遊びをしている映像だった。
日時を見ると、2005年6月18日午後5時過ぎに撮影したものだ。
ベスは川を見ると異常に血が騒ぎ、制止を無視して水の中へ入って行くほど川が好きだった。





1年前、あれほど元気に水の中を泳ぎまわっていたのに、と思わず深いため息が出る。
本当に1年先は分からないものだ、と改めてつくづく思った。

何時までもあると思うな親と金

そんな文句がフト思い出され、急に二つが気がかりになりだした。

私ひとりだったら尊厳死を選択

2006年07月08日 | 想い
安楽死と尊厳死と、厳密にはちゃんとした違いがあるだろうが、
ここでは難しいことは言わずに使うことにする。

愛犬ベスが末期症状であることは既に書いたが、要はもう先が無いということだ。
獣医さんが先日「非常に苦しみが続くようで、それを見ている家族も耐えられないようであれば、
安楽死も選択肢のひとつです」と言っていた。

今、目にはまだ力があり、毛の艶も決して悪くはないが、食欲はほとんど無い。
なんとか無理やり食べ物を口の中に入れ、飲み込ませているのが現状。
身体全体がガリガリに痩せ細り、後両足がマヒしたままで、時より激しく咳き込む。

もし私ひとりであったら、もう既に尊厳死を選択していると思う。
しかし、妻や娘の考えもあるので、勝手にそうする訳にはいかないのが現実。
本人は今も苦しんでいるが、それ以上に苦しんででないと死ねないのは非常に残酷だと思う。
どうせなら余り苦しまない内に、静かに成仏してもらいたい。
何日生き延びたから良かった、というものではなかろう。
人間には今のところ尊厳死の選択肢は無いが、同じような状況に私が置かれれば、
家族にはぜひとも早々に尊厳死の選択をしてもらう事を願うばかりだ。

おひとりさま

2006年07月03日 | 想い
7月1日(土)付の朝日新聞be/between、テーマは「おひとりさま」。
ひとりで過ごすのは好きですか? という問いに、2,841人が答えている。

男性の34%が好き、どちらかといえば好きが40%で、
合計74%の人がひとりで過ごすのが好き。
一方、女性も51%が好きで、どちらかといえば好きが35%。合計86%が好き。
なぜ好きなのか? の問いには、男女どちらも「好きなことができる」「気楽」の二つが圧倒的に多い。
また、ひとりの自由時間には何をしていますか? の問いには、「パソコン」「読書」「テレビ」が多い。

この結果を見ると、私にはなんだか分かるような気がする。
と言うのも、私もひとりが好きだからだ。同盟者がこれだけいると心強い。
本文には、「おひとりさま」を最も楽しめそうなのは、60代男性のようです、とある。
一度ひとりの気ままさ、気楽さを味わうと、大勢の人との交わりは煩わしく感じてならない。

しかし、私も含めての話だが、このような傾向がいいとはとても言えない。
ほとんどの人が自分の殻に閉じ篭った状態は異常とも思える。
人と会話をすることが苦手で、まともに会話が出来なくなるのではなかろうか。
最近の若者が結婚したくない、結婚出来ない、のはこんな背景があるかも知れない。

子孫に美田を残さずとは素晴らしい

2006年06月30日 | 想い
もうニュース的には古いが、私にとってはスカッとするニュースだった。
それは、世界第2位の富豪の投資家ウォーレン・バフェット氏(75歳)が、
約4兆3000億円の株を世界一の富豪であるマイクロソフトのビル・ゲイツ会長(50歳)と
メリンダ夫人が創設した「ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ基金」などに寄付する計画を発表した事だ。

世界第2位の富豪でありながら非常に質素な生活をして、親族には財産を残さないとの事。
ビル・ゲイツもそうだが、やること心意気のスケールが桁違いだ。
日本人は富豪のレベルも低いが、心意気も非常に小さい。
日本人の場合えてして、自分の家族や親族の栄華ばかりを考え、いかに脱税して
遺産相続させるかばかり考えているフシがある。
もちろん日本と米国との税法上の違いはあるので考慮する必要はあるが。

私の知る限りでは日本でも忘れてはいけない人がいる。
ソニーの元社長で名誉会長の大賀典雄氏が、自分の退職慰労金(税引き前16億円)を
全て軽井沢町の音楽ホール建設に寄付した話。