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自遊人の時間


毎日ブログを書くのもしんどいし、気が向いた時だけ書くことにしよう!

私が、歳を取ったものだなーと思う時

2006年10月30日 | 想い
自分も歳を取ったものだなー、と時々思うことがある。
思うところは一つ二つではないが、取りあえず二つほど書いてみよう。

一つは、朝起きて身体全体が硬い感じがして時々ラジオ体操もどきの運動をする。
ストレッチと言えば聞こえがいいが、我流で柔軟体操みたいなことをする。
私より高齢な人がよく健康のヒケツだと言ってやっている我流体操をテレビなどで見る事がある。
そんな事を少し前までは他人事のように見ていたが、今自分が似たような事をしている。

もう一つは、おしっこの出が遅くなったことだ。
今年初め頃に行きつけの医者から、前立腺が少し肥大していると言われていた。
年齢的に考えてそれほど異常とは思わないが、ちょっと気にはなっていた。
おしっこの出る勢いが少し前から弱くなっているし、そのため時間もかかる。
出る前にも間があるので、便器の前に立ってから立ち去るまで時計で測ってみると、
結構な時間が経っている。
公衆トイレで、若者が私より後から来てアッという間に立ち去って行くのを見て、
羨ましいやら悔しいやらで、我が呆然とした立ち姿はいとおかし。

ドラマ「僕の歩く道」を見て

2006年10月23日 | 想い
草 剛が主役を演じているドラマ「僕の歩く道」がなかなかいい。
自閉症の青年を描いた感動的ドラマで、第二回が終わったところ。
草 剛が性格俳優としての道を着実に歩んでいるのを感じる。

私は以前、次のような日記を残している。
2004年11月27日に放送されたドラマ「海峡を渡るバイオリン」、
見られた方もおられると思います。感動的なドラマだったですね。
主役を演じた草 剛と菅野美穂の迫真の演技が素晴らしかった。
草があんなに上手いとは思いませんでした。

この日記を読み思い出しながら、次回の放映を楽しみにしている。
しかし、今回のドラマは非常に重たいテーマである。
本人もさることながら、親としての思いや不安、本人を取り巻く周りの人の戸惑い。
自閉症のある一面を理解するのにはいい機会かも知れないが、
現実はドラマと違うはずだから誤解をしないよう気をつけなければならない。
草が迫真の演技をすればするほど、私の気持ちは重くなり深いため息に変わる。

親の心子知らず、ネクタイへの思い

2006年09月26日 | 想い

昨日25日付の朝日新聞「天声人語」でネクタイの事が書かれていた。

「『タフガイは水玉模様のタイをしめない』
米国などでは、煮え切らない人物がよくする柄だとの見方が広がっているそうだ。
確かに、大統領選の候補者は深紅一色とか赤や紺のしま模様が多い」

私はネクタイについては全くと言っていいほど関心は無い。
私の母親は、昔海外旅行へ行く毎にネクタイを買って来てくれた。
昔から男のネクタイに関心があり、気になるようだった。
出来の悪い息子にネクタイで少しでも良く見せようとの母親の思いだったのだろうか。
有名ブランドのネクタイは私のような無粋な男には似合うはずもないと、
一度もしないままのが数本置いてある。
そして、そのままサラリーマンを終えてしまった。
親の心子知らずである。

いつか「四国八十八ヶ所めぐり」をしてみたいが

2006年09月20日 | 想い
今NHK教育テレビで「趣味悠々・はじめてのお遍路」を放映している。
毎週水曜日夜10時より放映され、今夜が第三回目。
以前より「四国八十八ヶ所めぐり」に多少の関心はあった。
今回この放映を見て、一度やってみたいという気持が強くなったが・・・・・。

最近は結構ブームになっているようで、バスツアーも出ているようだ。
あるバスツアーでは八十八ヶ所を全4回に分けて巡り、
1回が約5万円程度で全部で約20万円くらいかかる計算になる。
その他身支度費用に約5万円程度必要らしい。
そうすると最低25万~30万円はかかるという事になる。

気軽に(やってみようか)と言えるほどの金額ではない。
信心深くない私は、それだけのお金があれば海外旅行が出来るじゃないの、とすぐに考える。
幸いにと言おうか、現在は悩みや迷い、反省、あるいは誰かの供養をお遍路をして、
と思い込むほどの深刻な状況には無い。
もっと自分自身に真剣に向き合う気持が強くなければお遍路をする意味もないかも知れない。


昔の人には辛抱と生活の知恵がある

2006年09月19日 | 想い
島田洋七著の「がばいばあちゃん」を読み終えたところ。
この本は既に話題にもなり、映画化もされたものだ。
私も遅ればせながらこの本を興味深く読んでみたが、なかなか面白かった。

島田洋七氏が祖母の元で一緒に生活していた時期(小学校2年生から中学校3年生)、
祖母から折に触れ色々言われた言葉が紹介されている。
非常にプラス指向のおばあさんであることが分かる。
こんな考え方で生きられたら本当に素晴らしいと思う。

島田洋七氏のおばあさんもそうだが昔のお年寄り(特におばあさん)には知恵があったと思う。
学歴は全く無くても生活する上での知恵を身につけていたと思う。
いくら貧乏をしていても生き抜く力を持っていた。
島田洋七氏のおばあさんの言葉をメモしておこう。

「人間、死ぬ時に、51対49でしあわせが1つでも勝てばええんじゃよ」

「人間、朝起きるまで、毎日死んでるのといっしょじゃ。寝てる時間は意識がないばい。
あれの長ーいのが『死』じゃな。だから心配せんでもよか。人間は毎日死んどる」

「ふだんはみんな『もうちょっと寝たい』とか『今日は会社休ませて』とか言うとるけど、
ずーっと寝てろと言うと嫌がるし、一生休めと言うたらよう休まん」

これからは路上観察を楽しんでみたい

2006年09月18日 | 想い

先日、NHK教育テレビ「知るを楽しむ」人生の歩き方で赤瀬川原平氏が話しているのを見た。
その時の内容は、自分は路上観察をして楽しんでいる、というもの。
赤瀬川原平氏は少し前に「老人力」という言葉を考案し、その題名の本が大ヒットした。
画家・作家ではあるが、カメラマニア(特に中古名品の)でも有名な人だ。

路上には「超芸術」がひそんでいる、と言う。
芸術に似ているけれどもっとゴミに近いものを「超芸術」と呼ぶらしい。
思いがけないものを見、それらを発見し、誰も気にとめないものに意味を求める。
無用に見えるものが、ここに存在する意味を発見していく楽しさがある、と言う。
「路上観察は人生そのものだ」とも言っている。

なにやら小難しい事を言っている様ではあるが、別段難しい事でもなさそうだ。
路上観察のコツは「アレッ?という臭いのようなもの」だそうな。
なんでもないような状況をカメラで切り取っていく感性が素晴らしい。
そしてそれぞれの写真に気の利いた言葉がパッと付けられるのはやはり才能か。
路上観察は、楽しみながら少しは感性を磨くのにはいいかも知れない。

人生終わり良ければすべて良しかな ?

2006年09月16日 | 想い
最近よく夜中にトイレで目が覚め、その後しばらく眠れないことが多い。
眠れないからつい詰まらない事もよく考える。
夜中に考える事は、昔から誰でもロクでもない事ばかりを考えるらしい。
朝起きてみると、あんなつまらない事を色々に考えて、と思えることも多い。

最近、頭の中に浮んで残ったのは「人生終わり良ければすべて良しかな?」という事。
自分自身もそうだが、身近な周りの人にとっても直近のイメージが強烈に残る。
「人のあり方」として、昔の姿より今現在の姿の方がどうしても強い。
昔いくら知性あふれ、優しかった人でも、今人格がくずれかけている人はどうだろう。
逆に、仮に昔「飲む、賭つ、買う」をして周りの人を困らせてきた人でも、
晩年を周りの人に感謝の気持を持って過ごせばどうだろうか。
後者の方が自分自身も周りの人も許してもらえるのではなかろうか。

「晩節を汚す」という言葉がある。
名声・実績を残した政治家、経営者などに時々使われる言葉だが、
私など無名な人にも使われるかどうかは知らない。
どのような終わり方になるかは分からないが、間違わないようにしなければならない。

働きたい時には働く場所が無い

2006年09月13日 | 想い
家庭の事情もあり、60歳を機会に会社勤めを辞した。
元々会社勤めは好きではないので、ヤレヤレこれでサッパリしたと思っていた。
しかし、色々な事も一段落すると、次の心配が内からフツフツと湧き上がってきた。
ほんの僅かな年金ではこの先生計が成り立たない。
そんな事は辞める前から分かってはいた事だが、辞める事に気が急いでいた。
神経質なのに意外に能天気な私は、先の計算もロクに出来ず気楽に考えていた。
しかし、日毎生活をしているとのんびりしている状態ではない。
やっと尻に火が点いて気が付く己の馬鹿さ加減よ。

それでオズオズとハローワークへ出掛けて来た。
老若男女多くの人が職探しに来ている。
景気が回復基調にあると世間では言っているが、そこではそのカケラも見当たらない。
これはと思う求人票を数件持って窓口で相談するが、いずれもダメだった。
求人票のほとんどは、年齢不問、性別不問になってはいるが、
内実は45歳までとか、女性を希望とかがほとんどだ。
それならそれで初めから明記してもらいたい(昔は分かり易かった)。
どうもこの状況では、働く場所を見つけるのは非常に難しそうだ。

自己管理の難しさを感じる

2006年09月10日 | 想い

最近つくづく感じる事は、1年前の体力・気力になかなか戻れない、という事。
どうしてかなと色々に考えると、今どうしてもやらなければならない事が無いという事だと思った。

会社勤めをしているとイヤでも出掛けないといけない。
片道1時間ちかくを歩いたり、立ったままだったり、階段の上り下りをする。
また社内にあっても、社外へ外出するにしても知らないうちに歩いている。
毎日イヤでもやっていると、知らないうちに体力がついている。

また、愛犬が元気な時は朝夕(土日祝)必ず散歩に連れて出なければならなかった。
元気だった愛犬はとても散歩好きで、1回の散歩に4、50分はかかる。
しかも階段や坂を上がったりするので結構な運動量にもなった。

今はそのいずれも無くなり、強制されるものは何一つ無い状態だ。
水の流れのごとく、上から下へと易きを喜んで選ぶ私にとっては絶好の状態だ。
今日は少し暑いから、ちょっと寝不足だから、ちょっと身体がだるいから、とか
色々に理由をつけて動こうとはしない。
また動かなくても誰一人文句を言う人もいない。
私のような自己管理の出来ない人間にとっては、今が最悪の状態かも知れない。

家族葬が静かなブーム

2006年08月31日 | 想い
先日、民放テレビ地方版で「最近の葬祭事情」というのを放映していたので、興味を持って見た。
その中で、最近は「家族葬」が静かなブームになっているらしい。

「家族葬」は、家族や親族など身近な人だけで静かに故人を偲びながら通夜、葬儀をすること。
内容的には「密葬」と似たようなものかも知れない。
通常の通夜、告別式などに比べて費用が格段に安く済むのも利点だろう。
生前より、どんな形式にしたいのか、するのか、をちゃんと家族に伝えておくべきだ。
誰しも必ず「死」を迎えるのだから、葬儀の話は元気なうちにしておくのがいいらしい。

私は昔から「通夜、葬儀不要論」を言っている。それを実行してくれればよい。
遠くの人、忙しい人、義理で来る人、全て私には必要でない。
長年各方面で数多くの人に迷惑をかけて生きてきたので、死んでまで迷惑をかけたくはない。
また、葬儀に無駄にお金をかけて絢爛豪華に見栄を張ったところで仕方ない。
身近な家族だけに見守られて白骨になり、それを散骨してくれればそれでよし。