goo blog サービス終了のお知らせ 

自遊人の時間


毎日ブログを書くのもしんどいし、気が向いた時だけ書くことにしよう!

1年前の今頃は大変だった!

2007年06月09日 | 想い

愛犬ベスが昨年(平成18年)1月末に獣医から余命六ヶ月と宣言された。

一昨年、最初は口腔内メラノーマ(悪性腫瘍)に罹り、その後右足が骨肉腫に罹った。

その間、昨年3月までに6回の抗がん剤を投与した。

昨年6月、両後ろ足が動かなくなり自力で用が足せなくなった。

人間用のオムツを付け、妻と二人で介護をしていたのがちょうど1年前の事だった。

「五木寛之:21世紀仏教への旅」を見て

2007年05月05日 | 想い
NHKのBS2で「五木寛之:21世紀仏教への旅」シリーズを放映していた。
私も多少ながら仏教に関心があるので録画しながら何回かに分けて見た。
1回の放映時間が約2時間と長いので、なかなか一度に見ることが出来ない。
どうして1回分をこんなに長時間にするのか、私にはよく分からない。

約2500年前、仏陀は「人生は苦しみの連続である」と言った。
人はなぜ苦しむのか、
苦しみといかに向き合うか、
2500年の歴史は、その問いかけの歴史でもある。
21世紀を迎えた今も多くの人々が苦しみを抱えている。
その中にあって、仏教は何をなしえるのか。

第1集は「ブッダ最期の旅 インド」だった。
シリーズの最初はこのテーマで当然の事として納得出来るものだったが、
第2集以降次第に私には分からなくなってきた。
中国、韓国、フランス、アメリカなどにおける仏教の現状紹介であろうか。
それで何が言いたいのか。

インドをはじめアジアを中心として各国にそれぞれの仏教と呼ばれるものがある。
日本にも日本仏教と呼ばれるものがあるが、多くの宗派がまたある。
私が率直単純に思うに、仏陀の教えは一つであるにもかかわらず、
どうしてこんなにも多くの違いが出てきているのか、という事だ。
それぞれの時代時代に、また多くの人々が勝手な解釈をしながら、
元々の教えから大きく逸脱して伝えられているのでは、と強い疑問を持つ。

この番組での仏教は、五木氏が解釈している五木仏教のような気がしてならない。

今のところ新たに犬を飼うつもりはない

2007年05月04日 | 想い

また子犬を飼い始めたお家から招待されて行って見て来た。
以前一度、我が家の愛犬ベスを連れて遊びに行ったことのあるお家。
そこのお家ではゴールデンを飼っていたが、3ヶ月前だったか亡くなった。
今、広い庭の一角に墓所を作って埋葬してある。
その犬を撮った写真は5,000枚以上もあるとか。

そしてこの度、またゴールデンを選んで飼い始めた。
よく聞く話だが、次に飼う時もまた同じ犬種を飼いたがるようだ。
まだ3ヶ月半くらいの子犬だが、前のゴールデンと顔立ちがよく似ている気がした。

そこのお家はずっと夫婦二人だけの生活で、犬は子どものようなものであろう。
二人とも犬が大好きでよく可愛がっているが、躾けにもきびしいところがある。
前の犬も一時訓練学校に入れていたらしいが、今度の子犬もこの秋に入れる予定とか。

しばし犬談義をする内に、お宅でも飼いなさいよ!と薦められる。
しかし、今のところ我ら夫婦は新たに飼う気はない。
犬は可愛いし、家の中が明るく賑やかになるのは充分分かっているが、
何ヶ月かの闘病生活を見、苦しんでいた姿を思い出すと二度と同じ思いをしたくない。

孫に「ダメ!」と言えない難しさ

2007年04月21日 | 想い

孫が今1歳と2ヶ月ちょっと。ヨチヨチ1人で歩き出した。
段々と自我に目覚めてきているのか、自己主張をし出した。
また、興味深々で手当たり次第色々な物に触れたがる。
そして一時もじっとはしていないので目が離せない。

大人の顔色を見ながら、時には大人の反応を楽しんでいるかの様に悪さをする。
そんな時、私は過去において必ず「ダメ!」と強い調子で言ってきたと思う。
それが親が子供に対する「しつけ」だと思っていたからだ。
幼い時から、いい事と悪い事との区別を教えるべきだと考えていたからだ。
しかし、そうした対応の仕方は間違っている様だ。

以前にこのブログで紹介した本「子どもの花が育つとき」(内藤寿七郎著)によると、
3歳になるまでは「ダメ!」「いけません!」と言う言葉は使わないで下さいとの事。
子どもに芽生えかけた自我、個性を潰さないために。
子どもの目を見て、「~できるよね」「~しようね」と根気よく、ゆっくり語りかける事。

気の短い私にとっては非常に難しい話である。
著者内藤寿七郎先生は長年育児に携わってきた実績ある先生だから間違いないはず。
この本に書かれている事を信じて大人が実行するしかないであろう。
しかし、孫の行動を見てつい「ダメ!」と言いかけて口ごもり、
日本語にならない言葉を言ってしまう。

「まだ」と思う気持ち、「もう」と思う気持ち

2007年03月16日 | 想い
先日、NHK総合テレビのプレミアム10で「小椋 佳:63歳のメッセージ」が放映された。
その中で、「まだ」と「もう」という気持ちについてメッセージを発していた。
最新オリジナルアルバム「未熟の晩鐘」の中に「もうと言い、まだと思う」という曲が入っている。
63歳でありながら次々に新曲を作り出す現役の小椋氏には、今だ「もう」は無いであろう。

次第に年老いていく人が誰でも感じるこの言葉、小椋氏以外からもよく聞く話ではある。
「まだ」と思う気持ちは上り坂。
「もう」と思う気持ちは下り坂。
「まだ」と「もう」だけで大きく違ってくることはよく分かっている。

しかし、無芸無才の私はつい「もう」と思い、すでに下りに加速度がついている。
この下りの勢いを上る方に変えるのはとてもじゃあないが大変なことだ。
この歳になると、可能性の範囲は非常に限られてくるし現実の壁を強く感じる。

多くの中高年オジサン達は「まだ」という気持ちを持っていたいと思っているはずだ。
しかし現実を見つめると、やはり「もう」という風が頭を駆け巡るであろう。

白い梅の花を見ると思い出す

2007年02月22日 | 想い
義父が遺してくれたものに小さな仏壇と白梅の木がある。

この白梅は約30年前に義父が持って来て我が家の庭に植えてくれたもの。

30年経っても当時と変わらないくらいの大きさだ。

毎年枝が伸びてくるとバッサバッサと枝を切ってしまうので大きくなりようがない。

それでも毎年花が咲き、小さな実を付ける。

この白い梅の花を見ると義父の事を思い出す。

私は娘婿に何を遺そうか。

私の意識は平均的か

2007年01月29日 | 想い
昨日の朝日新聞「be on Sunday」に、
05年の内閣府による「高齢者の生活と意識に関する国際比較調査」の一部が紹介されていた。
全体の調査項目がどんなものかは分からないが、
孫についての祖父母の意識、親子関係についての意識が次のように解説されていた。

・最近の祖父母は、孫と一緒に生活するより時々会う方がいいと考えている人が多い。

・孫はかわいい。でも、子ども夫婦に頼まれての子守は、気もつかう。老いた身には結構疲れる。

都合のいい話ではあるが、私も上記2点について全く同感である。
ただ、孫と祖父母の関係が希薄してくるのは間違いない。

また、この調査によると親子関係も薄くなっていて、別居している子との接触は
日本人は「月に1,2回」と答えた人が最も多く5カ国(日韓米独仏)中で最低だった。
ちなみに米国人は4割が毎日会うか電話している。

私も別居している母親とは月に1回程度しか会わないし、電話もほとんどしない。
こうしてみると、私も日本人の平均的な意識の持ち主かも知れない。
だからと言って、これが誇れるものでも何でもないが。
最近は若い人を中心にメールでのやり取りが多くなっているようだが、
出来るだけ人と会って顔を見ながら会話する事を心掛けようと思う。

当たり前に生きることの有り難さ

2006年12月10日 | 想い
私は今まで比較宗教学者の町田宗鳳という人を知らなかった。
先日の6日、7日に朝日新聞の文化欄にあるコラム「こころの風景」で名前を知った。
書いてある内容が私にとっては心を惹かれた。
7日に書いてあった題は「今を生きる」で、文章の一部を採り上げてみる。

現代日本人は、当たり前に生きることの有り難さが分からなくなっている。
心と体がバラバラになってしまっているからだ。
美味なものを口にしても、美しい風景を見ても、心がそこにない。
今に生きて、今に生きていないのである。
誰がこんな世の中にしたのだといえば、ほかならぬ「私」がしたのである。
他人や社会を責めるうちは甘えがある。
自分の幸せを社長や首相が運んできてくれるはずがないのだから、
「私」が今という一瞬に心を込め生きていく。
真の幸福への道は、そこにしかない。

私は特に「当たり前に生きることの有り難さが分からなくなっている」に注目する。
そして、常に他人と比較するのではなく、自分を見つめる大切さ。
自分と向き合うことの大切さはよく分かるが、その事が非常に難しい。
常に私の心は外に向けられている。

今回のコラムを読み町田氏の考えの一端を知り得たので、
早速図書館に町田氏が書いた本を取り寄せることにした。

蜘蛛は網張る、私は私を肯定する

2006年12月03日 | 想い
タイトルの言葉は、NHK総合テレビのドラマ「ウォーカーズ」の中で出てきた言葉。
ドラマ「ウォーカーズ」は、四国八十八ヶ所めぐりをして自分を見つめる旅の話。

「ワシは何じゃったか、人間は何なんか」
「心の置き場を教えて欲しい」
「生きていくことがお遍路」
「お遍路は人生を見つめる旅」

ドラマのサブタイトルは「迷子の大人たち」となっている。
私なんか自慢じゃないが、今までずっとずっと迷い続けてきたし、今からも迷い続ける。
イヤな事や嫌いな事はずっとずっと避け続けてきた。
そうして生きてきた結果が、良くも悪くも今の自分だ。

お遍路は自分と向き合う旅らしいが、
私の場合は、このブログを書くことが私のお遍路かも知れない。
自分の心の内を素直に正直に表現することはとても難しい。

田中さま、あなたの仰る通りです

2006年11月01日 | 想い
自分が撮った写真を見ては、これはこのデジカメが悪いのだと絶対的に思う。
決して自分のセンスの無さ、デジカメについての基礎知識の無さについては一切言及しない。
そしてひたすらいいカメラを探し出そうと価格.comのクチコミ欄を覗き込む。
そこには、画質がどうとかノイズがどうとか色収差がどうとか色々に書いてあり参考になる。
この機種はなかなか評価が高くて、これならきっといい写真が撮れると疑わない。

私は昨年後半くらいからプロカメラマン 田中希美男氏のブログ
「Photo of the Day」を楽しく読ませていただいている。
非常にざっくばらんな語りで、いろんな角度からの解説が非常に分かりやすい。
10月30日付のブログには田中さんの「怒り」が書かれている。
どんな事が書かれているかはブログを読んで頂きたいが、一部の文章を無断転載する。
 
「アンタの写真なんかね、画質だノイズだと言う以前のシロモンじゃぁなのかい。まずね、もうちょいとセンスのあるフレーミングをしなさいよ、ピントぐらい正確に合わせなさい、もう少しブラさないで写しなさいよ、露出ぐらいきちんと合わせて撮りなさい。画質が悪かろうがノイズがあろうがなかろうがアンタの写真のレベルじゃ、かんけいないよ」

プロカメラマン 田中希美男氏のブログ 「Photo of the Day」
http://thisistanaka.blog66.fc2.com/