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お山にお宮がたちました

四国八十八箇所お遍路 第二十七番札所 神峯寺

第27番札所神峯寺は海岸から急な崖のように切り立った「神峯山(こうのみねさん)」の頂上付近にあり、登山道は、距離にして3km強で標高430mまで一気に登る、しかもほぼ一直線の急勾配坂道であるため「真っ縦(まったて)」と呼ばれる難所です。
しかし、この坂道は有難いことに先人の努力により車で近くまであがれる坂道になりました。

昭和50年(1975年)頃、当寺へは東から悪路の開拓道路を約8kmタクシーに乗車し残り30分山道を歩くか、麓からの急峻な遍路道を登るしか行きつけなかった。

同年1月、二代新住職になった南寛彦(みなみかんげん、平成26年9月遷化)は着任するや開拓道路からの徒歩道を小松直幹(公務員を退職後、神峯神社総代および当寺役員)と共に整備していたが、直接麓から当寺へ上がる車道を作ることを発願し、小松を理事長にして神峯道整備事業団を結成し、参拝に来て事情を知った宮地達観(土佐清水市、建設業社長)の協力も得て、同年10月より工事が着手された。

その3人と4名の作業員との7名で作業にかかり、2年後の12月一応の完成を見たが、その後数年間、神峯道は同住職が日夜作業にあたり改良を重ねられた。その後、平成元年神峯道は町へ町道として無償提供された。そして、平成23年には麓から中腹まで片側1車線の広域農道が開通し神峯道とつながった。

道路が完成した後、同住職は、当寺を厚く信仰していた手島豊(小松の元同僚)の奉仕を得て、新大師堂周辺や本坊周辺および斜面の庭園を自らユンボに乗り整備した。
以上Wikipediaより

何だか、人の想いの素晴らしさを感じます。そういえば仁王門の手前には小松直幹翁の像もありました。この話を知らなかったので、誰だろう?と思いました。

室戸の26番札所の後、第27番札神峯寺と逆方向に走り、御神木を見に行こうとしたものだから、往復1時間ロスしてしまい、神峯寺へは閉門時間直前の滑り込みとなりました。
高校生の時、始業チャイムと同時に教室に走った事を思い出します。笑
ナビに入れると閉門前ギリギリの時間に到着で、ナビは賢くて、本当にその時間に到着しました。これはやってはいかんのですが、走って先に納経所に行き、それからお詣りしました。

神峰寺のある安田町はちょっと高知市内から遠いのです。できればここまで行きたいねと朝から話してました。私が大杉見たいなんて言うからこんなことに。笑笑

納経所が17時で閉まるから、納経さえ終わればゆっくりお詣りできます。



走ったので喉が渇き、階段の右手の霊水を頂きました。冷たくてとても美味しかったです。鐘楼の裏手に湧く石清水は病気平癒に霊験あらたかであるという伝えがあるらしいですね。

北海道在住の女性が病の床についた際に、危篤状態の時に夢に弘法大師が現れ、大師は女性に鐘楼の後ろから湧く水を飲ませてくれて、目覚めた後に女性は一命をとりとめ、その後、その女性は全国を探して、夢に見た場所が「神峯寺」だったとわかったというエピソードもあるようです。


なんて綺麗に手入れが行き届いているのでしょうか?







神峯寺は四国霊場に4つある関所寺のひとつで、「土佐の関所」とも呼ばれています。これは昔の国境などにあった一般的な”関所”とは違い、「悪人は境内に立ち入ることができない」という信仰的な意味合いのもの。邪悪な心を持つ者や行いが悪い者が関所寺に入ると弘法大師が仏罰を下すといわれています。

滑り込みで入れたということは関所もクリア!間に合うように信号とかも手配されて全て善きお導きと考えます!

長い階段を上がるとお不動様がお迎えしてくれます。凛々しくてカッコいいです!

大師像がありました。

御本尊 十一面観世音菩薩
本尊真言 おん まか きゃろにきゃ そわか
ご詠歌 みほとけのめぐみの心神峯(こうのみね) 山も誓いも高き水音

こちらが本堂です。

こちらは経堂を兼ねた観音堂となっていて、聖観音立像を拝顔できます。観音堂の前には仏足石もあります。



寺伝によれば神功皇后が朝鮮半島進出の戦勝を祈願し天照大神を祀った神社が起源とされ、天平2年(730年)に聖武天皇の勅を受けて行基が十一面観世音菩薩を刻み、本尊として神仏合祀し開創したという。その後大同4年(809年)に空海(弘法大師)が堂宇を建立し「観音堂」と名付けたとされている。

幕末、三菱財閥創始者岩崎弥太郎の母は弥太郎の開運を祈願して現在の安芸市より片道20キロメートルの道のりを素足で三七日(21日間)通い続けた逸話がある。

明治初年の神仏分離令によって神峯神社だけが残り寺院としての部分は廃寺となり、本尊と札所は金剛頂寺に預けられ、金剛頂寺で納経をしていたが、明治20年(1887年)もとの憎坊跡に堂舎を建立し本尊と札所を帰還させ再興した。大正元年には茨城県稲敷郡朝日村の真言宗地蔵院の寺格を移し、そして、昭和に入って、それまでの神峯から神峯寺と称するようになった。
以上Wikipediaより

なかなか苦難の歴史があるんですね。難所にあったから道の整備も大変で、今のように車で近くまで来られてお詣りできることに感謝です。

本堂から更に上がると大師堂があります。お大師様の一生がご紹介されていました。


大師堂です。こちらもお詣りさせていただきました。



夕暮れ時になりましたがお詣りできて良かったです。帰りには、綺麗な夕陽もみることができました。


地元で美味しいといわれるトンカツ屋さんに連れてってもらい、夕飯を一緒に食べ、お腹いっぱいになってそのまま横で寝た旦那様に感謝しつつ、あたしが運転するのかぁ。。と思いながら帰路に着きました。笑




















コメント一覧

スーさん
こんにちは。
お不動様イケメンでしたよ!笑
滑り込みでお詣りするものではないのですが、駆け込み寺みたいに入ってお詣りさせて頂きました。
お陰様で夕陽に癒されました。
いつもありがとうございます!
スー
こんにちはー。
イケメンなお不動様ですねー。
周りの気に清々しさが感じられます。
旅の帰り道に見る夕陽、味があって良いですよね。
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