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お山にお宮がたちました

四国八十八箇所お遍路 第三十六番札所 青龍寺

第36番札所青龍寺へは海沿いを走ります。
天気はあまり良くなかったのですが海は雄大で美しいですね!

浦ノ内湾に架かる宇佐大橋を渡った半島の先端部に位置する小高い山腹に三重塔や多宝塔などが建つお寺が青龍寺です。




青龍寺に到着です。


お大師様が迎えてくれます。

三重塔です。


仁王門を入ると滝があります。水を頂こうかと思ったのですが勢いが良すぎてなかなか手で掬えませんでした。
ここが修験者の行場になっているようです。



170段の急な石段をあがらなければ本堂、大師堂に辿り着きません。




ようやく辿り着くと不動明王様がお出迎えしてくれます。


御本尊 波切不動明王
本尊真言 のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん
ご詠歌 わずかなる泉にすめる青龍は 仏法(ぶっぽう)守護の誓いとぞきく

寺伝によれば弘仁年間(810年 - 824年)に空海(弘法大師)によって開基されたとされる。
入唐求法の遣唐使として、恵果和尚より真言密教の奥義を伝授された空海が帰国の折、有縁の地に至るように祈願して独鈷杵を東方に向かって投げた。
空海はその独鈷杵がこの山中の松の木にあると感得し、嵯峨天皇に奏上。弘仁6年(815年)に恵果和尚を偲び、唐の青龍寺と同じ名の寺院を建立したという。
本尊の波切不動は、空海が乗った遣唐使船が入唐時に暴風雨に遭った際に、不動明王が現れて剣で波を切って救ったといわれ、空海がその姿を刻んだものであると伝える。 江戸時代初期には荒廃していたが、土佐藩2代藩主山内忠義によって正保年間(1644年 - 1648年)に再興された。しかし、宝永4年(1707年)には地震と津波で大きな被害を受け、江戸末期に再建された。

なお、本堂のある上段が如意山で、客殿のあるところが摩尼山の麓で、奥の院のある所が独鈷山であり、薬師如来が本尊の寺があった如意山に、奥の院の本尊不動明王を移し、その薬師如来は横に置かれ、そのあと大師堂を造ってずらっと並んだ伽藍の一つの寺になったとみられる。
以上Wikipediaより

本尊の波切不動明王(秘仏)は、空海が唐から帰国する途中で嵐に遭った際に波切不動明王が現れて波を切り開いたといわれ、その時に見た不動明王をかたどったため波切不動明王といわれ漁業関係者の信仰を集めています。

こちらが本堂です。


並んで大師堂があります。


小高いこちらにも不動明王様が祀られていました。

大師堂石仏です。
ずらりと菩薩様や観音様がならんでいます。


薬師堂です。
本堂、大師堂、薬師堂が一直線に並んでいるのですが、こちらは唐・長安の青龍寺を模したもののようです。


薬師堂の右隣には白山大権現がひっそりと佇んでいました。ご挨拶させて頂きました。

帰り、階段横に弁財天をお祀りしているのをみつけお詣りしました。



納経所を出て、奥に入ると、大師の師である恵果阿闍梨高祖を祀る恵果堂がありました。


こちらが多宝塔です。


元横綱の朝青龍がこの寺の階段で身体を鍛えたともいわれ、名前もこのお寺からいただいたとか。
見所の沢山あるお寺でした。


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