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お山にお宮がたちました

四国八十八箇所お遍路 第二十九番札所 国分寺

高知市のお隣の南国市にある第29番札所国分寺は、聖武天皇の勅願で全国に作られた国分寺のひとつで、土佐国分寺です。
国分寺があると言う事は、この辺が土佐の中心だったのですね。

御本尊 千手観世音菩薩
本尊真言 おん ばさら たらま きりく
ご詠歌 国を分け宝を積みて建つ寺の 末の世迄(まで)の利益(りやく)残せり

国分寺周辺には土佐の国府が置かれていて、「土佐日記」で有名な紀貫之も国司として4年間赴任していたとか。
弘仁6年(816年)には弘法大師が毘沙門天像を刻んで奥の院に安置しました。弘法大師が42歳のとき、土佐国分寺本堂で厄除けの「星供の修法」を修めています。
以上Wikipediaより

山門をくぐると木々が並び美しい参道が本堂に繋がっています。




こちらが本堂になります。
長宗我部元親が永禄元年(1558年)に寄進したもので、国の重要文化財に指定されています。天平様式を残した寄棟造りで、内部の海老虹梁は高知県最古のものと紹介されています。

本堂の屋根は「こけら葺き」でこちらも珍しいそうです。因みに写真に写っているのは夫です。

こちらが大師堂です。

こちらは酒断地蔵様。
あぁ、こんなお地蔵様がいらっしゃるなら父の酒の事お頼みしたかったなぁ。。と思いました。
ひとこと地蔵と呼ばれていたお地蔵様だったようですが、ある時『夫の酒をやめさせてほしい』とご夫婦がお願いしたところ、願いが叶ったのでそれから「酒断地蔵」と呼ばれるようになったと言われています。
父の事ですが、どれだけアルコールで身体を痛めつけたか。神様に身体をお返しする時きっと怒られるとも思います。

父のアルコールはさておき、今、ひとことお頼み出来るなら、母の全快です。。


本堂に向かって左手には「開山堂」があります。こちらには行基菩薩がお祀りされています。

納経所です。とても手入れの行き届いた庭園です。苔むす庭園と云われているようですね。

庭園には愛媛県出身の俳人・高浜虚子の親族の句碑や朝吹いそ子の歌碑があります。




 
山門を出ます。昔とあまり変わらないのではないかと思う景色が広がっています。こういう景色は癒されます。




国分寺隣に神社があります。総社と鳥居に書いてあります。



総社とは

日本の律令制において、国司着任後の最初の仕事は赴任した令制国内の定められた神社を順に巡って参拝することであったが、平安時代になって国府の近くに総社を設け、そこを詣でることで巡回を省くことが制度化された。

総社の多くは中世にいったん廃れたが、後に再興されたものも多い。ただし今に至るまで再興されずにいるものや、どの神社が総社だったのかわからなくなってしまった国もある。

以上Wikipediaより





とても清々しい歴史を感じさせてくれるお寺でした。
ご縁を頂きありがとうございます。



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