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39 からから、くるくる

からくり
 からくりは日本の伝統的な、精巧に手づくりされた機械、あるいは機械仕掛けの人形などをさす言葉だ。しかし機械という言葉がどちらかというと合理的で、冷たいというニュアンスを持つのに対し、からくりという言葉には、親しみや愛情、楽しみといった感情がこもっている。その感情には、その機械をつくりだしたヒト(作者)に対して向けられたものと、つくりだされたモノそのものに向けられたものの両方がある。
 からくり(絡繰、機巧、機関、唐繰)は、糸を張って動かすという意味の「からくる」という言葉が語源だといわれている。それは糸車のからからと回る音、くるくると回る様子から出た言葉であろうか。あるものごとの不思議を解明するために集中し、ひとつものごとがわかると、頭の中がくるっと回って、新たなものごとの理解や、様々な発想、アイディアが次々と生まれてくる。まさにこのような、からから、くるくると“頭の中”が回る様子をからくりという言葉は示しているようだ。
 この言葉のなかには、自分自身のための創造性の追及がある。自分自身のための、その夢の実現のためのテクノロジー(マニュファクチュア)の追求だからこそ、親しみや愛情、楽しみといった感情、知識欲、癒し、道楽・・・といった動機につながっていく。

田中久重「弓曳き童子」/東芝科学館所蔵。
現代の名工、東野進氏による復元

つくりだすものとつくりだされるものの間
 からくり儀右衛門と呼ばれた田中久重*01(1799~1881)の「弓曳き童子」の、まるで生きているとしか思えないそのきめ細かな動きは、まさに驚異的だ。小さな体に凝縮されたゼンマイと歯車による“からくり”の妙致。スケルトンの「茶運び人形」*02などを見れば、たしかにこうしたからくり人形はヒトの手によってつくりだされたモノだ、ということはわかる。しかし、この歯車のシンプルな組み合わせに見えるものが、なぜあのような精緻な動きを生みだせるのか。まるで歯車や木の腕木そのものに命が宿って動いているかのような、そして作者はこうしたモノに命を吹き込む霊能者なのではないか、とまで思いたくなるほどだ。
 しかも「弓曳き童子」を構成している“技”はからくりだけではない。刀や蒔絵が施された印籠、燐青銅で加工された弓、象牙・真鍮・鷹の羽等を使用した矢、真鍮製の歯車、燐青銅手打ち加工のゼンマイ、ひのき・かりん・赤ざくら等を使用した木部、金糸を使用した障子の布部、江戸ちりめん地の人形の衣装等々。ひとつのモノをつくりあげるために、幾多の職人たちがかかわりあっている。職人たちのこのからくり人形にかける熱意と工夫がひしひしと伝わってくる。久重を中心に、各々の熟練した“技”を持ち寄り、ひとつの目標に向かって職人たちを熱くまとめたもの。それはつくりだすものとつくりだされたものの間に存在する何かであって、職人たちの“情熱”をからから、くるくると回すもの。それが“からくり”の本質にあるものなのではないだろうか。そしてそれが、そのつくりだしたものをみる我々に伝わり、頭の中をからから、くるくるとまわし、夢中にさせるのだ。

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「茶運び人形」を復元したもの。下はその骨格(スケルトン)/東芝科学館所蔵。

*01:東芝の創業者の一人。東芝科学館には久重(1799~1881)の「弓曳き童子」や「万年時計」など見事なからくりが復元展示されている。
*02:細川半蔵頼直によって寛政8年(1796)頃に書かれた「機功図彙(からくりずい)」に記されたからくり人形の設計図をもとに復元されたもの。

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