
ラオコーン/ピオ・クレメンティーノ美術館 ヴァチカン
オリジナルと投影像
ヴァチカンのピオ・クレメンティーノ美術館にあるラオコーン像は、ギリシャ神話に登場するトロイアの神官の悲劇を題材にしたといわれる古代ローマ彫刻の傑作である。この像は今から500年ほど前の1506年1月14日、ローマのカポッチェ近くの葡萄園の下に埋もれていたティティウス帝の浴場跡の地下室から、数か所の重要な欠落部分を除いてほぼ完全なかたちで発見された。
それは当時発掘の様子を見に来たミケランジェロに、大きな感銘を与えたといわれている。それだけではない。千数百年の時を経て*01突如として現代(発掘当時)に出現した“完璧”とまで讃えられた彫像。人間の肉体の精緻な描写。苦悶する表情。神話が伝える一瞬の場面を切り取ることによる躍動感。ラオコーン像は、発掘以来、その類まれなる表現力、発信力により、人々を魅了し、想像を掻き立て、様々な創作活動を誘発した。
とりわけいくつもの“模倣”を生み出したことで有名である。それらはオリジナルを忠実にコピーしたレベルから、パロディ、二次創作とでもいうべき行為や作品に至るものまで様々なレベルのものがあった。彫像の発見された1500年代にすでに多くの複製が作られ、なかにはオリジナルと並び立つように称賛された彫像もあったという*02。
このラオコーン像ほどオリジナルとコピーという問題が付いて回ったものはない。サルヴァトーレ・セッティスによればこの「彫像の運命は、その投影像(模倣やコピーやパロディ、そして引用や暗喩)の運命と交錯しながら(略)曲折をたどった」*03のである。
失われたものの創造
ピオ・クレメンティーノ美術館の回廊のニッチには、もう一体のラオコーン像がある。瓜二つのこの二つの像の違いは、右腕を大きく突き上げているかいないかにある。右腕を突き上げたこのもう一体の像はレプリカと説明されているが、古い美術書などを見るとこの右腕を突き上げたポーズをとる像が「ラオコーン」として紹介されている。
実は1959年におこなわれた大修復以前は、ながくこの右腕を突き上げたポーズがラオコーンの正しい姿として定着していたのである。

ピオ・クレメンティーノ美術館にあるもう一体のラオコーン
/1959年の修復以前は、右腕を高く突き上げるポーズであった。(子供たちの手にも注目)
1506年にラオコーンが発掘された時、すでにこの右腕などいくつかのパーツが失われていた。人々はその失われた部位を創造力で補うことに躍起となった。題材となったギリシャ神話の一場面が、創造を掻き立てるベースとなった。さらには、この像の苦悶する表情などの表現力が、それに拍車をかけた。書物や伝承でラオコーンの物語をすでに熟知していたところに、現実(リアル)にきわめて近い、強烈な表現力をもつ彫像の出現。まさにその瞬間の生身の人間をメドゥーサが石にしてしまったかのような、鬼気迫る姿でその彫像は現前化したのである。それがいやがうえにも人々の創造力を掻き立て、天に突き上げる右腕は、あのミケランジェロが製作したという伝説まで生まれた。(現在はこの説は否定されているようだ。)
当時の人々の心境を、セッティスは、次のように説明*03する。人々は、自然の法則によって到底かなわぬものと知りながらも、頭の中で、あるいは石膏で、永久に失われてしまったオリジナルを復元しようと、目に見える、手で触ることができる古代のモニュメントの『向こうを見つめ』たのだと。
20世紀初頭に失われていた右腕の一部が見つかり、半世紀後にそれが本物であると認められるまで、オリジナルのラオコーン像には、突き上げる右腕のほか、いくつもの欠けている部分への継足しがおこなわれていたのである。450年もの長きの間、人々が真の姿としていたものは、オリジナル+二次創作の合体したものだったのだ。
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*01:ラオコーン像は、アタノドロス、ハゲサンドロス、ポリュドロスの3人のロドス人の合作として紀元前40~20年頃にイタリアで製作されたといわれている。*03参照。
*02:1500年代の文献におけるラオコーンの反響/ソーニャ・マッフエーイ/日向太郎訳/ラオコーン 三元社 2006.08.25
*03:ラオコーン―名声と様式/サルヴァトーレ・セッティス/三元社 2006.08.25 芳賀京子訳