goo

00 “建築”の再可視化へ向けて

 建築とは、雨風をしのぐためのシェルターとして、人類が獲得した最古の“技術”のひとつである。そして建築は、人間が環境世界へ住み込むうえで、重要な構成要素をなしている。
 
人類最古の“技術” 

 建築という“技術”は、文明の発展とともに堅牢な物理的存在として構築され、その不変性が永く“存在”の基準とされてきた。しかしその存在の基準が、古代ギリシャ人が考えた「物理的に不変かどうか」から、近代哲学が主張した「認識が可能かどうか」へと移り変わる*01とともに、“建築”の位置づけも変化する。
 アンドレ・ルロワ=グーランは「建築は、人間が世界を認識するための道具だ」*02とし、ル・コルビュジェは「建築は秩序づけることだ」*03とした。そしていま、ルチアーノ・フロリディがいうように、存在の基準が「相互作用の可能性があるかどうか」*01に変わる時、“建築”は、リアルの変容と同じく、バーチャル化の渦の中へと飲みこまれていく。
 こうした状況が行き着く先は、ポール・ヴィリリオがいう、「ドモテック(住宅安全管理システム)」*04であろうか。

居住に適した昏睡状態
 ドモテックの稼働により居住者は、情報通信をあらゆる場所で気軽に使いこなすことができる「リアルタイムのインターフェイス」によって、まさに「全てのものが居住者のもとに飛び込んでくる」*04状況に身をおくことになる。そして自分の家のあらゆるものをコントロールできる「動力」を身にまとった居住者は、「自分の家を『運転』する技術装置の真ん中に座るインタラクティブな場」の住人となる。
 このように、居住に必要なすべてのものをコントロールし、居ながらにして世界中のあらゆるものを引き寄せるドモテックは、しかし、伝統的な建物の「居住に適した環境」などではなく、「居住に適した昏睡状態」*04の場となる、とヴィリリオは警鐘する。なぜならドモテックは、「普段さまざまな機能を分離している距離と時間のズレをなくしてしまう」からだ。
 「ズレがなくなることによって、空間そのものや、それまで空間利用のリアリティを形作っていたものが消滅してしまい、もはや人は、これまでの構造化された空間に特別な意味を与えなくなる。」*04なぜなら、遠隔操作は、「事物間の距離や隔たりを仮想化」し、その結果、時間と空間の方向喪失、そして現実環境の急激な解体によって、方向基準を失った人間は、かつての、何がしかの『地平線』という古典的な参照基軸を、自分自身という参照基軸に置き換える。これによりわれわれは、(内向的な)自己中心的な空間のコントロールに向かい、もはやかつてのように(外向的な)外部中心的な空間の整備に向かうことはない、とヴィリリオは指摘する。こうして起こる現代住居の昏睡状態(コーマ)は、まさに『植物状態』に達しているというのだ。

バーチャル・リアリティの展開
 ドモテックは、まさに「バーチャル・リアリティ(仮想現実感)」の概念を居住装置にまで展開したものといっていいだろう。「バーチャル・リアリティ」とは1つの世界をコンピューターの内部ですべて実現しようとするものだ。そして前野隆司*05にしたがえば、同じく1つの脳内のニューラル・ネットワーク(小びと)の中に、すべての世界を実現しようとすることでもある。このような自己中心的な世界に閉じこもるドモテックの居住者は、リアルとバーチャルの境が判然としない世界の住人となる。

環境世界との対話を即すテクノロジー
 一方、人とコンピューターをめぐる最新テクノロジーのなかで「バーチャル・リアリティ」と正反対に位置する概念が、マーク・ワイザーが提唱したユービキタス(ubiquitous)であろうか。

 「バーチャル・リアリティは世界をシミュレートする膨大な装置の開発に焦点を合わせており,『すでに存在する世界をより豊かなものにする』というテーマには関心が払われていない」*06とワイザーは指摘する。
 彼は「最も完全な技術」とは,人類最初の情報技術と考えられる『書く』という行為や、産業革命で登場したモーターなどのように、「表面に出てこない技術」であり、「日常生活という織物の中に完全に織り込まれてしまっていて,個々の技術自体が私たちの目に見えなくなっているもの」*06だ、とした。そして、かつてのモーターが目の前から隠れてしまったように,コンピューターが背後に完全に隠されてしまう近未来を予想し、それを実現させるために「どこにでもあるコンピューター」(ubiquitous Computing)構想を提唱したのである。
 人間を取り巻く環境の中に、超小型のコンピューターと通信ネットワークを無数に埋め込み人間と相互作用させる、というその発想は、閉じた世界にすべてを実現しようとするバーチャル・リアリティの概念とは対極にある、我々と、我々が住み込む環境世界そのものとの“対話”を即すテクノロジーの提案でもある。
 そしてそれを居住空間に展開したものが“生きている家”=スマート・ハウスであった。

生きている家
 住む人の状態を見守りながら温度や湿度、灯りなどを最適に調整し、時に人と対話しながら様々な要求に応えていく“生きている家”=スマート・ハウスの発想は、1960年代の科学雑誌の中にはもうすでに登場している*07という。それをワイザー*08が「(ICチップの)超個体-すなわち相互接続された多数の部分からなるネットワーク-としてのオフィス」という考え方(スマート・オフィス/スマート・ハウス)として再提案したのである。
 この「(本やビデオテープなどという家中の)すべての情報に安価なチップを組み込んで、その所在と内容について交信できるようにする」*07という発想は、超小型で安価なICタグの登場と通信ネットワークの普及、そしてAR(仮想現実)などのインターフェイスの開発により、いまようやく、実用化の段階に入ろうとしている。
 アンドロイドがバーチャルに具体的な身体(リアル)を与えることによって、バーチャルとリアルの“間”をつなぐ技術であるとするならば、環境世界との対話を即すこの“生きている家”は、まさに環境世界を“実在(リアル)”として再び注目させる技術といってもいいだろう。

“見えない”技術
 人類最古の“技術”として登場した建築は、ワイザーのいう「最も完全な技術」の1つでもある。建築はすでに、我々の眼の前からその“技術”としての痕跡を消し去り、我々を取り巻く環境そのものとなっている。
 この技術の“消滅”は、ワイザーも指摘*06するように,技術的発展の帰結ではなく,人間の心理的な帰結によるものだ。すなわち人間は、あることを十分に理解すると,そのものをそれ以上意識しなくなる。記憶の奥底にしまい込み、「知っているつもり(FOK :Feeling-of-knowing)」という符牒のみが記憶の表面に残される状態となるのである。
 しかし建築は、我々が住み込む環境世界の中でも重要な構成要素の1つである。そして進展するクラウドの世界においても、その環境世界が“バーチャル”な世界を対照する“リアル”な世界として常に存在しつづけるとするならば、建築も、“リアル”な世界を構成するうえで重要な役割をはたしていかなければならない。それは“リアルをリアルたらしめる”技術としての役割である。しかしその役割を担うべき“建築”という技術は、いまは“見えない”技術でもあるのだ。

在点(ポイント・オブ・ビーイング)
 デリック・ドゥ・ケルコフは「テクノロジーとコミュニケーションの発展が速度を増すにつれ、相対的に私たちは速度をゆるめることが可能になり、そこに真の静けさを見つけることになる」*09と述べる。ヴィリリオが「昏睡状態」と捉えた同じ状況の帰結を、ケルコフは、自己認識を中心とした新たな意識改革の契機とみるのだ。

 ケルコフは、我々は「これまでの一次元的な『視点(ポイント・オブ・ビュー)』を手離し、代わりに新たな知覚であるところの『在点(ポイント・オブ・ビーイング)』を獲得する必要がある」と主張する。それは「遠近法(パースペクティヴ)」の成立から始まった、人類の環境世界の抽象化の流れが、バーチャル・リアリティへ向けてのテクノロジーの偏った発展により、ついには人々を「植物状態」にまで追い込むに至った状況の中で、「どこか特定の場所にたしかに存在しているという身体感覚」を足掛かりに、「在点(ポイント・オブ・ビーイング)」という「私たちの居場所を物理的に照会するための唯一のポイント」を獲得することの重要性を提起しているのだ。
 この「在点」という発想を持っていれば、「急速にテクノロジーで拡大した私たちの感覚が世界を動き回っても、自らを見失わずにすむ」*09のであり、ヴィリリオが危惧する「昏睡状態」にも陥らずに済むだろう。そしてこの「在点」の獲得において「建築」は重要な役割を果たすことになる。なぜなら「在点」は、「建築」がその重要な構成要素である環境世界(リアル)においてこそまさに確立されるものであるからだ。

再可視化で見えてくるもの
 “見えない”技術である建築は、ワイザーの環境世界との対話を即すテクノロジーなどとの融合により、別の様態を持って我々の前に姿を現すことが可能となるだろう。再び可視化された建築が示すもの。それは人間社会や環境に対する柔軟さと優しさに満ちたまなざしであり,文化や歴史など土地の記憶に対する配慮であろうか。相対的に速度をゆるめた我々の眼の前には,20世紀の速度と力に席巻された技術やデザインの影に隠れて見過ごされてきた様々なものが再び現れてくるにちがいない。それはバーチャル化の流れの中にあっても環境世界(リアル)に確固たるアイデンティティを与え、さらには視覚だけに捉われない、新たな知覚としての「在点(ポイント・オブ・ビーイング)」を伴う場となるはずだ。

 仮想世界の技術が急速に発達し、技術の発達に偏った渦が生じている現在、このアンバランスな状態を解消し、人間の精神と身体に生じている様々な“混乱”を収めるうえで、いま、建築という“見えない”技術を可視化し、環境世界(リアル)をリアルたらしめる“技術”としての再評価と、新たな知覚であるところの「在点(ポイント・オブ・ビーイング)」の獲得の場としての活用が求められているのだ。
todaeiji-weblog

*01:人類をリセット―クラウド革命/ルチアーノ・フロリディ/ニューズウィーク日本版 2009.10.28
*02:身振りと言葉/アンドレ・ルロワ=グーラン/新潮社 荒木亨訳 1973.07.30
*03:建築をめざして/ル・コルビュジェ/SD選書021 鹿島出版会 吉阪隆正訳 1967.12.05
*04:瞬間の君臨-リアルタイム世界の構造と人間社会の行方/ポール・ヴィリリオ/新評論 2003.06.20 土屋進 訳
*05:脳はなぜ『心』を作ったのか―『私』の謎を解く受動意識仮説/前野隆司/筑摩書房 2004.11.15
*06:21世紀のコンピューター/M・ワイザー/浅野正一郎訳 日経サイエンス 1991.11 日経サイエンス社
*07:複雑系を超えて―システムを永久進化させる9つの法則/ケヴィン・ケリー/アスキー出版 1999.02.10 服部桂監修 福岡洋一・横山亮訳
*08:ワイザーと彼の所属したゼロックス社PARC(パロアルト研究所)の提案。*06参照
*09:ポストメディア論―結合知に向けて/デリック・ドゥ・ケルコフ/NTT出版 1999.07.05 片岡みい子、中澤豊訳


todaeiji-weblog2 「建築とは何か」

    「建築随想」

  身ぶりと言葉
アンドレ・ルロワ・グーラン
新潮社

このアイテムの詳細を見る
建築をめざして (SD選書 21)
ル・コルビュジェ
鹿島出版会

このアイテムの詳細を見る
瞬間の君臨―リアルタイム世界の構造と人間社会の行方
ポール ヴィリリオ
新評論

このアイテムの詳細を見る
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )