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36 都市の言説

 LA(ロサンゼルス)の極限
 LAをめぐる様々な言説。古くはルイス・マンフォードの“都市”を壊滅させる『反都市(アンティ・シティ)』*01。磯崎新の“都市”が姿を消し、記号が遊離して飛び交っている『虚体の都市』*02。人の生き方と構築物、あるいは都市機構と採用される建築様式との『因果関係を否定する都市』(レイナー・バンハム)*03。強烈な自己の身体性の拡張の極限としての『モートピア』(槙文彦)*04。都市の概念、イメージが溶解し、極度に引き伸ばされ、風化し、すでに“都市”から『遠くにある都市』(ジャン=リュック・ナンシー)*05。異質性、現代性、密度感、集団表象、アクティヴィティなど都市がもつべき要素をある部分失っている『希薄都市』(坂牛卓)*06。そして高度情報化の中で、建築内部のプログラムをカモフラージュする『擬態としての都市』(宮島照久)*07など。
 これらの言説はLAが20世紀の都市の中においていかに異質で極限的な存在であったかを強調している。そして“都市”というものを考えるうえで様々な重要なテーマをこの都市は与え続けている。しかしこれらの言説の多くでは、まだそのLAと対比する意味での従来の“都市”という枠組みの存在が信じられていた。

LA郊外/Photo by (c)Tomo.Yun  http://www.yunphoto.net

20世紀都市の終わり
 ところがいま中国、中東などで猛烈な勢いで建設されている都市を目の前にして、レム・コールハースは『20世紀の都市は、もうすでに終わりを迎えている』*08という。ここで問題にされているのは、それらの都市が、中心らしい中心、これといった特徴や歴史的・文化的コンテクストを持たないこと。そしてものすごい密度と成長のスピードを持って作られていることなどに対し、もはや従来の“都市”の概念では捉えきれない存在になっているということだ。
 そして従来の“都市”を手本にする都市計画家たちが、それらの都市を目の前にして、どこからアイデンティティを引き出せばいいのか、どのような秩序を与えればいいのかという視点において立ち往生する。コールハースでさえ、『我々はただ、都市のメンテナンスをしているに過ぎない』*08と嘆いている状況がそこにある。

“都市”の本質
 かつてLAが極限に見えていたそのような都市が、いまや世界中に広がっている。こうしたなかでジャン=リュック・ナンシーは、そうした“都市”の変容は、実は歴史上『都市』と呼ばれてきたものの本質と同じであり、それがただ極限的なかたちをとって見出されているのだ*09、と述べている。
 もともと人々の歴史が物理的に刻み込まれ、日常的に人々の参照の的(まと)になる確固たる中心としての都市があったヨーロッパの諸都市は、都市の拡大に伴って街はその歴史的中心部から放射状に拡散していった。しかしそこにはまだ“都市”の中心が、求心性があり、“都市”を識別できる枠組みがあった。
 ところがそれがさらに拡張し、膨れ上がると、放射状に出ていた触手が、都市と農村を引きつけながら、引き離すクモの巣状の網状組織に変化し、フラクタルな増殖を始めた。その結果、都市はその中心を喪失し、またはいたるところに中心が現れ、かつての中心とおぼしきところに発掘された古代の城塞は、もはや都市を支えるものではなくなってしまった、とナンシーは言う。

相対化する“都市”の枠組み
 都市は自らを見つめ、自らを探し求め、自らが掘り起こした地下と基盤の都市に救いを求めた。しかし、もはやそれは「昨日の都市の見世物」でしかなく、それとは別の存在、あるいは別の本質、別の価値を持った何かへと向かっていかざるを得なくなっている。そこには従来の都市とはいえない「無意識を構造化した都市」がある。ナンシーはそれこそ“都市”の本質だ、というのだ。
 そして若林幹夫は、こうした隠れた“都市”の本質は、実は西洋の中世都市の成立の過程の中ですでにその萌芽が見出されていた*10と指摘する。西欧の市民社会の原型となった「市民の共同体」としての都市の在り方は、“都市”が具体的な場における人間の集合体として存在するときに取りうる可能なあり方のひとつの特殊なあり方にすぎなかったのだ。
 世界中の都市を検証する際に常に対比される「従来の都市」という枠組み。それはあきらかに西欧の“それ”であった。いま、その“都市”の枠組みは、より“本質”的なものをベースに相対化される。
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*01:歴史の都市 明日の都市 ルイス・マンフォード/新潮社 1979
*02:見えない都市/いま、見えない都市 磯崎 新/大和書房 1985.03.30
*03:ロサンゼルス・東京:見えないオーダー 辺見浩久/篠原一男経由 東京発東京論/鹿島出版会 2001.07.30
*04:アメリカ-ハイウェイ・独立住戸・スカイスクレーパー/記憶の形象-都市と建築の間で 槙文彦/筑摩書房 1992.08.20
*05:遠くのロサンゼルス ジャン=リュック・ナンシー/遠くの都市 ナンシー他/青弓社 2007.03.16
*06:可能性の包容 坂牛卓/篠原一男経由 東京発東京論/鹿島出版会 2001.07.30
*07:TASTE IS WASTE 宮島照久/miyajima weblog 2005.04.28
*08:Nicolai Ouroussoff/New York Times News Service/クーリエ・ジャパン2008.12
*09:遠くの都市 ジャン=リュック・ナンシー/青弓社 2007.03.16
*10:CIVITASではなく、SUBURBIUMからの思考 若林幹夫/遠くの都市 ジャン=リュック・ナンシー他/青弓社 2007.03.16


歴史の都市明日の都市 (1969年)
ルイス・マンフォード
新潮社

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いま、見えない都市
磯崎 新
大和書房

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篠原一男経由 東京発東京論

鹿島出版会

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記憶の形象―都市と建築との間で
槇 文彦
筑摩書房

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遠くの都市
ジャン=リュック ナンシー,ジャン=クリストフ バイイ
青弓社

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