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52+6 リアルの変容06

 「Borg(ボーグ)」やAR(拡張現実)、最新の3D技術など、“情報有機体”へ近づく技術革新には目覚ましいものがある。しかしこの技術の発展にはアンバランスがあり、人々のコミュニケーションから肉体を不要にしようとしている。それは自己の“肉体”を足掛かりにしてきたリアルの在り方そのものも大きく変えようとしている。

ASIMOはアンバランス解消の切り札になるのか

 存在の基準が「物理的に不変かどうか」から「認識可能かどうか」や「相互作用が可能かどうか」に変わったころ*01から、リアルは変容を始めたといっていいだろう。認識可能性の重視はコミュニケーションの効率性の偏重を招き、世界の究極的な実在を“情報”とするパラダイム・シフトを引き起こした。そして相互作用の可能性の重視は、人間の拡張、魂の拡張としてのクラウドの世界の招来によって、バーチャルとの区別がつかない状況を生み出しつつある。

心そのものがバーチャルワールド
 心を持つロボットはつくれる、と断言する前野隆司は、「人間の意識も、意識活動にともなうクオリアも、実は脳による計算、言ってしまえば幻想なわけで、そこに実在はない」*02という。そして実は人間の心そのものが「巧みで繊細で美しいバーチャルワールド」なのであり、人工のバーチャルリアリティとの違いは、リセットできない(今のところは)ことだけだ、と主張する。
 しかしこの主張には、前野自身も言うように、「自分とは、外部環境と連続な、自他不可分な存在」*02であるという前提があり、具体的な身体を持って環境世界へと住み込み、その世界で相互作用を図ることこそが、心を獲得することの前提となっているのだ。
 もちろんラマチャンドランの研究*03が示すように、容易に自分の身体イメージを書き換えてしまうという脳の特性を利用すれば、こうした外部世界そのものをバーチャルなものに置き換えることも可能かもしれない。たとえば“リアル”から“リアル”への転身をテーマにした「アバター」自体が3Dを駆使した「映画」の世界(バーチャル)であったのと同じように。
 リアルとバーチャルの関係は、自分の立ち位置によって幾重にもバーチャルとリアルが入れ代わる複雑な入れ子構造を成しているといっていいだろう。その入れ子の究極的な姿が、このような、我々が住み込む環境世界そのものを人工のものに移し変えること、なのだろう。しかしそれはまさに宇宙全体をつくりだすことに他ならないのかもしれない。

宇宙はコンピュータのプログラムなどではないのかもしれない
 多くの物理学者は、考えうる最小の極微の世界*04では、時空はもはや滑らかではなく、粒々の「泡」だらけになるという。その微小の泡ひとつひとつに1ビットの情報が含まれていて、世界はぶつぶつのデジタルの世界*05だ、というのだ。
 これが“世界は情報から成り立っている”ということの重要な論拠のひとつになっているのだが、最新のM理論*06によると、この時空が泡だらけになる「最小の距離」は時空の終着点ではなく、それよりはるかに小さな距離の世界でもデジタル化されない滑らかな、連続的な構造をもつ場の理論が通用する*07という。すなわち宇宙は、ぶつぶつのデジタルの世界で終わりではないのかもしれないのだ。
 連続した構造をもつ場の理論からデジタルな構造へ、そして再度滑らかな連続性へ。物理学におけるこうした概念の変遷は、実は従前の概念があらたな理論展開を受けて、はるかに高いレベルの概念として再復活する、ということでもある。
 “情報へ”という大きな流れの中で、宇宙のさらなる本質はデジタルではないのかもしれない、というこうしたあらたな理論展開は、“強いAI”批判を展開し、統語論と意味論の立場から「いかなるプログラムも、それだけではシステムに心を与えるのは不十分である」*08としたサールとは別次元の論拠として、「宇宙はコンピュータのプログラムなどではないのかもしれない」*07といえるのかもしれないのだ。

リアルをリアルたらしめる技術
 環境世界をつくり込むことは、宇宙をつくり込むことである、とするならば、そして、その宇宙はプログラムなどではない、とするならば、バーチャル技術がいかに進展しても、環境世界そのものを、バーチャルで置き換えることは困難なのかもしれない。
 
もしそうだとするならば、ネット上のバーチャルな世界に、現実(リアル)の世界が飲み込まれるかのようなクラウドの世界においても、環境世界そのものは、その“バーチャル”な世界を対照する“リアル”な世界として常に存在し続けることだろう。
 いまバーチャルとリアルが複雑に交錯し、我々の精神のみならず、身体をも巻き込んで、我々を“混乱”に陥れているのは、石黒浩*09が言うように、バーチャルをリアルへ限りなく近づける“技術”が、あまりにも突出して発達し過ぎているためであろうか。この混乱を収めるために石黒が提案するアンドロイドは、バーチャルな世界にリアルな身体を与えることによって、リアルとバーチャルの“間”をつなごうとする“技術”と言ってもいいだろう。
 そしてもうひとつ、いま、リアルをリアルたらしめる“技術”にも注目する必要があるのではないだろうか。
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*01:人類をリセット―クラウド革命/ルチアーノ・フロリディ/ニューズウィーク日本版 2009.10.28
*02:脳はなぜ『心』を作ったのか―『私』の謎を解く受動意識仮説/前野隆司/筑摩書房 2004.11.15
*03:脳の中の幽霊/V.S.ラマチャンドラン/角川書店 1999.08
*04:プランク長さ(10の-33乗cm)が、この世界で取りうる最小の長さという。
*05:こうした考えに従えば全宇宙の“情報”の量は、10の100乗ビット以上という途方もない数字になる。この単位をグーゴルgoogolといい、グーグルgoogleの名はこれをもじったものだ。*06参照
*06:Mは「membrane(膜)」の意味。「matrix(基盤)」「mystery(謎)」「magic(魔法)」「mother(母)」の意味にもとれる。超ひも理論とM理論は本質的に同じだが、M理論のほうがより高度な概念で、さまざまな超ひも理論をひとつにまとめている。現時点では、M理論だけが、現代物理学が直面している最大の課題、一般相対性理論と量子論をひとつにまとめ「万物理論」にする可能性を持っている。
*07:パラレルワールド-11次元の宇宙から超空間へ/ミチオ・カク/日本放送出版会 2006.01.25 斉藤 隆央訳
*08:ロボットの心―7つの哲学物語/柴田正良/講談社 2001.12.20
*09:人とロボットの秘密/堀田純司/講談社 2008.07.03


脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動意識仮説
前野 隆司
筑摩書房

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