昨日、最高裁は、性同一性障害特例法での生殖要件規定が違憲であるとの判断を示した。これは、戸籍上の性別変更に生殖能力を無くす手術が必要であるとの規定を違憲とし無効としたものである。私は、同性愛者では無いが、そのような人々がいることは否定するものでも無い。個人の自由だとは思うが、かねてから手術をしてまで戸籍上の性別を変更するのは、その人についても、社会制度上についても、少し異常ではないかとも思っていたので、何か納得出来る判断であったと思うが、さて、それでは、戸籍という制度をこれからどうして行くのだろうかとも心配している。昭和の時代には考えられなかったようなことが起きているのだろう。そこで問題となっているのは、性別などに関係のない、個人個人がどう生きるという、生き方についての自由が保障されるべきだという考え方なんだろう。今までの常識や観念に囚われることなく、どうすれば自分らしく生きるかということだと思う。そして、それが、ロシアや中国などの専制管理国家と自由主義を尊重している国家との違いということになるのだろう。
フリースクールの話題について取り上げていたテレビ番組を見ていて、国が定めている、親が子どもに教育を受けさせる義務という考え方と、子ども自身の教育を受ける権利はどうなのかということを考えた。先日の東近江市長の発言は、制度としてのフリースクールの欠陥を主張していると思われるが、様々な子どもがいて、学校生活を送る中において集団生活に馴染めず排除されている子達がいることも事実であり、かといって、ただでさえ加重労働が指摘されているような教員が、必ずしも個々の子ども達に対応出来ているようなことがないのが現実であり、自然と、いじめの対象となったり、それが原因で不登校にならざるを得ない子どもがいる。その意味では、不登校の子ども達の教育を受けるという権利は侵害されていると言える。現在の大部分の学校という制度は、明らかに学校にとって都合の良い優等生を作り出す制度となっている。
別に日本保守党の提灯持ちをするつもりはないし、彼らの言っていることが全面的に正しいとは思っていないが、百田氏の街頭演説など聞くと、一理あるかなと思うのは、例えば、自民党・公明党連立政権は、二世三世議員が多数を占めていて、家業としての政治家をやっていて、口では常に立派な事は言ってはいるものの、給与所得者の実質賃金が過去30年間にわたって増加しなかったことや、消費税増税があるたびに景気が落ち込んできたことなどは、百田氏の指摘の通りであるし、与党は、拉致問題の解決を何十年も政治課題として言ってきても何等解決がされていないし、また、相変わらず中国などに弱腰であることも事実だし、中国資本などが我が国の山林や無人島などを購入することに対する法的な規制を作るということもしていない。確かに我が国における、私的財産権が極端に強いという憲法上の制約はあるにしても、政治家がやる気さえあれば民法などの改正は可能なはずで、中国で日本人に認められていないことは、我が国でも中国人には認めないということでの外交上の相互主義は、国際法にも合致することだと思うが、何らかの利権に障りがあるのか、それとも単に弱腰なのか、自民党・公明党政権では一向になされていない。LGBT法案にしても、強硬採決をする前に、例えば、ジャニー喜多川氏の同性相手の強制わいせつ、児童虐待行為が、何故 、警察で立件しようとしなかったのかを明らかにして欲しかった。確かに一定の性自認を持つ人達がいることは認めざるを得ないし、その人達の人権に配慮すべきだと思うが、かといって、国民の間で議論が熟していないのに同性愛者だけの利益に資するような法案はどうかと思う。警察では、鶏姦などについては手口分類上は存在を認識していたはずなのに、ジャニー氏の行為が警察沙汰になったことが一回でもあっただろうか。同性間でそのような行為があるはずが無いという先入観に捕らわれていなかったのだろうか。それとも、ジャニーズ事務所という政治家とも関わりのあるものに対する介入を嫌ったのだろうか。LGBT法案を議論するに際しては、例え同性間であっても不同意性行罪は成立するし、特に、男性間の強制的な、或いは、児童に対するそのような行為があるという事実、そして、それを如何に防止するかという議論も同時になされるべきだったと思う。
日本保守党の、保守とは、国民を守るというものだという主張には賛成で、我が国が太平洋戦争に突入するに際して欠けていたのは、その思想ではなかったのかと思う。その当時は、右翼や軍部が国民を煽り、それに対して政治家には力が無く、天皇は軍部に反する態度に抑制的であり、新聞などのマスコミも迎合して国民を煽った結果、極めてリスクが大きく、国民の犠牲も大きいことが判っている、あの戦争に、一億玉砕などという一種の神がかり的な精神論で突入していき、国民の多大な犠牲、北方領土など国土の喪失と外国軍隊による国土の占領という、我が国の歴史に類を見ない極めて惨めな敗戦を迎えたのだった。そして連合国との講和後に、ようやく独立を達成したものの、その対価として、日米安保条約では、日本国内に米国軍の存在を認め、その後の一部改正で、有事の際の米国の日本防衛義務を定めたものの、聞くところによると、当時の外務省高官と米国との間には秘密協定があり、そのせいで、仮に北方領土が日本に返還されたとしても、米軍から要請されれば北方領土に米軍基地を置くことを断ることが出来ず、その為に、北方領土に対する日ロ交渉が成立しないという。自民党は、口では、北方領土返還をロシアと交渉するとは言いながら、ロシアが絶対に飲めない、返還された北方領土に米軍基地が置かれかねないという秘密を国民には明らかにはしていない。まさに、立派なことを公約しても実効性が全くないという、自民党政治の本質を示している。
自民党は保守政党であるというが、70年前に米占領下で成立した憲法を、未だに一項目でさえ全く変えないという、諸外国にも例を見ない、憲法聖典思想に立っているのではないかという疑いもある。もし、そうで無いというなら、今なら、国会の議席で絶対多数を占めているのであるから、せめて、自衛隊の存在を認め、侵略された場合の交戦権を認めるための憲法改正の発議をすべきではなかろうか。それを、しないという口実のみを述べるだけでしないというなら、そんな政党に保守を名乗る資格はないと考えたい。百田新党は、今のところ欠陥だらけで、いつ消滅してもおかしくないとは思うが、上級国民を守り、自らの議員利権を守ることを目的としたような政党との対立軸としては、一定の存在意義があると信じたい。
今日も朝から暖かい。まだまだ暑いと言っても間違いではないと思う。予報では、昼に雨が降り、その後に気温が下がるとのこと。暇なので、参議院議員補選の期日前投票に行ってきた。立候補者の二人とも知らない人達である。NHKの出口調査が待っていたので十問くらいの質問に答えた。
朝は、4時半過ぎに散歩に行った。朝早いのに散歩している人が複数いた。一時間くらい散歩して、帰宅後は新聞を見て、ブギウギを見てから、あさイチに蒼井優が出ていたので見た。TVドラマを録画していたのを見たが、今放送されているドラマは、どれもつまらなくなっている。
滋賀県の東近江市長が、不登校対策を議論している首長会議で、「文部科学省がフリースクールを認めてしまったことに愕然としている。フリースクールは国家の根幹を崩しかねない。」と発言したと報道されている。現在の学校教育に問題があって継続的に不登校児を生んでいるという意味で発言したのであれば、私は、彼の意見に賛成しないでもないが、その後の彼の発言が、「大半の善良な家庭は、嫌がる子に無理にでも学校に行かせている。」と言ったというのであれば、彼の考え方は根本的に間違っているのではないかと考えている。
私の経験から言えば、私は、学校や集団生活に馴染めない子供であったと思う。それは、家庭環境から生じたものか、内向的で自分勝手な性格からのものかは知らないが、とにかく、集団と交わったり、自分の意見を言うことが苦手であった。そんな私にとって、学年が進むにつれ、徐々に、授業中も、休み時間なども苦痛になってきて、どうすれば、その苦痛の時間をやり過ごすのかに苦悩する毎日であった。私の60年以上前の時代には、フリースクールは周りには無かったし、私の家は、公務員家庭でもあって、頑固な親の頭の中にも、私自身にしても、不登校などという選択肢は最初から思い浮かぶことも無かった。高校時代も、クラブ活動に参加せず、友達も皆無であったが、そのことを誰かに相談したりすることも無かった。そんな経験からすると、不登校とか、フリースクールという選択肢がある今の子供達が羨ましい。勿論、フリースクールの質や、その指導者にもよるだろうし、学校教育を完全に補完する存在では無いだろう。問題は、学校に馴染めなかったり、友達を作れない子供達へのケアが無いという問題に帰着すると思う。
例えば、最近は、通信制の高校に在籍する生徒が増えているとのこと。その原因として、やはり、集団生活に馴染めなかったり、いじめに遭ったりして不登校になったり、普通の高校に満足できない人が増えているということだろう。私は、それでも普通の高校に通ったが、大学在学中には、ついにドロップアウトしてしまって高卒の資格で就職した。しかし、大卒の人に比べて、昇進や昇給の面で不利であった。それだけではなく、対人関係が苦手であったり、知識面だけでははなく、物事に対処するやり方も大卒の人に劣っていると感じたことも再々あった。退職間際になって、放送大学に入学して、別のコースを三回卒業して、卒業証書や学位記も三枚貰って、漸く、大学を卒業していないというコンプレックスが少しは減じたかのようにも思っているが、それでも、過去の小学校から続く学校生活で、もう少し楽しんでいたら以後の生活が大分変わっていただろうと悔しく思ったりもする。行政では、臨床心理士をスクールカウンセラーとして学校に派遣する事業も増えているとのことだが、それでも学校に馴染めない子供は増える一方ではなかろうか。学校におけるいじめなども、その延長上で、そのような子供を見つけて集団でいじめるということではないか。フリースクール否定論を唱えることは、それだけではなく、現在の学校制度そのものを是認して、改革しようともしないことにもつながっているのではないか。市長ともいう要職にある人は、もう少し考えてから発言して欲しい。また、IT化の時代で、情報機器を通しての通信教育や、他国の大学教育なども場合によっては受講出来ることが可能となっている現在、明治から続いてきた学校教育そのものの意義や方法を考え直して欲しいものだと思う。その意味では、教育制度を変革することによって、日本の現在の、上級国民以外の国民には、随分閉ざされたようにも思える国家制度の根幹までも変えて欲しい。