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conscience

my diary

My birthdayに余計な事を考えてしまう。

2023年01月12日 | 日記
 山里亮太の不毛な議論というラジオを聞いていて今朝は眠くて仕方がない。放送の中で、彼は、自分の小中高時代のエピソードを失敗談を交えて回想していたが、私にはとても羨ましく思った。というのは、私自身は、幼少期から内弁慶で外に向かって活発な子供ではなく、クラブ活動にも全学生生活を通して不参加で、また、クラスメートの中に入って遊ぶ等のことはしなかった子供であった。社会性は、他者との関わりの中で育てられるというのは真実で、他者との関わりの少なかった私は、還暦過ぎの今に至るまで孤独で、社会性の欠ける人間として過ごしてきたと思う。全く、人の事を思いやったり、自分自身のことを客観的に顧みることの出来ない人間であった。今となっては、最早、取り返しのつけようもないし、このまま生きていくしかないのだろう。両親の育て方、自分自身の性質、地域や学校の環境、何が悪かったと詮索しても始まらない。
 それはそうと、人口減少で下方に向かって負のスパイラルの中にある我が国では、物価高により更に格差が拡大しつつあるとのこと。物質的格差、教育格差等が顕著になりつつあるが、年金暮らしの高齢者としては消費者物価の高騰が大きな影響を及ぼしつつある。かといっても、戦後の昭和20年代最後の年に生まれた私にとっては、世の中が貧しかった暮らしを経験していて、給食なども小学校高学年で始まったし、テレビも小学生になってから我が家では買ったし、自動車も小学校4年生くらいの時に父親が買った。それと比べると、今は物価は高くなっているが、それでも、昔には無かった物でも買おうと思えば買うことが出来る。自分の残りの人生を思えば、そんなにお金があってもしようがないし、子供もいないので、物価高の世の中でも、今のところは、それなりに生活を維持している。しかし、それでも、例えば、新しい自転車や眼鏡を買うことに躊躇してしまう自分に気が付くことがある。貧乏性というか、長年培われてきた性格は直りそうもない。株式を少しだけ持っているので、昨日までは、昨年の1月からすると60万円の額面上の利益は出ていたが、このまま持っていても良いものだろうか、それとも、ここらで手じまいして、日経平均で2万5千円前後まで値下がりするのを待ってから再投資すべきかと迷っている。
 欲を言えば、現在住んでいるマンションが少々古くなってきたので、年齢がいって動けなくなる前に新しいマンションを物色したいと思うが、それも億劫になっている。宝くじでも当ればそうしようかと一縷の望みもあったが、夢は消えてしまった。コロナでの高齢者の複数の死者が毎日報道されているが、老健施設などでクラスターが起こっていて、それで老人が多数死んでいるのだろう。世の中的には、高齢者や持病を抱えている人などの弱者を半ば公然と葬り去ることが出来るので、コロナ禍は、ある意味では、超高齢化社会に向かっている日本や中国にとっては、役に立つ疫病であるかもしれない。全世界で70億もの人口があり、コロナ禍にも関わらず、毎年増加しつつあるとのこと。「アフリカ・アジアなどの可哀そうな子供に食料や医薬品を」というコマーシャルを良く見るが、地球全体を考えると、人口調整の必要があるのに何を言っているのだろうかということでもあろう。とりわけ、弱者淘汰の世の中になりつつあるのだろうか。
 一方、政府は、少子化対策を検討するとのこと。歴代の少子化担当大臣は何の仕事をしていたのだろうか。少子化対策という面では、1970年代ごろから予想がついていたのに、ほとんど何もしなかったといって過言ではない。それどころか、家庭の構成人数の減少が顕著なのに、女性にも働けと男女雇用均等法まで作って、しかも、保育所などに金をかけていない中で、子供を産めということは、どだい無理であろう。しかも、結婚年齢が高齢化するにつれ、女性が子供を産む能力も衰えてきているのではなかろうか。せめて、移民を認めるとか、シングルマザーのケアに多くの予算を使うとか、不倫も文化の一つだと認めるとか、異次元の少子化対策というのならその位のことをしてはどうだろうか。
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