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conscience

my diary

身体性(危機感)の喪失

2022年01月03日 | 日記
 都会化が進むと人々が主に脳の中でだけで考えるようになるというのは養老孟司先生の説だが、それも道理があるなあと考えている。若い世代が、高学歴化が進んでいる割には考え方が幼稚化しているということは常々感じていた。AI化が進み、自動運転車両やロボット兵器が夢では無くなってきたが、そこで問題となるのは、我々人間は、動物の一種であり、その身体性というものを無くしてしまっては生きていけないということでもある。例えば、人は必ず死ぬのであり、また、醜くもあり、弱くもある生き物でしかない。(どんな美人であっても例外は無い)今は、田舎でも都市化し、金さえあれば、それなりの便利な生活は維持していけるが、それは、ある意味では、歴史的に恵まれすぎている生活でもある。しかし、日本列島は災害列島でもあり、地震、噴火、津波、台風などは常時どこかで起こるのであり、平安時代や鎌倉時代の僧侶が、諸行無常と言っていたのは、今でも当てはまることではある。宗教が衰え、形式化してしまった現代、我々は何を頼りに生きてゆくべきなのだろうか。瀬戸内寂聴さんは、大正時代に生まれた女性でありながら、自らの欲望を自覚しつつ、世間からの数々の批判を受けながらも自らの生き方を全うした。人は、自分の弱く、醜い身体性を自覚しつつも、慎ましくも生き生きと生きるべきではなかろうか。そんなことを考えている。
 日本は、今後、急速な高齢化の進展で多死社会となり、少子化に伴い労働力人口が急減し、移民政策を取らない限り国力が急速に落ちてくるだろう。移民政策に転換するにしても、30年間賃金が上がらないこの国に来てくれる外国人は今後望めなくなるのではなかろうか。国民に危機感がなさすぎる。
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