おやじのつぶやき2

「おやじのつぶやき」続編。街道歩きや川歩き、散歩がてらの写真付きでお届けします。

西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。その3。多摩湖橋。慶性門。

2023-01-09 13:43:35 | 都県境を探る

小さな河川が貯水池に流入します。そのため、この先、けっこうたくさんの橋が出てきます。

「こぶし橋」。

ただ水面は見えません。周辺の木々になぞらえて付された橋の名のようですが。それにふさわしい絵柄。

   伐採した木がたくさん。

右手に長屋門が見えてきます。

左手遠くに湖面。

「多摩湖橋」を渡ります。

「慶性門」。

慶性門
明治45年(1912年)、ここに貯水池が建設されることになりました。
村山貯水池(多摩湖)になったところに住んでいた人々は、移転しなければなえりませんでした。
上貯水池は大正13年(1924年)に、下貯水池は昭和2年(1927年)に完成しましたが、その間に湖底にあった160戸余りの家々が移転してきました。
慶性門は、石川の谷(現在の上貯水池の西部)にあった慶性院山門で、寺院の門としてはあまり一般的ではなく「長屋門」の形式をとっています。最近では、ほとんど見られない門構えの形です。
大正11年(1922年)、慶性院が現在の芋窪に移転したとき、山門はそのまま取り残されてしまいました。
昭和29年(1954年)、貯水池愛護会の有志は荒れ果てた山門の姿に心を痛め、ここに移転し修復しました。
このときに、この山門が文久元年(1861年)に建てられたことがわかりました。
この移転から40年近くが経過した平成3年(1991年)、再び修理をし建設当時の姿を現しました。
東大和市は、まちの歴史の象徴として、この建造物を永く保存することにしました。(「東大和市」HPより)

      

この付近は、「湖底の村広場」として、埼玉県所沢市に入りこんだ、東京都東大和市になっています。また、「ダイダラボッチ像」がある、とのこと。マニアの間では、心霊スポットとして存在しているようです。

※「ダイダラボッチ」は、日本の各地で伝承される巨人。 類似の名称が数多く存在するが、以下では便宜的にダイダラボッチと呼称する。 山や湖沼を作ったという伝承が多く、元々は国づくりの神に対する巨人信仰がダイダラボッチ伝承を生んだと考えられている(鬼や大男などの妖怪伝承が巨人伝承になったという説もある。)。(「Wikipedia」より)

(「Googleマップ」より)

実は、この建物が見え始めた頃から、どこからともなく笛の音が聞こえてきました。哀愁を帯びた調べ。激しく行き交う車の列ですが、それとは異空間のような雰囲気で、しばらく聞き惚れてしまいました。

           信号機の脇にいる方が吹いています。

多摩湖の湖面。

案内板。

         「保谷狭山自然公園自転車道全体図」。多摩湖を一周し、東に向かいます。

所沢市側に家並みが。

               「restaurant teicintei(堤新亭)」。

「奥之院五重塔」。

「竹亭」。 

「さくら橋」。 <img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/2b/0b8315e53c98cd10523fa6ae03a61771.jpg">


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