サンチョパンサの憂鬱

夕刻のサンチョパンサ……正義の人ばかり溢れてる(2)

世間は正しい人ばかりで埋め尽くされている。
それなのに日々目を背けたくなる様な悪事が生産されるの何故?だけど。

正しさだけで出来てる人は…当たり前の話だけど……酷く詰まらない。
人口甘味料だけで味付けされたアンコみたいに
薄っぺらな甘みがサッと通り過ぎていき不快な苦々しさだけが残る。

嘘臭くて空々しい気分に襲われる。
その嘘臭さは、隠し切れない悪徳から漂い来る腐臭のようなニュアンスが原因なんだけど……。
問題はイイ歳をした大人が何故?大真面目にバレバレのイイ人を演じ続けて居るか?である。

誰もその方が『お得で楽だ』と思っているからなんだろう?
正義満載の世の中だけど?何故かとても生き辛く胸苦しい。鬱病、自殺者の数はここ数年増加の一途を辿っている。

自分の悪徳を隠している人は一様に『後ろめたさ』を引きずって生きている。
何を行うか?よりどの様にデコレートし、どの様に見せるかに腐心する。だから核心に触れるのはタブー。
それはずっと正体不明のまま置き去りとなる。

僕が生きて来た中で……大きな不正、不実を働いた人程、被害者となり悲劇のヒーロー、ヒロインを大袈裟に気取るのを目の当たりにした。
一重に重い後ろめたさの仕業である。

性別、年代を問わずそんな人達は、自前で用意した架空の舞台で仮想劇を熱心に演じたものだった。
不思議なのは、何等の特性もなく、演り口が一様でソコに個性の欠片も見出だせないことだった。

自作自演の演劇の脚本はエスカレートの一途を辿る宿命にあることを学んだ。一重に拭いきれない『その人の後ろめたさ』の所以である。
繰り返し付いてきた嘘はやがてその人にとっては『本当のこと』となって取り憑いてしまうのである。

ソコに風説、風評の類に自分の態度をいとも簡単に委ね『正義の味方を気取る輩』が参加して来るのも何時ものこと。
彼等はギャラリーとなってその仮想劇を大いに盛り上げるに至る。

まさに信義誠実の原則?なぁ~んて全くの空文化し機能するはずもなく……。
事ほど左様に『自前の矜持に支えられた定見』を持つことは難しいらしい。

後ろめたさに裏打ちされた嘘は……麻薬患者のクスリの摂取量の様に進化発展?する宿命を負っているのである。

そんな人達の『皆が言ってる・演ってる』という枕詞は……無意識に募る『嘘の不安』から編み出されている……。

最初こそ驚くものの、そんな輩の『何時もの変わらぬ芸風』はやがて正面から怒る気力さえ失わせるのである。

後ろめたさは疑心暗鬼を次々に生み出していく。
それ故に社会の攻撃性向はエスカレートしていく。手加減を加える余裕なんて失うのである。
ガッコのイジメやホリエモンのギョーザ屋さんに対する余りに頑なで執拗な攻撃に見るように過剰過ぎる攻撃は人の心を削り倒すまで続けられる。

被害者は気の毒に決まっている。

しかし、容赦ない攻撃を次々繰り出しても安寧を得られない加害者の心の深い闇こそがホントの生き地獄なのである。
無間地獄?……そんなイメージしか浮かばぬ際限を設定出来ない攻撃性はその主を確実に蝕んで行く……。

演る方も演られる方も生き地獄。
そこを抜け出る鍵は……一人ひとりの心の中にしか無いというカラクリ……。
ニッポンの民は今……その心を試されているんじゃね?そんな気がする。

オイラ、イチ抜〜けたっと!!



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