小中高生の第一位希望は三年連続『会社員』となったんだそうな……。
サラリーマンとか?会社員という職業?
僕達は『阿吽の呼吸』でそれを『何となくイメージ』してはいるけれど、実際それ?どんな仕事になるの?となれば茫洋として掴み所はない。
『集団で連携』しながら『何か?』を進めていくお仕事ってな意味合いで少年少女達は『それを希望している』んだと思う……。
この結果を承けて街頭インタビューに何人かが答えていた。
その中に50代の進学塾か?何か?だと思う男性が何となく頷けると言っていた。
進学先の選定をサポートしてるけれど、ここ何年か?彼等は第一志望より、第二、第三希望へ進学していくのだと。
張り詰める緊張と精神的苦痛を避けて、少し楽に緩く演って行きたいんだろうなぁ?……と感じていたと。
オイルショック以来発生した『安定志向』ってここまで根強いモンになってしまったのか?
この僕の様なオッサンでさえ、将来『会社員』なんて牧歌的イメージの職業は存立しなくなる流れにある事は容易に想像出来るのに……?
少年少女達を……まるで年金暮らしの老人の様な萎んだ感性の檻に閉じ込めてしまった大人達の罪はとても深いなぁ?……と溜め息一つ……酷く哀しくなった。
僕らの年代から始まった大学の『サークルブーム』だけど……『本格的にストイックに取り組む部活』を避けてヨロシク愉しむ?そんなシリアス嫌悪シンドロームはスッカリ行き渡ったんだなぁ?
根性論なんて大嫌いだけど……自分の目標突破がかかった瞬間の張り詰めた空気感は苦しいけれどそれを超える愉しさがある。
人間は、自分の限界突破しかワクワクドキドキは味わえない。
なぁ~んて唐突に言ったって、ドキドキワクワクをリスクとしてしか翻訳しない若者達にどうやって?『本来の自分回帰』をモチベーションして貰うのか?
厳しい人口減の中でソレこそが、生き甲斐創出と生産性向上の鍵となるんじゃないか?
進学なら進学のカテゴリーの中でしか見ない、思考しないのは楽だからである。
その楽こそ人間が長い時間を生きる時、後になって怖ろしい毒性を発揮し始めるのである。
『自分自体の愉しみ方?』という方法論を出来る限り幼い内から教えて上げなきゃ……若者達の老成化は止まらない……と思う。
少年少女の将来の希望職種にまで『個性喪失させた大人』の罪はとても深いと改めて感じた次第だった……。
所感・所信11で……団塊の世代が創り上げた家庭内外から始まる社会的人間関係の煩わしさを極限まで取り除くシステム……。
『核家族』による団地・マンションブームについて書いた。
彼等は『人間関係の煩わしさを徹底的に最小化し、個の欲求を最大化した』けれど……今その空疎となった人間関係によって孤独死を量産している……と。
学歴という権威という価値観に代わって『リア充』なぁ~んて……人に見て貰いたい?見せびらかしたい?という哀しいメンタリティを抱え込んでしまっている。
結局は『自分の安否確認』を『人の目を通して』でなきゃ出来ないのである。
独善的で在りながら人の反応に飢えている?
要するに……とても寂しいのである。
親・兄弟でさえ盆正月の帰郷は実家に泊まらない。お互いが遠慮だからホテルに宿泊するのが当たり前となった。
僕も『その手の煩わしさ』は大嫌いだけど、所詮群れなし群によってサバイバルした猿を演って進化してきた人間……。
それは『演技性コミュニケーション』だけでは本来の群れが果たす安心・安全を確保出来ない。
極限の孤立から……『殺すのは誰でも良かった』なる理由で凶行に走る人間。
結局その時でさえ彼の価値観には『群れという社会』がある。
そんな人間でさえ最後に当て擦りするには群れが必要なんである。
即ち独りでは人生を完結出来ないことがよく分かるのである。
議論でさえ軋轢と短絡的に翻訳してしまう現代人の孤独感……コレを『元来、議論は人間にとって愉しいコト』だという文化を浸透させる『新たな装置・場・システム』を築いて行く必要を強く感じたのである。
四年間に渡ってつらつらと書いた成果は『次なる時代・社会に何が必要か?』
何となくそれが朧げながら見えて来た事だった……。