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4/11(木)、この日は珍しく朝にちゃんと起きられたので、午前中に「コール・ジェーン 女性たちの秘密の電話」を観に行きました。
すると、同じ映画を渡部さんも観ていたので、上映終了後に少し話してきました。
この日は一度帰宅して、午後からも「瞳をとじて」という観たい映画があったので、地域活動支援センターを少し早く抜ける予定でいました。
渡部さんにそう話すと、渡部さんもその映画を観たいという話になり、午後からまた二人で同じ映画を観てきました。
渡部さんはジャン=リュック・ゴダール監督が好きなので、僕が前にゴダール監督の「軽蔑」を観た時に気になっていたことを渡部さんに聞いてみました。
というのも、ゴダール監督の映画はよく女性が脱ぐ場面があるけれど、「軽蔑」では脚本家の主人公が「女優は脱げばいい」みたいな今聞くと完全にセクハラの発言をしていて、それはゴダール監督の本音なのか?それともそういう映画業界を風刺しているのか?というもの。
渡部さん曰く、ゴダール監督は何気ない場面にも意味を持たせる人で、「軽蔑」には他にも女性差別を風刺している場面があるので、おそらくその台詞も風刺だろうと言っていました。
ただ、ゴダール監督自身も女性差別には反対していたとはいえ、女性関係のスキャンダルもあった人なので、自虐でもあるかもしれないとのこと。
それを聞いて思ったのは、芸術家は理想を追い求める一方で、自分自身の生き方が不器用で時に不倫のような倫理に反するような行動をとってしまうこともあるよな…ということ。
それは逆に、自分の感情や行動を制御できずに不器用にしか生きられないからこそ、芸術に救いを求めるのかもしれないな…と渡部さんに言ったら、「ああ、それはありますね…」と言っていました。
で、何でそんなことを思ってしまうかというと、僕自身が芸術がないと生きられないような人間だからなんですよ。
自分が障害者アーティストとして生きる道を見つけてから、世間の人達が気にしたり追い求めたり振り回されたりするもの―箔とか格とか権威とか地位とか派閥とか年収とか偏差値とか学歴とか受賞歴とか知名度とか影響力とかフォロワー数とか再生数とか登録者数とか―を、まったく気にしなくていい生き方が自由すぎて、本当に良かった!と思っています。
しかしその一方で、自虐的なことを言うと、こういう普通の人が普通に求めるものに価値を見出せない、そんなものでは満足できない、幸せになれない人間だからこそ、それに代わる価値や幸せを芸術に見出しているところもあるよな…とも思います。
芸術は、強い者が勝つレースに意味を見出せない者の生きる場所なのかもしれないです。
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そんなことを渡部さんと話して考えながら帰ってきました。
帰り道、西区の個人的夜景スポットだったパチンコ屋の駐車場が工事で入れなくなったので、新たな夜景スポットの駐車場を見つけてきました。