舞い上がる。

日々を笑い、日々を愛す。
ちひろBLUESこと熊谷千尋のブログです。

障害を公表して障害者アーティストとして生きていくということ。

2024-04-20 21:18:49 | Weblog












4/18(木)あたりから、ソメイヨシノは大体散ってしまったのですが、寺尾中央公園にはそれ以外の桜がまだ咲いていました。
こういう感じで、これからも季節の風景を撮っていく、それがちひろBLUESです。



4/18(木)に新潟日報に掲載していただけたことで、自分は障害者アーティストだと今まで以上に自覚するようになりました。
個人的に僕は色々なことに興味を持ちつつも、発達障害なので色々なことを同時進行で進めるのが苦手で、無理をしてしまいがちなのですが、障害者アーティストという自覚を持ったことで、物事の優先順位や、自分の活動の軸や進むべき道がブレなくなったという感覚があります。

しかし、もしかして障害を公表して表現活動していると、「障害を公表して何の意味あるんだ」「アーティストなら作品で勝負しろ」とか言う人がいるのではないだろうか…
ということをふと考えてしまったのですが、障害のある表現者がその障害を公表するかどうかの選択肢で「公表する」を選んだ時点から「勝負」は始まっていると思うのです。

例えば作者が障害を公表することもまた表現の一つだし、あえて公表することで何かを伝えようとする場合もある。
見る側も作品だけではなく、作者の背景などを知ることで理解が深まることもある(例えば世界的な美術家である草間彌生さんは自信の統合失調症や幻視、幻覚に芸術表現によって向き合ってきた、という背景があります)。

作品「だけ」で評価するのがアートではないし、作品「だけ」で評価されるのがアーティストではないと思うのです。
そもそも基本的にアートは自由なものなので、障害を公表するのもしないのも自由で、それをどうこう言っても意味がないと思います。

自分に関して言えば、すごく雑に言えば「障害者が絵を描いてもいいんだな」「こういう人が生きていてもいいんだな」と思ってもらうことが僕の表現活動の「目的」なので、公表して伝わわるものはあってもあえて隠すことでプラスになるものは何もないので、そりゃまあ普通に公表しますよね。
それに僕はアートは自分と正直に向き合う行為だと思っていて、そこで自分に嘘をついても簡単にバレるしいいものは作れないと思うので、障害という事実がそこにあるわけなら、それを公表しない理由は特にない、という感じです。

というか、僕みたいに障害者で主張が強い人を見るとイラっとする人が多分まだいると思うのですが、それ自体が差別意識だと思うので、これからも堂々と障害を公表しつつ言いたいことをガンガン主張していこうと思います。
ただまあ、有名な芸能人などが障害を公表すると、無駄に障害「だけ」に注目されて、感動ポルノ的に消費される危険もあるから、あえて公表しない人もいるんだろうな…とは思いましたが、僕がそんなに有名になることはまず有り得ないと思うので、これからも気にせずこの感じでやっていきます。
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