舞い上がる。

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ちひろBLUESこと熊谷千尋のブログです。

【お知らせ】スレッズ、はじめませんでした。

2024-04-19 23:56:50 | Weblog


少し前の話ですが、庭のチューリップが咲きました。
春はお花を撮るのが楽しいので、SNSやブログに書きたいこと以上に写真が増えていきます。



少し前の話ですが、新年度から新しいことを始めよう!と思って、4/1(月)からスレッズというSNSを始めてみました。
スレッズはFacebookやInstagramなどを運営しているMetaが運営している、Twitterに似ている文章がメインのSNSです。

Twitterがイーロン・マスクの経営でXとなり、不具合が起こりやすくなってから、Twitterにはもう未来はないと、他のSNSに移行する人も増えたという印象があります。
僕自身、Twitterという一つのSNSに依存し過ぎるのも問題だと思い、新しいSNSもやってみるべきかな…どうせならInstagramをやっているだけで知り合いから申請の通知が来るスレッズがいいかな…と思っていました。

そして、せっかくなら4/1(月)から、新年度の新しい挑戦としてスレッズを始めてみたのですが、結果から言えば、翌日4/2(火)にはもうアカウントを退会してしまったのです。
というわけで、スレッズが全然ぴんとこなかった理由を、Twitterを比較してどんどん書いていきます。

そもそも僕がSNSを使っている理由は、自分の考えを言葉にして整理してまとめて記録する、みたいな感じです。
最近のTwitterは発信力のあるインフルエンサーのためのメディアみたいになりつつありますが、そういう自己アピールにはあまり興味がありません。

でも、僕にも世の中に伝えたいことはあって、それは自己アピールというよりは、反戦や差別反対(特に障害者差別反対、自分が障害者なので)などなど、わりと社会に対するメッセージが強いです。
特にガザ問題に対する発信を増やしてからは、そういう反戦、平和意識を持ったフォロワーさんが増えたので、今ではそういう情報の検索や発信もTwitterを使う大きな理由です。

その一方で、Twitterにはデマやヘイトスピーチ、誹謗中傷などが毎日溢れているので、そういう世の中の風潮への対抗意識もあります。
昔見た「毎日みんなが差別反対とつぶやくだけで世の中は変わる」という誰かのツイートがずっと印象に残っていて、それを意識しています。

また「好きなものがあったら好きとつぶやいてください、この時代、いつか作者に届く」という誰かのツイートも印象に残っていて、それも意識しています。
良かったと思ったもの(例えば映画や美術館などの)の感想はどんどん言葉にして、ポジティブな気持ちをTwitterに伝えていきたいです。

個人的に、イーロン・マスクの改変(というか改悪)で使いにくくなったり差別ツイートが増えたりしても、反差別ツイートする人が減ればその分Twitterの環境が悪化していくだけだと思うので、まだTwitter(ここ)に残って抵抗するつもりです。
そもそもTwitterなんて道具に過ぎず、間違った使い方をすれば人を傷付けるけれど、正しい使い方をすれば便利で楽しいものなので、できるだけTwitterをいいものとして残していくために、できるだけマナーを守って、前向きに使っていきたい、というのが自分の考えです。

そんな僕がスレッズを始めてみてまず思ったのが、そもそも最初だからフォローしている人間が少なかったからというのもありますが、社会問題の話をしている人がTwitterに比べて本当に少ないのです。
政治性がないところが昔のTwitterみたいで気楽で楽しいという考えの人もいるかもしれませんが、僕はそれはノンポリみたいで魅力を感じられないし、社会に対する考えを話をしている人の多いTwitter(のいいところ)の方が、まだ自分の言葉が「届いている」感じがする、逆にスレッズでは「届かない」感じがしてしまう。

それに、Twitterに比べてネガティブな発言が少ないというのは、一見いいことではあるのですが、散々Twitterを見てきた自分からすると「そんなわけないだろ」と思ってしまうのです。
みんながネガティブな気持ちを隠したまま発言しているSNSはかえって窮屈だし、そんな場で自分のゆるい発言だけしていても、SNSをわざわざ使う意義が感じられないのです。

変な例え話をしますが、昔、好奇心でエロゲーをやってみたことがあるのですが(ネットでできる無料の体験版のやつ)、なんというか、主人公(プレイヤー)がエロい気持ちになるためだけに作られた世界や物語や登場人物がすごく不自然で違和感があってなんか気持ち悪かったんですよね(例えば同じエロでも物語が作り込まれたピンク映画やポルノ映画にこの違和感はない)。
いや、エロゲーは「エロ」のためだけに作られたものだからそういうものなのですが、普通にエロい気持ちにはなりつつも同時に拭い去れない違和感もある感じがさらに気持ち悪かった。

なんか嫌だなーと思ってパソコンを閉じて外に出たら、老人が町に大勢いるし、コンビニの前にはゴミが落ちてるし、僕は冴えない無職の障害者だし、どれもこれもエロゲーには決して描かれないものでありながら、こっちが俺の生きる現実だ!と強く思ったのです。
スレッズに対する違和感、スレッズからTwitterに戻ってきた時の気持ちは、この時に少し似ていました。

確かに差別も誹謗中傷もあるけれど、いい人達もたくさんいて、素敵な言葉も出会いもたくさんあるTwitter、そこで自分らしく生きていくのが自分の居場所なのだと強く思いました。
何だかんだで14年間、自分らしい使い方を手探りで下げしながら続けてきたTwitterを、そう簡単に捨てることはできません。

なので僕は、Twitterとともに最後まで行く!
Xじゃない、Twitterとともに!
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