地球市民点描・麻川明(黙雷)      大衆欺瞞の弁証法から大衆啓蒙の弁証法へ 自然権なき市民法は無効である

無知の状態においておくことは可能であろうが

見ない以前の無知にすることは不可能である

「零戦」命名と開発←第4章1936年の日米関係

2013-03-27 20:47:56 | 日記


出典:「ふたつのフォーチュンFORTUNE」ダイヤモンド社
寺島実郎著→
『ここはじっくりと「フォーチュン」誌を掘り下げて
戦争、そして今日に至る日米関係史を
直視することとしたい』

◉▶:97頁「零戦開発の意味」
1936年の時点で零戦は存在しなかった

零戦とは昭和12年(1937)に開発に着手した12式艦上戦闘機が
昭和15年7月に海軍の制式戦闘機として採用されたことによって

ちょうど昭和15年が紀元2600年だったことを記念し
2600の末尾のZEROをとって「零式艦上戦闘機」と命名された
ものである

模倣の域を出るものではなかったが
昭和7年の上海事変以後
海軍では航空機の重要性を認識して国産化に力を注ぐようになった

その結果が
96式艦上戦闘機(三菱重工製造)であり画期的戦闘機であった

96式を踏み台として
主として三菱重工(エンジンは中島飛行機)によって開発された
のが零戦なのである 

性能要求は「重装備をもつ軽い戦闘機」であり
96式艦上戦闘機が高度3000mで時速350kmであったのに対し

零戦には高度4000mで時速500km、20mm機銃搭載を要求した

さまざまなサンプル機が欧米から購入された
ドイツからはハインケルHE-112型戦闘機(時速444km)
米国のヴォートV-143型戦闘機(時速426km)
などが代表である

米国は1938(昭和13)年頃まで
数年後に戦争に入る相手である日本に戦闘機を売っている

零戦の特色とされる「引き込み脚装置」も
米国のヴォートV-143を参考にシタと記録されている


零戦は時速530kmをだす挌闘戦機能の優れた戦闘機だった

実戦に登場したのは
1940(昭和15年)9月14日重慶上空で
国民政府軍のイ15・イ16(ソ連製)27機全機を零戦13機で撃墜

それ以後
対米戦の始まる1941年末までに零戦が国民政府軍に与えた損害は
撃墜機162,撃破機264,合計426機であり
零戦の被害は防御砲火による2機のみであったという

日本は零戦の中国大陸でのあまりにも華々しい戦果に自信を深め
これならば米英の戦闘機に立ち向かうことができる
自信を持ち始めた

真珠湾攻撃には零戦が79機
制空隊機として参加し先頭を切って真珠湾上空に突入した

1937年の開発着手以来1940年に実戦配備されるまで
わずか3年であり日米開戦まで1年という
ぎりぎりのタイミングであった

急速に日本が自信をつけたプロセスのシンボルが零戦だった

◉▶付記
人命軽視の軽量曲芸飛行機『零戦』はサクラのように散花シタ

人命重視の分厚い装甲の『グラマン』は命中しても落ちないが
軽量曲芸飛行機もどきの『零戦』は一発で散花した

熟練運転手不在となった

それは二度目の敗戦、経済敗戦の今日と瓜二つだ

高度成長期の土台から貢献した人材に報わぬ感謝不在の風土
分け前の三分割は当然《資本・経営・労働》へ

だがこの国は労働者への分け前をごまかした

「退職給与引き当て金勘定科目」へ積み上げて鼻先の人参
その科目を消去した

貧困労働者は公表貧困率16%の群れと化した

失業率と同根
貧困率16%→80%かも

OECDは
日本の公表低失業率は全体を狂わすので全体統計から排除の由


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栄養失調の日本兵
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笑顔の天皇夫妻


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太陽光発電の買取価格←ブルームバーグ

2013-03-27 20:43:29 | 日記


茂木氏:太陽光発電の買取価格
30円台後半への引き下げ検討

(21日に配信した記事の第1段落の単位を1キロワット時に訂正します)

1月21日(ブルームバーグ):

茂木敏充・経産相は21日午後に都内の日本記者クラブで会見し、


再生可能エネルギーを固定価格で買い取る制度で、

2013 年度に太陽光発電の買取価格を

今年度の1キロワット時当たり42円から30円台後半へ引き下げる

ことを検討する考えを明らかにした。

経産相は

「太陽光の発電設備の価格が相当程度下がってきている」と述べた上で

コスト実績を基に

「現在の42円の価格をおそらく30円台後半に引き下げることができる」

との考えを示した。


今後、

調達価格等算定委員会での審議を経て経産相が正式に決める。



原子力発電所の再稼働については

「安全第一で原子力規制委員会の独自の判断に委ねる」

と説明。


「規制委員会が安全だと判断しない限り再稼働はしない。

安全だと判断すれば再稼働を進めていきたい」

と述べた。


記事についての記者への問い合わせ先:東京 鈴木偉知郎 isuzuki@bloomberg.net

記事についてのエディターへの問い合わせ先:大久保義人 yokubo1@bloomberg.net
更新日時: 2013/01/22 12:27 JST

◉▶:日経ビジネス
太陽光発電で
「負けパターン」を繰り返すな
加速するグローバル競争

村沢 義久  【プロフィール】

バックナンバー

2012年12月27日(木)

1/5ページ

失敗どろこか大成功したドイツ

 ドイツの太陽光発電が快進撃を続けている。一部には、


買い取り制度の「失敗」とか、

成長の「失速」などと批判する声があるが的外れ。

実際には躍進は今も続いている。

 

まず、2012年5月25~26日の2日間、

太陽光による史上最高の発電量を記録した。

一時は最高出力2200万kWに達し、

ドイツの全電力需要の半分近くを太陽光発電が供給した。

 

そして、年間導入量でも記録を更新しつつある。

2010年に740万kW、

2011年に750万kWの太陽光発電を新規に導入。


2012年には「失速」どころか、

最初の10カ月で680万kWを設置しており、

通年では昨年を上回る可能性が高まった。

 

日本は

2010年の年間導入量が100万kW、

2011年が130万kWであった。


筆者は、

2012年に暦年ベース(1-12月)で200万kW、

年度ベース(4月-3月)では250万kWに達すると予想している。

 

しかし、これでもまだ不足であり、今後、

原発への依存度を大幅に減らすためには、

数年後には年間500万kWを達成し、

長期的には

現在のドイツを上回る1000万kWのペースを維持する必要がある。

 

確かに、ドイツの太陽光発電に問題がない訳ではない。

高値買い取り制度による家計への負担が2011年に

月額1000円を超えるなど弊害が出ている。

 

しかし、これは「想定」されたことであり、

予定通りに修正している。


買い取り価格はすでに段階的に引き下げられているのだ。

例えば、

容量1MW以上のメ ガソーラーについては、

2012年時点ですでに日本円換算で10数円に下がっている。

それでも事業が成り立つのは、

コスト削減も順調に進んでいるからだ。

 

さらに、太陽光発電の累積設備容量が5200万kWに達した後は

買い取りを中止することを議会で決定している。


それは、早ければ2016年にも実現すると見込まれているが、

その時点では、買い取り制度なしでも十分に競争できる

ようになっているだろう。

 

計画通りに行けば、

「コストが高い間は支援しコスト競争力がついた時点で支援を打ち切る」

という理想的な展開になる。


ドイツの買い取り制度は「失敗」どころか「大成功」と言えるのである。
日本も買い取り価格1kWh当たり15円を目指す

 2011年時点の日本とドイツの太陽光発電の状況を比較すると

累計設置容量(500万kW対2500万kW)でも、

また、

年間新規導入量(130万kW対750万kW)でも、

日本はドイツの5分の1程度でしかなかった。

二宮損得打算マラソン←替え玉バレタ日本江戸風土

2013-03-27 20:38:03 | 日記


マラソン、替え玉の市職員が優勝
2013年 03月 26日 21:39 JST←ロイター





( ゜∀゜)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \( ̄ー ̄)ニヤリッ
スポーツニュース(共同通信)

 神奈川県小田原市で行われたマラソン大会に、
体調不良で参加できなくなった男性(22)の“替え玉”として、

高校陸上部で先輩だった市職 員(23)が出場、
年代別の部門で優勝していたことが26日分かった。

走らなかった男性が表彰台に上がり、
不正が発覚。

市側は優勝を取り消したが、
公表し ていなかった。

市によると
3月10日に開催した「小田原尊徳マラソン」で、
市体育協会主催。

ロイター

◉▶二宮尊徳・損得想起
幕府に重用されて日光林の責任者に抜擢された尊徳が
秘訣を語った→

常人は樹勢の「弱い樹」を間引きしたがるが
われは樹勢の「強い樹」を間引く

樹勢の「弱い樹」で揃えたら山並みの景観は美しくなるのだよ

出る杭は打つ

100Mを10秒以下で走る選手が表れない
小粒に揃った日本風土

シンボリックな二宮損得=尊徳打算


ポスコ溶融炉爆発、内部で起きていた

2013-03-27 20:27:42 | 日記


記事入力 : 2013/03/25 11:21
ポスコ溶融炉爆発、内部で起きていた

 鉄鋼大手ポスコの浦項製鉄所第1ファイネックス工場で22日に起きた

爆発事故は、当初のポスコの説明とは異なり、

厚さ1メートルの溶 融炉壁面の内部で起きたことが24日までに確認された


ポスコは

「溶融炉自体に問題はなく、外部の付帯施設が損壊しただけだ」と

一貫して主張しており、事 故の規模を小さく見せ掛けようとした疑惑が

浮上している。

 

本紙の取材によると、

爆発事故が起きた第1ファイネックス工場の 溶融炉は高さ28.8メートル

直径13-15メートル、厚さ1メートルの大きさで、

地上から約5メートルの高さに周囲を取り巻くように26カ所の穴があ る。


穴には長さ89センチメートル、直径83センチメートルの大送風口、

長さ30センチメートル、直径27センチメートルの小送風口が

扇状につながってい る。


この小送風口に高熱の空気(酸素を含む)注入パイプをつなぎ、

溶融炉の中に空気を吹き込む仕組みだ。

 

爆発原因につい て、ポスコ側は

「送風口の出口が詰まって圧力が高まり、

溶融炉と送風口が接する部分で爆発が起きた。


送風口は

溶融炉に設置されている付帯施設であり、溶融 炉は破損していない」

と説明してきた。しかし、


送風口の出口部分を納品したソウル・エンジニアリングの関係者は


「送風口は溶融炉の表面鉄皮に溶接し、

壁面 に埋め込まれた構造物であり、

送風口との接合部分は溶融炉内部にある。


その部分が爆発したとすれば、当然溶融炉が破損する」

と指摘した。


ポスコの溶融炉が 一部でも破損したのは今回が初めてだ。


浦項市民は

「先日は山火事に苦しんだが、今度は

浦項の夜空を明るく照らすほどの大火事が起き、

不安感が高まってい る」

と話した。

 

小送風口の出口が詰まった原因は調査中だ。


ポスコ側は

「小送風口周辺の耐火物に亀裂が生じ、

断片が出口をふ さいだ可能性もあり、

純銅製の小送風口の出口が溶解してふさがった可能性もある」

と説明した。


鉄鋼業界からは

「純銅が溶けて出口がふさがったとすれば、

溶 鉱炉内の温度調節装置、

壁面内部に埋め込まれた冷却装置が

故障した可能性もある」


との声が聞かれる。
大邱= 崔宰薫(チェ・ジェフン)記者←朝鮮日報