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地球市民点描・麻川明(黙雷)      大衆欺瞞の弁証法から大衆啓蒙の弁証法へ 自然権なき市民法は無効である

無知の状態においておくことは可能であろうが

見ない以前の無知にすることは不可能である

【縁故資本主義の功罪】⬅︎カレル・ヴァン・ウオルフレン

2014-03-26 11:11:31 | 日記

【縁故資本主義の功罪】⬅︎カレル・ヴァン・ウオルフレン

アジア金融危機と「縁故資本主義」?


▶︎マルコスは「縁故」から新エリート階級をつくった
彼の政治に屈しない富裕層の財産を没収しエリートにばら撒いた

潜在的なライバルに対しては
財産を強制没収すると脅して支配した

そして特定の企業家に寡占的権利を与えた

▶︎インドネシアでは
縁故資本主義という言葉からスハルトを心に思い浮かべる
スハルト一家は寡占的利権を手に入れて財産の山を築いた

だが彼は
貧しく統制の悪いインドネシアに
良好な展望と安定性をもたらした

マルコスの場合は逆にフィリピンは共産国を除いては
最下位の地位にまで転げ落ちた

▶︎アジアでの贈収賄は政治経済の潤滑油の機能を果たす
贈収賄によってビジネス・チャンスを得る

▶︎日本こそが世界最大の「縁故資本主義の要塞」である
信用販売などの特別優遇策が日本ほど大々的に
系統だって行われている国は他にない


閨閥・藩閥・学閥
天皇制閥支配構造

「アジア金融危機・ウォルフレン」「宮澤喜一」

2014-03-26 11:04:39 | 日記

「アジア金融危機・ウォルフレン」「宮澤喜一」

アジア金融危機に日本が極めて重要な役割を果たした事実は
ほとんど知られていない

アジア金融危機は日本によって作り出された

引き起こす状況を生む過程で積極的な役割を演じた


日本は
アジア各国が経済的奇跡を待望する唯一最大の目標となった

韓国は他に先駆けて多くの手法を模倣した
タイ、マレーシア、インドネシアも日本固有の制度を模倣した

日本を模倣して核心を見逃し表層だけだったので失敗した
日本モデルの中心は
政府の保護が不可欠の金融構造が存在する

韓国は
金融システムを自由化・規制撤廃した

東南アジアの金融システムは
海外投資家が大量資金を 随時に投下・引き上げできるよう
変更した

金融危機の直接的原因は
日本の暴威に対して東南アジアから
海外投資家が資金を国外へ引き上げたのは 、周知の事実


諸国は日本の奇跡を再現しようと目論見・試み
国内消費を抑え、貯蓄を強く奨励、産業発展に投資した

此れ等の国々は
どこも【日本の全体主義】に心酔し米・欧に耳を貸さない

市場原理・経済活動は
市場に任すのが成功への道程であると米・欧は説いた
【個人主義・市場原理・市場経済・民主主義】⬅︎【米・欧】

諸国は集中的な統制経済的な産業政策を採用し見習った

諸国はシエア拡大に走った
市場シグナルに無関心・企業利潤に無関心

もし最初から利潤追求が最優先課題であれば
自動車・造船・鉄鋼・等々は登場しなかったはずだすでに存在していたので

ところが保護された銀行制度を通して産業投資が保証されていた

日本の経済発展とまったく同じ道を辿ったのである
銀行もまた製造業種の多額の債務を許容した

西洋諸国が再重要視する企業の透明性を無視し日本を真似た

▶︎1980年代後半の日本バブル経済が85年のプラザ合意後に
始まった
1985年日本の大蔵省は融資枠を広げるよう促した

不動産会社や建設会社が優遇された

銀行の融資増加率は
1986~91にかけてGDP成長率の2倍であった
(正常であればほぼ一致が普通)


その結果、不動産と株価上昇は天井知らず
日本企業の金融資産は大きく膨れ上がり融資担保を獲得できた

それはプラザ合意後の円急騰を相殺するほどの効果があった
バブル経済のおかげで日本の大企業にとって資金調達が自由になった

ある意味でバブル経済を東南諸国へ輸出した
アジア全域で投資の波状攻撃をかけた

低賃金労働市場を目指して巨額資金を投入した
直接投資150億ドル(1985~90)

東南アジアを欧米向け輸出生産基地につくり換える

プラザ合意後の円急騰で日本国内生産コストアップが障壁

1996年までに日本は同地域において
およそ、500億ドルの投資を行った

つぶさに観察すれば投資形態は
日本国内における大企業と下請け会社の関係に酷似

東南アジアの産業全体が
日本経済の下請け業者になりそうな様相・気配を見せた

その証拠に
高度な消費市場が登場しなかった
地域経済に長期的利益をもたらす適切なインフラストラクチャ
(社会資本・社会基盤)を持つに至らなかった


日本のバブルが弾けて極めて安い【円融資】を東南アジアへ
撒き散らす日本の銀行

1990年代前半期のアジア経済は
非生産的で、正常な発展とは言えなかった

例:バンコクの建築業界
高層ビルと奇妙な建築物混在で都市景観に異変

日本の例に倣って
荒れ狂った建築業界のしるし

▶︎1995年夏「円高是正」日米両政府の重大決定
日本大蔵省が大量のUSドルを買って為替市場に介入

円価格は2週間に30%、2年間で60%下落した


致命的なアジア輸出国(連動為替相場のドル・ペッグ制)
円急落で日本の輸入市場が収縮
アジア輸出国に強い打撃

円安で東南アジアのマーケットシェアを日本に奪われ
東南アジアの海外輸出の成長は停滞した

タイの不動産価格は暴落
韓国の銀行は倒産の危機

欧米の貸し手は現地の信用システムには
自分たちが入り込めないことを承知していた

東南アジアのインフォーマルなネットワークと
西側で機能しているネットワークとは異質である

インフォーマルな非公式な政治経済システムによって
東南アジアの現地投資家は保護されるが

外国人投資家は保護の対象にならない
したがって外国人投資家は短資貸付に専念した

不安を感じた彼らは直ちに資金を引き上げた

西洋諸国では
縁故資本主義システムから生じる
無責任な通貨・金融システムが危機の原因である
と信じられていた

アジア新興国政府が過ちを犯したことは確かであるが
最大の過ちは

アジア新興国が「金融システムを自由化」して
多くの西欧エコノミストの声に従ったことにある

(引用:「アメリカを幸福にし世界を不幸にする不条理な仕組み」
カレル・ヴァン・ウォルフレン著 ダイヤモンド社出版)


▶︎随記⬅︎ 「宮澤喜一」激動の半世紀を生きて

『はい、そうですね。まぁ、「八絃一宇」とかいう話は
無茶ですね。大東亜共栄圏というのは無茶だ。


やっぱり戦争前、戦争中にやったことは、すっかりみんなが
忘れてしまったが、日本は領土的野心がない、もしあっても

あんなだらしなさではノウハウをもっていない
つまり甘く扱われているわけですね

それが幸いして、警戒心というのは見えませんね
だからこれはいいと思っているんです

これから少しずつ仲良くなりたいものですね

やっぱり1985年のプラザ合意というのは効きました
これであれだけの日本の企業がアジアへ進出しました

これは思わざる出来事でした


外国にみんな逃げちゃったわけですから

東南アジアの工業化というのはそれからです
これは効きました

その間に、1997年のアジア金融危機があって
これらの多くの国に向けて

日本も300億ドルくらいの金を
何かのかたちで提供することになって「宮沢構想」などと
言われたわけです


それは日本自身のためだと思ったこともあります

先進国のことをやってくれる人はたくさんいると
思っているんです
ビジネスだってやってくれる

しかしアジアはなかなかそうはいかないし、これは正直言って
第二次大戦前の時代にわれわれの先輩が

人によっては純粋な人もいたと思いますが
いろいろな想いで、しようとしたことが、
まったく
フォローアップができていない状況なんじゃないでしょうか
(引用:国際問題2001年11月 No.500
宮澤喜一激動の半世紀を生きて)

【貴族的従属】と【民主的服従】の概念

2014-03-26 11:00:14 | 日記

【貴族的従属】と【民主的服従】の概念

ある社会状態から他の社会状態へ移行する期間に
人々の精神は従属と服従の間を突然不意に揺れ動く

その時
服従者は服従を神聖な義務とは考えていない
服従の義務に甘んじて屈服する

この時期においては
従僕たちの精神においては
平等の混乱した不完全な心象が現れる

権利として持っている平等が
状態の内であるか外であるか初めははっきりと見出せない

その時、
自ら屈服し利益を受けている劣等な身分に対しては
心の底では、反抗している

奉仕することには同意しているが
服従することには屈辱を感じている

屈従の利益を好んではいるが、主人を愛してはいない

従僕たちは
自分たち自らが主人たるべき者であるか
どうかを確信していない

自分たちに命令する者を
自分たち権利の不正な簒奪者とし考える
ようになっている

そこでは
悲痛な光景に似通った疑いと拮抗諸権力間に
陰険内密な闘争が絶えず続行される

主人は敵意と疑惑とを感じており
従僕も敵意を持ち不従順である

主人は
不徳義な制限によって保護したり報いたりする義務を
絶えず免れようとしているし

従僕は
服従する義務を免れたがっている

両者の間には
各々が掌握しようと努めている家政権が揺れ動いている

権威を放縦から、権威を事実から分離している諸線は
従僕からも主人の目からも絡み合い混線している


両者いずれの者も、
事実がどうであるか?可能がなんであるか?
あるべきことがなんであるか?正確には知っていない

このような状態は、民主主義的ではなく、革命的である。


従僕と主人との精神上の類似点➡︎
従僕たちにおいても、出自についての誇り、
祖先と子孫とに対する崇拝、
下級者・大衆への軽蔑と接触の恐怖

礼儀作法・伝統・古いものへの好み
などが見出されるのには驚かされる

《出典:アメリカの民主政治(下) A・トクビル著 講談社学術文庫》

【大衆農民と毛沢東】VS【地主や都市上層と蒋介石】

2014-03-26 07:08:24 | 日記

【大衆農民と毛沢東】VS【地主や都市上層と蒋介石】

「新しい大衆の時代」
毛沢東は中国の歴史における最も具体的変化を
同志たちと実現した、という認識を熟知していた。

過去数千年の間、人口の90%は国家と民族の外にあった
国家行政機関は県に及んでいたに過ぎない

国家政府の前哨は県庁所在地であり、すべての統治機構は
自分自身の地方軍を持つ『土豪』が
地方住民を支配した

社会的ピラミッドの基底を構成する農民層は
公的管理の埒外にあった

毛沢東が大衆について語る時
中国人口の90%を占めるこれらの農民大衆を意味した

毛沢東は、農民協会、農民赤衛軍、農民参議会を用いて
革命戦略の基礎を社会的ピラミッドの基底に据えた

成功した最初の中国革命家だった

地主たちを追放して、
「中国ソヴィエト」及び『民主抗日政府』
というパターンを発展させた

毛沢東の軍隊は、対蒋介石で勝利をもたらしたが
最大の勝利は、大海原のような農民の心と魂をつかんだ

毛沢東が勝ったのは、農民のように生活し、感じ、
話すことを学んだからである

「大衆から学べ!」という毛沢東のスローガンは
大衆を どう取り扱い、どのように訓練し、励ますべきかを
大衆から学ぶことを意味していた

蒋介石政権は、
都市や地主や上層階級を基礎とする
まったく大衆から遊離する軍事独裁であった

蒋介石の兵士は、徴収された省で戦うことを許されなかった
蒋介石の兵士は、地方住民の必需品や利害を考慮しなかった

これこそが
蒋介石軍隊と人民との接触が
きびしく強く抑制された理由であった

これに引き替え、毛沢東は
その軍隊を農民層から建設し、兵士たちに対しては
やれる時にはいつでも農民たちの仕事を手助けする
よう教えていたのである

毛沢東は外国の援助を期待しなかったし、
また期待できなかった


蒋介石はすべてを外国の援助に、
そして西欧列強の対日戦の勝利に賭けていた



アメリカの援助は、初めはビルマ道路伝いに
のちにはヒマラヤ越えの航空機で流れ込んできた

アメリカの将軍や士官たちは蒋介石軍の訓練を助け
国民党軍の対日空中戦は完全に、シェンノートン将軍麾下の
中国駐留アメリカ空軍によって戦われた

アメリカ政府は
アメリカの将軍たちの反対を押し切ってまで
蒋介石を援助した

アメリカのスティルウエル将軍が
国民党軍の腐敗、非能率、無活動に対して抗議し
蒋介石軍に対する野戦指揮権を求め、与えるよう要求した時
彼は本国へ召還された

蒋介石の極度に厳格な検閲のため
国民党治下にいる外国特派員たちは、収賄、公金横領、
蒋介石政権の全般的な腐敗と非能率

また人民がその中で暮らしていた恐怖や悲惨さを
詳細に報道することができなかった

蒋介石の肩をもつ西欧の宣伝家たちは
国民党の軍隊が英雄的に戦っているのだと
うまく思い込ませよとした

蒋介石は、ワシントンが戦後、戦時中よりも一層断固として
自分を援助するようになるのが当然だと考えていた


毛沢東の唯一の希望は、彼自身の軍隊と
中国の地方の住民にあった

毛沢東は
ただ大衆に依拠できるだけだった


毛沢東は
大衆のもつすべての人間的な可能性を変形し、
これを活用しようとしたのである

《毛沢東「延安文芸座談会における講話」第3巻》