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地球市民点描・麻川明(黙雷)      大衆欺瞞の弁証法から大衆啓蒙の弁証法へ 自然権なき市民法は無効である

無知の状態においておくことは可能であろうが

見ない以前の無知にすることは不可能である

【人権重視】進める時⬅︎日本外交の新機軸

2014-03-29 18:08:34 | 日記

【人権重視】進める時⬅︎日本外交の新機軸
Kanae Doi


日本外交の新機軸 人権重視 進める時
2013年06月26日
Author(s):
Kanae Doi
Published in:
読売新聞

世界は今、安倍政権に注目している。
経済政策「アベノミクス」だけではない。実は、
人権分野でも新機軸を打ち出し、国際的に影響を与え始めている。

私が日本代表を務める「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」
(本部・米ニューヨーク)は、約90か国で人権状況を監視する

国際民間活動団体(NGO)だ。地球規模での人権擁護を目指している。

日本は、国内では民主主義が根づいている。だが、
国際舞台での人権問題や民主主義への貢献度は高くない。

残念ながら、日本の外交官が人権の議論をするのは、私的な場が多い。

人権問題で主導権を握らず、いわゆる「沈黙外交」に見える。
外交上の摩擦回避や経済利益優先などの思惑があるのだろう。

ところが、安倍首相は、この伝統的な日本外交に
新たな息吹を吹き込もうとしているようだ。

例えば、北朝鮮の人権侵害である。
「人道に対する罪」の証拠を収集する国連調査委員会の設立に向け、

首相は就任直後、
スイスの国連人権理事会で日本が主導的役割を果たすよう外務省に
指示した。世界に先駆けた画期的な動きだった。

調査委員会の設立に消極的な国も多かった。
財政支出を嫌がる国、
効果に疑問を呈す国、
核問題への関心が薄れるのを恐れる国など――。

だが、日本は
米国や韓国などと協力し、こうした懐疑論を乗り越えた。

その結果、国連は今年3月、調査委員会の設立で合意した。
歴史的な一歩だ。

世界的な法律家から成る調査委員会は、早ければ
今夏にも日本を訪れ、北朝鮮による拉致被害者の家族たちから
聞き取り調査を行う予定だ。

政治犯収容所や拉致など、
北朝鮮政府の高官らの犯罪行為の証拠を、国連が公式に収集する。

「従来の態度を改めなければ、国際法廷で裁かれる危険がある」
という警告を発した形だ。

首相の断固たる姿勢は、1月の所信表明演説ですでに表れていた。
首相は
「自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的価値」
を基軸にすえた外交路線を敷く、
と宣言した。

これほど確固たる方針を示した日本の首相はこれまでいなかった。

ただ、旧態依然の「沈黙外交」を変えるのは、
そう簡単ではない。真の努力が必要なのはこれからだ。

例えば、スリランカの戦争犯罪をめぐる今年の国連人権決議の際、
日本は棄権し、私たちはがっかりした。

今後の最大の課題は中国だろう。
人権問題をめぐり、日中両政府は、「人権対話」という官僚による
非公開の会議を数年に一度開くだけで、活発な動きはない。

日本は、この会議の内容を公開し、中国に人権重視の政策を求める、
とはっきり表明するべきである。

日本外交の強みは従来、多額の政府開発援助(ODA)にあった。
だが、今や中国がそれを上回る対外援助を行うようになった。

日本の最大の強みは、
民主主義の価値を広められることではないか。

安倍政権が
人権重視外交を一段と力強く推進することを、
世界が期待している。

【毛沢東の長征】➡︎1935.10.29.長征は終わった

2014-03-29 17:50:58 | 日記


【毛沢東の長征】➡︎1935.10.29.長征は終わった
〈諸々の社会が、最初に生まれる時、
国の制度を作るのは指導者たちである。
だがやがて、制度が指導者たちを作るようになる〉
(モンテスキュー)

〈マルクス主義もっとも本質的なもの 、
マルクス主義の生きた魂は
状況を 具体的に分析することにある〉(レーニン)

国民党白軍は沼の底のような草原に阻まれて追跡を断念した
多くの人命と輸送用の動物を失いながらも
毛沢東の先鋒隊は

ついに甘粛省に到着した
それからさらに三つの大戦闘と数多くの小競り合いを経たのち

その遠征の目的地ーー万里の長城近くの陜西省 北部に到着した
その数、民間人含めて2万人弱、1935年10月29日、長征は終わった

数週間後、長征の意義をこう述べた

長征は宣伝書であり宣伝隊であり種蒔機であった
全世界に向かって宣言した

紅軍は英雄の部隊であって、
帝国主義者やその手先・蒋介石などでは
まったく歯の立たないものであることを宣言した

長征は
帝国主義者や蒋介石の包囲、追撃、阻止の
破産を宣言した

長征はまた宣伝隊であった
11の省の2億の人民に対して、紅軍の進む道だけが
彼らを解放する道であることを宣伝した

このことがなかったら、広範囲な民衆は
世界に紅軍があるというこの大きな道理を
どうしてこのように早く知ることができたであろう?

長征はまた種蒔機であった
それは沢山の種を11の省にわたって蒔き散らした

芽をだし葉がつき花が咲き実がなり
将来は必ず刈り取られるであろう


1935年の年末、北京、上海南京、広東に至る中国の新聞は
紅匪ナンバーワンの毛沢東が死んだと報道した

モスクワは、毛沢東が小部隊を率いて安全無事に
陜西省北部に到着したことを知っていた

毛沢東の指導権の将来は不安定であっただが、毛沢東は
岩を切り刻んだ「住居」に住みながら

将来の指導者たちをつくる「国の諸制度」を創造し始めた
長征の疲労はなお四肢に残っていたが、また
次の時期を見はるかして生きて行けるかどうか?
確信の持てなかったこの人物が

将来の数十年について
自分の見通しで行動し続け、いまや中国世界の方向軸を
回転させる確固たる起点を持ったのである

10年もしくは20年の間に日本及び蒋介石に対して
紅色中国が勝利するであろうことを期待する一方

毛沢東はすでにこれらの勝利の後、全中国を
「改造する」という巨大事業を計画していた

この期間に行われた戦略・戦術、種々のマルクス主義の理論
もしくは政治的実践の諸問題に関する極めて系統的な
彼の講演は

毛沢東の未来千年のヴィジョンを垣間見せるものであった

陜西省の洞穴にいるこの武勇の政治家は
彼のこの地方の支配がまだすべてに安全ではなかったものの

厳かに姿を現し、
他の人間によって認められている「人」の本性や目的についての
考えはすべて誤っており、勝利を得た中国は

全人間と諸制度の徹底的な改造において、全人類を
指導するであろうことを
巨人のごとき力で確信させたのだ

彼は1936年12月の講義で
中国が指導権を握るであろう大戦争を次に予言した

最も大きな最も残酷な不正義の反革命の戦争が
我々の頭上にのしかかっている

我々がこれに対して、正義の戦争の旗を振りかざさないなら
人類の大多数はめっちゃくっちゃにされるであろう

人類の正義の戦争の旗は、人類を救う旗である
人類の大多数と中国人の大多数が行う戦争

これは疑いもなく正義の戦争であり、人類を救い、
中国を救う
最高の光栄ある事業である

それはまた全世界の歴史を
新しい時代に導くかけ橋でもある

「人民内部の矛盾」1957.6.18.毛沢東

2014-03-28 08:36:52 | 日記

「人民内部の矛盾」1957.6.18.毛沢東

毛沢東は、自分自身の党への反対が大罪である
という文章を挿入した

ここにいたって人々は初めて
「正しい政治見解を持たないことは魂を持たないことと
同然だ」
ということを毛沢東から学んだ

そして、毛沢東がこの短い百花斉放期に学んだことは
【すべての人々が魂を持っていない】
ということだった

彼は、知識人が労働者や農民のようになるよう
延安では語っていた(1942)

大多数の労働者や農民は共産主義に反対しないものだと
彼は本当に信じていたようだった

この苦い幻滅は
彼に中国全体の改造を命じさせる原因になった
今や彼は次のように述べた

我々は我が国の全ての工場、協同組合…一言で言えば
我が国の全人民が、自分たちの内部矛盾を解決する上で
この方法を用いるよう期待する(新華社1957.6.18.)

彼が本当に考えていたことは、この命令で明らかにされた
「国家の任務と大衆の要求との矛盾」を解決するために

全国的な「社会主義教育運動」を命じたのである
(人民日報1957.8.5.)

このことは、
大衆が(毛沢東があれほどしばしば確信していたように)
「いつも社会主義への道をより早く前進するよう大声で
叫びたてている」のではなく

「国家の任務」という毛沢東の単独決定に反する諸要求を
持っていることを公然と、しかも重々しく認めたことにあった

このキャンペーンは
労働者と農民に協同組合の優位性を説得し
労働者の短期かつ一時的な利益が
彼ら自身の「基本的かつ長期の利益」と矛盾することを
「確信させる」論争(闘争集会)の形式をとる
であろうことを確実にした

説得の失敗は「分解」を意味するだろうと
中央委員会は述べた

党が「有害分子だけは説得できない」と
繰り返し述べている以上、失敗の大きな危険はなかった

「有害分子」は偉大なる教育施設➡︎公安警察へ引き渡されたのだ

しかし、この一大「教育運動」が宣言される以前に
毛沢東の党の宣伝部長・陸定一は

「中国共産党への反対は反逆である」と
全国人民代表大会の代表に語っている(新華社1957.7.11.)

もともと党官僚に対して行われた整風運動が
いまや全国民に、全体に向けられた、またもやそれは
全ての人々にたいする鳴り物入りの恐怖であった

巨大な公安警察機構が全国を包み込んだ
数百万の人々が強制労働収容所へ運び去られた

数万人が処刑された
その他の数百万人は右派として「公衆監視」の下に置かれた

全ての者が告白し、自己改造に加わった

6億の人間が全て改造され再教育されねばならなかった
偉大な指導者とその「栄光ある党」に対する「無限の熱狂」

機会に恵まれた者は誰もが告白した

「私は人民に頭を垂れて謝罪する」
「私の誤りと罪の反省」
「人民の寛容を乞う」
「なぜ私はこんな重大な誤りを犯したか?」
「人民に謝罪する」

中国の作家たちはその中でも最も重罪であった
作家協会の半数以上が肉体労働による改造のために送られた
(全ての作家は作家協会に加盟しなければならない)

『プラウダ』11/20
文芸雑誌や中国作家協会の諸組織に起こっている再組織の結果
そのメンバーの約50%以上が
最下層の仕事のために下放されるであろう
多くの中国人作家たちは工場や畑で生活し
労働したいという意図をすでに明らかにしている

最悪の分類に属するもの、反革命の分類に加えられた者は
7月末までに130万人

共産党員188万人の知識人のうち5000人以上が反革命分子で
25万人以上が右派分子であった
共産主義青年団の中から3千人の反革命分子18万以上の右派分子

5~6月の謀反と陰謀の数は調査1年後に発表された
陰謀は3600件以上
11月には81万人の党と行政機関の幹部が失脚した

摘発された最後の反党グループの一つは
中国の心臓部【河南省】の党指導部であった

このグループは河南省を指導する党員
中国共産党河南省委員会第一書記で河南軍区司令部の
政治委員
瀋復生に指導されていた


毛主席が「人間そのものを変える」意図を持つものだと言って
次の指令を宣言した時

1956年に経済制度の社会主義的改革は全体として
最終的にではないが、完了したが、
人間そのものの変革はまだ完了していない

党は幾度か人間を変革する必要とその可能性とを指摘してきた
が反動的なブルジョワ右派分子を変革する方法は
まだ見出されていない

しかし人間が変革されなくてはならぬ
この闘争で勝利できぬなら社会主義への希望はない
《人民日報 1957.9.18.》

〔引用:毛沢東伝 G・パローツィ=ホルヴァート著〕

【貴族的従属】と【民主的服従】の概念

2014-03-28 08:35:04 | 日記

【貴族的従属】と【民主的服従】の概念

ある社会状態から他の社会状態へ移行する期間に
人々の精神は従属と服従の間を突然不意に揺れ動く

その時
服従者は服従を神聖な義務とは考えていない
服従の義務に甘んじて屈服する

この時期においては
従僕たちの精神においては
平等の混乱した不完全な心象が現れる

権利として持っている平等が
状態の内であるか外であるか初めははっきりと見出せない

その時、
自ら屈服し利益を受けている劣等な身分に対しては
心の底では、反抗している

奉仕することには同意しているが
服従することには屈辱を感じている

屈従の利益を好んではいるが、主人を愛してはいない

従僕たちは
自分たち自らが主人たるべき者であるか
どうかを確信していない

自分たちに命令する者を
自分たち権利の不正な簒奪者とし考える
ようになっている

そこでは
悲痛な光景に似通った疑いと拮抗諸権力間に
陰険内密な闘争が絶えず続行される

主人は敵意と疑惑とを感じており
従僕も敵意を持ち不従順である

主人は
不徳義な制限によって保護したり報いたりする義務を
絶えず免れようとしているし

従僕は
服従する義務を免れたがっている

両者の間には
各々が掌握しようと努めている家政権が揺れ動いている

権威を放縦から、権威を事実から分離している諸線は
従僕からも主人の目からも絡み合い混線している


両者いずれの者も、
事実がどうであるか?可能がなんであるか?
あるべきことがなんであるか?正確には知っていない

このような状態は、民主主義的ではなく、革命的である。


従僕と主人との精神上の類似点➡︎
従僕たちにおいても、出自についての誇り、
祖先と子孫とに対する崇拝、
下級者・大衆への軽蔑と接触の恐怖
礼儀作法・伝統・古いものへの好み
などが見出されるのには驚かされる

《出典:アメリカの民主政治(下) A・トクビル著 講談社学術文庫》

【大衆農民と毛沢東】VS【地主や都市上層と蒋介石】

2014-03-28 08:33:28 | 日記

【大衆農民と毛沢東】VS【地主や都市上層と蒋介石】

「新しい大衆の時代」
毛沢東は中国の歴史における最も具体的変化を
同志たちと実現した、という認識を熟知していた。

過去数千年の間、人口の90%は国家と民族の外にあった
国家行政機関は県に及んでいたに過ぎない

国家政府の前哨は県庁所在地であり、すべての統治機構は
自分自身の地方軍を持つ『土豪』が
地方住民を支配した

社会的ピラミッドの基底を構成する農民層は
公的管理の埒外にあった

毛沢東が大衆について語る時
中国人口の90%を占めるこれらの農民大衆を意味した

毛沢東は、農民協会、農民赤衛軍、農民参議会を用いて
革命戦略の基礎を社会的ピラミッドの基底に据えた

成功した最初の中国革命家だった

地主たちを追放して、
「中国ソヴィエト」及び『民主抗日政府』
というパターンを発展させた

毛沢東の軍隊は、対蒋介石で勝利をもたらしたが
最大の勝利は、大海原のような農民の心と魂をつかんだ

毛沢東が勝ったのは、農民のように生活し、感じ、
話すことを学んだからである

「大衆から学べ!」という毛沢東のスローガンは
大衆を どう取り扱い、どのように訓練し、励ますべきかを
大衆から学ぶことを意味していた

蒋介石政権は、
都市や地主や上層階級を基礎とする
まったく大衆から遊離する軍事独裁であった

蒋介石の兵士は、徴収された省で戦うことを許されなかった
蒋介石の兵士は、地方住民の必需品や利害を考慮しなかった

これこそが
蒋介石軍隊と人民との接触が
きびしく強く抑制された理由であった

これに引き替え、毛沢東は
その軍隊を農民層から建設し、兵士たちに対しては
やれる時にはいつでも農民たちの仕事を手助けする
よう教えていたのである

毛沢東は外国の援助を期待しなかったし、
また期待できなかった

蒋介石はすべてを外国の援助に、
そして西欧列強の対日戦の勝利に賭けていた



アメリカの援助は、初めはビルマ道路伝いに
のちにはヒマラヤ越えの航空機で流れ込んできた

アメリカの将軍や士官たちは蒋介石軍の訓練を助け
国民党軍の対日空中戦は完全に、シェンノートン将軍麾下の
中国駐留アメリカ空軍によって戦われた

アメリカ政府は
アメリカの将軍たちの反対を押し切ってまで
蒋介石を援助した

アメリカのスティルウエル将軍が
国民党軍の腐敗、非能率、無活動に対して抗議し
蒋介石軍に対する野戦指揮権を求め、与えるよう要求した時
彼は本国へ召還された

蒋介石の極度に厳格な検閲のため
国民党治下にいる外国特派員たちは、収賄、公金横領、
蒋介石政権の全般的な腐敗と非能率

また人民がその中で暮らしていた恐怖や悲惨さを
詳細に報道することができなかった

蒋介石の肩をもつ西欧の宣伝家たちは
国民党の軍隊が英雄的に戦っているのだと
うまく思い込ませよとした

蒋介石は、ワシントンが戦後、戦時中よりも一層断固として
自分を援助するようになるのが当然だと考えていた


毛沢東の唯一の希望は、彼自身の軍隊と
中国の地方の住民にあった

毛沢東は
ただ大衆に依拠できるだけだった

毛沢東は
大衆のもつすべての人間的な可能性を変形し、
これを活用しようとしたのである

《毛沢東「延安文芸座談会における講話」第3巻》