国家破綻 アルゼンチンの財政破綻
なぜ破綻という流れに至ったか?
アルゼンチン通貨の海外からの信用が
著しく低下し、
アルゼンチンの国債が暴落した
ことが引き金となりました。
今日はアルゼンチンの財政破綻について見ていきたいと思います。
アルゼンチンは20世紀の前半、経済大国の 1つでした。
一人当たり国内総生産の額でみると、
当時の日本との比較では2倍以上の高い水準でした。
そのアルゼンチンですが、第二次石油ショック時に
インフレを許容する金融政策を採用し、1989年には500%の
ハイパーインフレと累積債務問題を経験しました。その反省から
1990年代には、民営化と規制緩和による経済改革を積極的に推進
しましたが・・・。
それでは細かく見ていきましょう。
1991年
インフレ克服のため、1ドル=1ペソのドルペッグ制を導入しました。
(ドルペック制とは自国通貨をドルに連動させる方式)
このため海外からの投資によってペソは上昇、
国民は安くなった外国製品を買い求めました。しかし
経済は上向いたもののペソが過大評価のまま固定されたため
輸出がみるみる低下しました。
1999年
ブラジルの経済危機によってブラジルは変動相場制となり
通貨切り下げを実施しました。
当時、
アルゼンチンの輸出の約30%はブラジルへのものだったので
ブラジルの通貨切り下げによってペソ高となり
アルゼンチンにも大打撃となり、経済は急速に悪化しました。
そして2001年12月、預金を封鎖し
1320億ドルの対外債務のモラトリアムを宣言し
(モラトリアム:手形の決済、預金の払い戻しなどを一時的に猶予する事)
為替市場を再開しました。
IMFは融資の条件として、
緊縮財政や公務員の給与引き下げ、公共料金などの引き上げを要求、
更に銀行預金の引き出しを制限しました。
この結果、日本でもアルゼンチン政府が発行したサムライ債
(円建て外債)の支払いがなされず、4月にデフォルト
(債務不履行)となりました。
アルゼンチンの事実上の財政破綻となりました。
この時すでに変動相場制に移行していたため、
為替のレートが1ドル=1ペソから1ドル=1.5~1.8ペソとなり、
さらに国内銀行の総預金残高の70%がドル建てで預金していたため、
ドル不足となり、国民のドル預金を強制的にペソに換えていきました。
ドル建ての定期預金も1ドル=1.4ペソで交換し預金凍結を実施しました。
2003年3月、1ドル=3ペソを突破。
凍結されていたドル建て預金は引き出し制限解除されました。
しかし実勢相場は1ドル=3ペソに対し、1ドル=2ペソで払い戻しし
差額分は長期国債で補填と政府が発表し国民の不満が爆発しました。
社会秩序も崩壊し、略奪、暴動も起きる事態となりました。
なぜ破綻という流れに至ったか?
アルゼンチン通貨の海外からの信用が著しく低下し、
アルゼンチンの国債が暴落したことが引き金
となりました。