狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

文化はその黎明における根源的な相のなかでは、何か遊び的なものを固有の性質として保っていた。いや、文化は遊びの形式と雰囲気のなかで営まれていた。

2018年10月25日 14時54分42秒 | その他の日記


 以下の文は日刊スポーツの記事を転載したものです。

  『四つんばいリレー飯田が手術、監督「美談ではない」』

   全日本実業団対抗女子駅伝予選会(福岡県)で、倒れて走れなくなり、四つんばいになってたすきを渡した岩谷産業の2区・飯田怜(19)が骨折していた右すねの手術を受けることが24日、分かった。
   21日のレース後に福岡県内の病院に入院したが、近日中に大阪府内の病院に移って修復手術を受ける。
   このアクシデントを「美談」とする風潮について、同チームの広瀬永和監督(53)は「これは美談ではない」と指摘した。

   19歳のランナーが、近日中に手術を受けることが判明した。岩谷産業の広瀬監督は、飯田の状態について「骨が折れた状態なので、修復する手術をします」と説明した。
   飯田は右脛骨(けいこつ)骨折で全治3~4カ月と診断されて、福岡県内で入院。レースから3日後のこの日までに手術が決まり、近日中にチームがある関西の病院で移る。

   アクシデントは21日だった。
   飯田は残り200メートルで走れなくなり、四つんばいで進んだ。
   映像を見た広瀬監督は「やめてくれ」と棄権を申し出たが、コース上の審判員は本人の続行意思を聞いてストップをちゅうちょ。
   再度、同監督に意思を確認した。
   答えは同じだったが、タイムラグがあって飯田は両膝をすりむきながらあと約15メートルに到達。審判員は見送ってしまった。

   広瀬監督はこの日「審判長が止めるとか、医者が止めるとか(基準が)大会によって、ではなく、誰が止める権限を持つのかはっきりしてもらいたい。統一のルールを決めないとダメだと思う」。

   棄権はコース上の審判員に“差し戻された”形で、結果的にチーム側の2度にわたる棄権要請は実現せずレースは続いた。
   同監督は「(チームの申し出が通らず)大会側が止める権限を持つなら大会側でもいい。ただ(続行による結果への)責任を持ってください」と指摘した。

   飯田のアクシデントは「感動した」「止めるべき」と賛否両論を巻き起こしている。
   当事者の広瀬監督は「これは美談じゃない。200メートルも膝を引きずって今後どうなるか。影響があるのか、本当に復帰できるのか。今の時点で何ともいえない。それを『頑張った』とか『美談』とかいうのは……。アスリートファーストを考えると、ちょっと違うのではないでしょうか?」と違和感を口にした。







 マスメディアは苦難にめげずに頑張っているように見える人が大好物です。
 例えば、真夏の昼間の炎天下の中で高校生がふらふらになりながら野球をプレイする。高校生の怪我の可能性やパフォーマンスの低下や健康を一切考えず、過酷な環境で頑張っている姿を感動という形でニュースを構成して利益を得ようとします。 
 怪我を負っても頑張っている選手はTVは大好物です。その選手の将来がどうなるかなんて考えません。苦闘している姿をニュースにしてにお届けして「頑張れ頑張れ」と煽ります。
 例えば、怪我をしているのにノーヒットノーランを8回まで続けた投手を9回で降板させるとマスメディアは監督を批判します。怪我でその投手がどうなろうとマスメディアは知ったことではなく、ニュースとして盛り上がらないから無責任に投手を変えた監督を批判します。
 スポーツというものが何なのか? スポーツ文化とは何か? ということをマスメディアは一切考えません。
 もし、競技中に選手が死亡してもそれさえもマスメディアは見世物にして利益を稼ぐでしょう。
 
 選手はプレイを止めることを好みません。
 プレイ中はアドレナリンが出ていて興奮状態にあります。
 だから選手はプレイを止める判断が自分では出来ないケースがあります。

 スポーツ競技は、選手に危険性が発生した場合には強制的に選手にプレイを止めるシステムが確立しています。
 しかし、「あと少しだから」だとか「頑張っているのだから」という無言の圧力が発生したらそのシステムが停止する場合があります。
 マスメディアは無責任に煽ります。しかしその結果には責任は取りません。そして責任が取れないようなことを平気な顔でしているのです。
 競技を主宰する側はそのように無責任に煽る人達から選手に危険が発生した場合に強制的にプレイを止めるシステムを守るべきです。
 そして選手に危険が発生した場合に強制的にプレイを止めた審判は保護すべきです。
 さらに選手に危険が発生した場合に強制的にプレイを止めずにプレイを続行させた審判には注意し今後そのようなことをしないように指導すべきです。

 スポーツは体育ではありません。
 スポーツと体育は全く違うものです。
 そして体育であっても選手に危険な状態にあるのならばプレイを止めさせるべきです。

 選手を危険な状態にさせておいて『感動』という言葉でごまかすべきではない。と私は思うのであります。



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