高橋のブログ

不定期に..

【2017.9.15 佐渡・PAC 「トゥランガリーラ」を聴く】

2017-09-16 17:54:02 | 日記


兵庫芸術文化センター管弦楽団がPACと呼ばれているのを初めて知った。
Hyogo Performing Arts Center Orchestraの略のようだ(今のご時勢、PACとなると迎撃ミサイルを連想させてしまう。この日の朝、北朝鮮がまたミサイルを放っていたし)。

たまたま京都出張で仕事も昼頃で終わり、午後は少し足を伸ばして鑑賞してきた。

このPACだが、定期演奏会を3日連続で行っていることも初めて知った。更には合奏練習もホールで行うというベルリンフィルのような環境だ。
私は今回、その3日の初日公演を聴いたわけだが、金曜午後3時開演にも関わらずチケットはほぼ完売(補助席が出るほどの盛況となった)。
平日午後3時ということで、年配の方が大半だった。

杖をつきながら聴きに来た方も数少ない。少し失礼だが、「トゥランガリーラ」を知っている方は少ないのではないか?大丈夫か?と思った次第。
トイレ休憩もない80分の現代曲だ。

プレトークがあり、佐渡さんが、大変な難曲であること、師匠のバーンスタインが世界初演をしたこと等を話し、原田さんはオンド・マルトノを解説。
実際に音を鳴らすや、聴衆の大半が驚きの声をあげ、「題名のない音楽会」みたいな雰囲気になった。


以前、サントリーで某プロオケがこの曲を取り上げた時(指揮者は佐渡さんではない)、私はP席で聴いていたのだが、第3楽章から早くも帰りだす方々が目に付いた。
P席だからよく見えたのだ。演奏メンバーも当然、視界に入ったはずだ。第6、第7楽章で更に帰りだした。帰りだす主たる方々は年配の方々だった。
「なんだ、このへんてこりんな曲は?」と思ったのか、あるいはトイレ現象か..。
私は聴きながら、何となくブルックナー3番の初演エピソードを思い出したものだ。


しかしだ!今回は途中で帰りだす方もいなければ、明らかに寝ているという方も見かけなかった。
第6楽章なんて、思わず寝入ってしまう方もいるはずだが、そんな現場は目撃しなかった。なんというか、客質が違うのだ。
飴を出す人もなし。私の席周辺も年配の方々ばかりだったが、演奏を楽しんでいた。そのあたりが衝撃でもあった。
佐渡・PACを応援しようということか。それだけこのコンビがこの地に根づいたのかもしれない。

ピアノはロジェ・ムラロ。読響演奏会等で何度か接したことがある奏者。イヴォンヌ・ロリオ門下だ。非常に硬質な音色で、殆ど暗譜しているかのような弾き方であった。

原田さんのオンド・マルトノだが、今回ほどこの楽器の音色が強く聞こえてきた演奏はなかったように思える。
私は1F最後尾で聴いたのだが、その席ですら十分に音が強く聞こえてきて、オケの強奏場面でも全く埋もれていなかった。
設定でやや音を強めにしたのか(そんなことが出来るのか、わからないけれど)、ちょっと強すぎかな?と思う部分もあった。

各楽章の感想だが、Trbで繰り返される「彫像の主題」はそれほど暴力的ではなく、やや柔らかめ。私はこの主題にはもう少し恐怖を覚えたい。

第5、第10楽章は快活、明朗な演奏。佐渡さんのうなり声や指揮台でのジャンプ等、若干、私は苦笑。
ただ、後半の第6楽章~第9楽章は予想以上に緊張度が高くなり、それに私は感動した。
佐渡さんがトゥランガリーラ??と、当初はこの演奏会に赴くことを逡巡したのだが、聴きに行って良かったと思った。

最後のクレシェンド後、場内は沸き、私の周辺の年配の方々も「凄い凄い!!」と感嘆の声を上げていた。

それと原田さんがこの曲を300回ほど演奏してきたという話にはびっくりした。私はこの曲の実演に接して早30年ほど。
その間で20回ほど聴いてきたのだが、300回となると、国内では到底無理なわけで、世界各地で演奏してきたということだろう。
確か小澤・BSOの最後の世界ツアーの曲の一つもこの曲だった(このツアー、日本には来なかったのが惜しまれる)。
それだけオンド・マルトノ奏者は少ないということか。

さて次回のトゥランガリーラだが、来年の都響定期で大野さんが振る。大野さんによる同曲演奏は氏が東京フィル監督時代に聴いている。
もう結構、昔だ。これまた楽しみだ。
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