高橋のブログ

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【「深海の使者」と中村小四郎】

2022-02-09 05:58:36 | 日記
【「深海の使者」と中村小四郎】
ある縁でFBで親しくさせていただいているY様の母方の祖父が中村小四郎と知って驚いた。確か日本で最初の潜水艦を作った技術者で伊400等、潜水空母の設計にもあたった。
私の愛読書の一つ.吉村昭「深海の使者」という小説にも「中村小四郎造船大佐」とお名前が登場する。

「深海の使者」は過去にも紹介したが、吉村最後の戦記小説。連合国に陸路・海路を封鎖された日本海軍は遣独潜水艦作戦を敢行。
インド洋を横切り、アフリカ大陸を回りこんで大西洋を北上、ドイツに向かう実に3万キロの潜水艦作戦!5回に渡って行われた(伊30、伊8、伊34、伊29、伊52)。
連合国の対潜哨戒網をかいくぐって往復できたのは伊8のみ。伊8の乗組員は定員の100名を遥かに超えて約160名。

この小説を読む中でいちばんきつく感じるのは伊8がイギリスの対潜哨戒が強いオルテガル岬沖合を通過するところだ。

艦長が水上航走は危険と判断、艦は文字通り潜航する。160名が狭い空間で呼吸。時間経過と共に空気が濁り始める
(長時間潜航は想定していなかったのでシュノーケルのような機器は未開発)。
潜航10時間を過ぎると艦内は炭酸ガスに満ち、乗組員達は頭蓋骨がきしむような激しい頭痛、嘔吐感に襲われていく。
その危険水域を脱し、艦長が「浮上」と命じたのは実に潜航開始から18時間経過だ(当時、最長潜航記録)。
潜航10時間で厳しい状態になっているのに、そこから更に8時間も潜航。艦長始め、よくこの厳しい状態で思考能力が落ちなかったものだ。
読む側も息苦しくなる。

「深海の使者」

第一次遣独潜水艦、「伊30」(呉、大和ミュージアムで撮影)













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