高橋のブログ

不定期に..

7ヶ月後の宮城

2011-10-14 07:53:40 | 日記
9日の松島マラソンは事情でキャンセルしたのですが、11日から1泊2日で宮城出張に行ってきました。

新幹線が仙台駅に到着する数分前、何気なく東方面を見ると、仮設住宅がズラリと並んでいました。
洗濯物も干されていて、ここで被災者達が生活していること、そして改めて被災地に来たのだ、という認識を強くしました。

滞在中、地震が数回。あいかわらず震度3~4程度が起きています。
学校には、食料・飲料水が相当数保管されていました。学校によっては、校長室までが食料保管庫に。

また大きく揺れるかもしれない!という緊張。


石巻は11日をもって避難所は閉鎖。これからは各自で自活していかなければなりません
(ただし、自立困難の方々には当面の間、「待避所」を用意)

各地の景色は、どこも、前回訪問時と比べてあまり変わっていないなぁというのが率直な印象です。
ただ他の行政面は着実に進行。学校給食も大幅に改善(最近までパンと牛乳程度のところが少なくありませんでした)。


土木工事は追いつかないのでしょう。復興計画もまだ議論中ですし。防波堤、川の堤防等が損傷したままですので、
高潮とか、先日の台風では各地で床上浸水続出だったそうです。腰まで水が来たところも多かったとか。
この半年あまり、ボランティアの方々の協力で、ようやく家屋が綺麗になったのに...。

仙石線(石巻-仙台)の復活は5年位かかるとか(仙台-仙台空港を結ぶアクセス線は10/1にようやく運行再開)。


駅前の信号等は、今尚、点灯しないところもあります。警官が立って、指示するところもあるのですが、
運転手・通行人の自己判断のところもあります(交差点とか、かなり危険)。
いまだに整備出来ない理由が、それなりにあると思いますが、これは何とか早急に対応してほしいと思います。

損傷したままの学校体育館(立ち入り禁止)も多いです。図書室等で柔軟体操をやるとか。
教育現場は、いろいろと知恵を絞り、頑張っていましたが、先生方の疲労が心配。



テレビでは、朝から晩まで震災関係の番組が、どこかのチャンネルで行われています。
新聞では、ボランティア情報、死亡が確認された方々のお名前等が記載(宮城では今尚、3000人近くが行方不明です。)

こういう報道は関東では激減ですよね。定時のニュースで少し触れる程度。温度差、甚だし。


宮城県各地に、各国からの募金を始め、その国々の子供達のメッセージ等も届いていました。
最近ではボツワナ、ニジェールを始めアフリカ諸国からの第2回援助が来ていたそうです。
震災から7ヶ月経過でも、継続して援助が来る。自国自身が厳しい状態なのに!
ここの国民が募金するというのは、相当な覚悟が必要ではなかったでしょうか?


対して私達、被災地以外の日本人は、あの震災は原発問題以外は一区切りついた、とまではいきませんが、
意識は下がっていないでしょうか?

宮城、福島、岩手等は、新幹線で向かえば、すぐです。一人でも多くの方が、ここに足を運び、
自分の目で見て欲しいと思います。気持ちを共有すること。
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2 コメント

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Unknown (NAOJI)
2011-10-14 12:53:57
松島ハーフDNSだったんですね。
私は内陸の北上だったので震災の被害を目の当たりにすることはありませんでした。地元の方によれば震度5だったらしいですが。

ただテレビをつけるとやはり震災関連のニュースが多くて北海道とは違う感じがしました。

私はまだRUN×10で細々ですが岩手県に義捐金送付してます。
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Unknown (高橋)
2011-10-16 16:22:43
NAOJIさん、どうも。

「松島」は前日昼まで参加予定だったのですが、事情で参加を取りやめました。

「大阪」も同様。

「東京」は当選したので走ります。

東北はまだ震災関係ばかりですね。
関心を引き続き持っていきましょう。

来月の件は、末にでもメールします。
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