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このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

信長と秀吉は高度成長経済をもたらした

2025年02月10日 | 歴史
天下人となった織田信長は、その後、「芸術の産業化」を自分の政策とした。すなわち、当時流行しはじめていた、「茶道」を軸として、経済政策に重きを置いた。つまり自ら茶道に関わりを持つ産品を珍重することによって、それをひとつの、「日本人の価値観の転換」に利用した。彼が茶にまつわるいろいろな芸術品を大事にしたことが、経済政策を大きく変えていった。彼の部下大名たちも、土地を欲しがらなくなった。むしろ茶碗や茶釜 . . . 本文を読む
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信長と秀吉のちがい 芸術と政治のあり方

2025年02月09日 | 歴史
織田信長の事業を継続した豊臣秀吉は、天下人になると芸術家を虐待した。虐待したというよりも、「芸術家も政治権力のもとに屈服すべきである」と考え実行した。千利休が殺されたのはそのためだ。利休は、「織田信長様は、茶人という芸術家を尊敬した。つまり芸術の分野は、政治の分野と両立するものであって、上下関係はないとお考えになっていた。いってみれば芸術の分野はサンクチュアリ(他のカのまったく及ばない聖域)とお考 . . . 本文を読む
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信長は秀吉に不安を感じ、岐阜という地名に変え天下布武の印章を使う

2025年02月08日 | 歴史
そのような芽を出す、時代の空気を変えつつあるのは、ものいわぬおびただしい戦国の民衆であった。その存在を、家臣の方がより早く気づき、信長は、まだ高い雲の上にいたということである。山の頂を極めようとあせる信長は、籐吉郎がふもとの方でシコシコと、こういう戦国民衆のニーズを組織していることに気づかなかった。もちろん、籐吉郎自身も、それに気づいていたかどうかはわからない。しかし、持ち前のカンのよさで、籐吉郎 . . . 本文を読む
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秀光叛逆(はんぎゃく)をそそのかしたのは足利義昭かもしれない

2024年12月06日 | 歴史
㉓今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、織田信長についてお伝えします。今回のシリーズは今日で終わりです。――――――――――――――――――――――――また明敏な信長は、それほどまでに光秀を追いつめておれば、当然彼の窮余(きゅうよ)の反撃があるかも知れないと、警戒するであろう。光秀に信長襲撃をそそのかしていたのは、備後の鞆(とも)の浦に亡命していた足利義昭であったかも知れない。本能寺の変の当 . . . 本文を読む
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朝廷の特権・歴の改正をいいだす

2024年12月05日 | 歴史
㉒今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、織田信長についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――朝延には、旧制度を徹底して破壊してゆく信長に対する、不安感がわだかまっている。仏教から現世の権力を剥奪(はくだつ)した荒技への反感もある。しかし、現在の信長の意向に、反対できる公家はいなかった。信長が将軍任官を拒むのは、朝廷の官職から離れ、あらたな権力機構をうちたてるためかも . . . 本文を読む
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