【2024年】ツイッターつぶやき
車の調子が悪いので点検と修理に出しました。
2泊3日です。
昔はもう少し早かったと思うのですが、今はディーラー店も少なくなっていますからなぁ。
そういえば、コロナとかいろいろありましたが、新車の納車に相当待たされるようですね。
人手不足からでしょうが、新車点検不正もありましたね。
色々なところで不便さが出る社会です。
先日も書いたけど、大量生産大量販売の競争から、値上げによる少量生産少量販売になっていく社会。
≪過去の記事≫
【2004年】
神様
中公文庫
川上 弘美 著
「神様」をはじめ、九つの短編からなる短編集です。
「神様」は、「くまにさそわれて散歩に出る」という言葉からはじまり、最後の短編「草上の昼食」は、そのくまからのお別れの手紙に返事を書くところで終わります。
神様とは、熊の世界の神様。熊の神様にお祈りをすると同時に人の神様にもお祈りをしてこの短編集は終わります。
このように、さまざまな不思議なお話の短編集ですが、すべての作品が独立をしているかといえばそうではないのかもしれません。主人公の女性華子は、全編に共通します。
最後に華子は熊の神様に華子は何をお祈りしたのか。
はじめの短編「神様」では、熊は「くまの神様のお恵みがあなたの上にも降り注ぎますように」と言う。華子は「くまの神様とはどのようなものか、想像してみたが、見当がつかなかった」と。
最後に華子は、なぜくまの神様にお祈りしたのか?ここがこの作品の主題ではないでしょうか?
「夏休み」は、夏の不思議な体験と夏が終わる寂しさを現しています。とても心にしみるお話です。「花野」は、死んだ素敵な叔父と対面し、世間話のようなお話をする。叔父は実態のあるものには触れられないはずなのに、最後に大好物のソラマメをつまみ食べることができ感謝をする。暖かい気持ちになれます。
その他の作品も、心を暖かくさせるものがあります。
くまの誠実さに暖かいものがあります。
くまの神様が与えてくれた「お恵み」とは、こんな人の心を暖かくしてくれるような不思議な世界なのかもしれません。しかし、それは現実の世界のある面でもあるのかもしれません。
華子は、最後に、これをくまの神様にお祈りをして感謝したのかもしれません。
素晴らしい作品でした。
解説には、「これは夢だ」とあります。また、夢であることからと言ってフロイト的な夢分析(性を中心とした)をしてこの作品を分析してはならないと書いています。
僕は、この作品は夢ではないと思います。
夢の世界のようではありますが、川上さんの内面を表した作品でしょう。内面に沸き起こるものを自動筆記のように思うままに描いていく、これが川上さんの作品です。でも、内面を見つめてそれを計算高く不思議な世界に現したというような打算は川上さんにはないと思います。自然になるがままに描いたということが伝わります。
<加筆訂正>2005年9月16日
上の感想で、主人公「わたし」を華子としましたが、華子は、「わたし」の叔父の娘で、「わたし」の従姉です。
主人公「わたし」は、一人のある女性としておきます。
暖かでした。
もうすぐ春分!春本番ですね。
洗濯物もからっと乾き、気持ちの良い一日でした。
駅前の肉屋さんでチャーシューを買ってきました。少し高いのですが自家製のチャーシューでおいしいです。脂身の多いところ少ないところを選べるのでいいです。ここのチャーシューを食べると、スーパーのパック入りのものはどうも・・・・・
時間があるときは我が家でも作るのですが、もちろんこれが一番うまいです!!(笑)
【2005年】
デパートに行ってきました。おいしいケーキがあるので行ったのですが、食料品売り場の片隅に生ジュースコーナーがあったのでついでに飲みました。本格的なジュースで、僕の前に並んでいた男性のオレンジジュースを作るところを見ていたのですが、オレンジを3個か4個使っていました。僕はビタミンが豊富な何とか言うジュースにしました。すっぱさがきつかったですがおいしかったです。
ケーキもジュースもおいしいものは高いです。
ジュースというのは果汁100%でなければならないそうですが、濃縮還元の安いジュースばかりを飲んでいると、新鮮な本物の味にあらためてびっくりします。
【2006年】
朝まで寒かったですが、昼過ぎから暖かさが戻りました。昨夜はまるで真冬のようでした。
スーパーのレジの列が混雑していました。こういうときは買い忘れをしないように慎重になります。だいぶ前、油を買い忘れてその油一つでまた長い列に並んだことがありました。いらいらしちゃいます。
あぶなく缶チュウはいを買い忘れるところでした。。。。
帰り道、公園の横を通ったら子供達が大勢遊んでいました。暖かいのでもうシャツ一枚で遊んでいました。桜の木を見上げたら、もう莟がだいぶ膨らんでました。
東京の公園も子供達にとってはけして安心できる場所ではなくなりましたが、日が延びてきて6時少し前頃までは明るいので子供達も外に出ることができる時間も延びました。
【2007年】
気象庁による桜の開花予想が大幅に修正されたらしい。ワイドショーなどで気象庁の責任者のお詫びが放映されていたが、はじめはたがか桜の開花宣言でなぜこんなお詫びをと思ったが、隅田川は桜の時期となると屋形船がたくさん浮かび、早い時期からの予約となるし、開花宣言は利用者にとっては大切らしい。こういうことって案外たくさんあるのかもしれない。
午後から雨!という予報なら、駅の売店やコンビにではビニール傘を出すかもしれないし、行楽用の弁当屋さんも影響があるかな。。。。
たかが開花予想されど開花予想。。。。。
東京も予想より1週間ほど桜の開花が遅くなるらしいが、暖冬といっている割には去年と変わりなさそうである。
夕螺家恒例隅田川夜桜船が楽しみ。。。。。今、ホームページを見たら、運行予定が3月17日(土)~4月8日(日)と、なっていた。明後日は無理でしょう。。。。やはり気象庁の開花予報を当てにしたのか(笑)
春闘も終盤
1000円ぐらいの賃上げ?
政府も財界も景気拡大維持には賃上げが必要という認識がやっと出てきたようだが、どうも大幅な賃上げには慎重なメンもある。
理由は「国際競争力」。たしかに賃金コストが上がれば競争力は落ちるというのはじょうしきなようだが、大企業の工業製品は、現地生産が多くなり、韓国や中国で生産されたものを企業は売っている。もちろん日本にも韓国や中国で生産されたものが入ってきて、テレビは輸入製品にもなりつつある。でも売っているものは日本企業製。。。。なんだか国際競争力というのもわかりづらくなっている。
国際競争力をつける=中国並みの人件費。。。。ということか?
これでは大幅な賃上げは無理となり、個人消費の伸びも無理ということで、停滞は続くのだろう。
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】
僕は野原を歩いていた
春の風が吹いていた
その風がヒューと強く吹いたとき
隣にいたはずの君はいなくなっていた
僕はあせったなびく草に君を探した
落ちていたのは君の言葉だけだった
僕は全部拾ってつなげてみた
僕はつなげ方が下手だった
拾った言葉は羅列でしかなかった
そのときまた春の強い風が吹いた
君の言葉たちが空に舞い上がった
そしてくるくると回った
つむじ風は一つの整然とした一言の言葉をつなげた
君の言葉は整然と僕の心に入り込んだ
そうなんだ。。。でもその整然とした言葉は
僕の心の中でまたばらばらになってしまった
また僕はなびく草に君を探した
僕は野原を歩いていた
春の風が吹いていた
【2011年】ツイッターつぶやき
東京も含め関東から甲信越まで計画停電が一部の地域で行われはじめています。
節電ですからしかたないと思って見ています。
この原因はもちろん東北の地震と福島原発の事故であると思うのですが、東京をはじめ人口が集中する大都市の電気エネルギーは、今の原発事故を見るにこのような危険性を福島やいろいろな風光明媚で自然豊かな土地に依拠をしてそこに住む人たちの危険性という犠牲の中にあったということですね。
これは沖縄の普天間基地にも言えるわけで、沖縄のやはり風光明媚な美しい自然の中にある基地を沖縄のこれまでの犠牲の中においてある意味日本の軍事戦略を支えていたわけです。
このように福島の原発と普天間基地は共通点があります。
今になってはどうにか原発が臨界爆発を起こさないようにそして福島の汚染が広がらないように祈ると共に安定化してもらう努力を祈るばかりですが、しかし、今が大切です。悔やんでもしかたない。今できることという中には、豊かな電力がどのような犠牲において維持されたかを確認すると共に被爆された方や避難された方に何ができるかにあります。それは個人の意識だけではない政治的な認識の中からの何ができるかにあります。
大都市や原発のないところに住んでいる地域が何をすべきかです。
関東一円に避難場所を確保していくことは難しいのでしょうか。またこれ方たぶん増えていく被爆者の問題もあると思います。その専門病院も必要になる。これをいち早く作る作業が必要でしょう。病院を新たに作るというのは大変ですから、今まで無駄だといわれた議員宿舎などを改良して簡易な施設として使うとかはできないのでしょうか。そこに専門の医療器具を入れて。。。。。これはたぶん素人考えでできないよといわれると思います。でも現地で避難ばかりしかできない現状では。。。。こういう事態になったら今までの恩返しというのか。。。。何かしら大都市は都知事を中心に各県の知事が集まり動くことは必要ではないかと思うのですが。それは日本全体で普天間を考えるのと同じです。空想的でしょうが・・・・・
【2012年】ツイッターつぶやき
ツイッターで読んだのですが、アゴラに「原発問題において不可欠なパラダイムシフト」という文章がある。
この文章の要旨は
「なぜ、放射能をそんなに恐れるのかわからない」という人もいれば、「なぜ、低線量被ばくは危険ではないと言えるのかわからない」という人もいる。
片方が正しく、片方が間違っているとは言えないし、「安心」と「不安」は共存する。論理的な話や科学的な検証といった「正しさ」は必要であり、それを信じて真摯に情報提供に努めることに価値はあっても、それだけでは解決しない。
正しい間違っている、勝った負けたの話では決してない。もしそう考えるのであれば、原発の是非は主張の異なるものとの正しさを巡る議論ということとなり、復興とは無関係のものである。
ここで発想の転換、つまりは「パラダイムシフト」が必要となる。「正しさ」を決められないのなら、「正しさ」を求めなければいい、と。
「妥協点」という言葉はポジティブではないので、「共通目的」と言い換えよう。具体的には、「被災地の復興」と「福島県から避難している人たちのケア」である。どうアプローチするかはさておき、これは議論を待たずして共有できる目標のはずだ。
つまり、「正しい」ことではなく「良い」ことをするというように文脈に変えて、反対派をモチベートするということである。「安全だから大丈夫です。受け入れてください」という受動的な表現ではなく、能動的な表現に変えていくことである。
「政府を信じなくていいですし、テキトーなことをいうメディアは無視して、被災地で不便を強いられている人たちを支援し、福島を差別から守りましょう」というように。
被災地で助けを求める人、避難生活を余儀なくされている人がいる。これは紛れもない事実だ。
今、必要なのは「正しさ」を超えたパラダイムシフトなのである。
(以上、上記リンクページより引用)
パラダイムシフトとは何か?
こちらのサイトを参照させていただきますが、人々が正しいと思っていたことがある。たとえば天動説である。しかし観測の技術が向上していく中に天体の動きの説明に矛盾が出てくる。そこでこれまで異端とされた地動説が検討をされ始めて矛盾した天体の動きが合理的に解決をされていく。ここに天動説が地動説にというパラダイムシフトが行われる。
パラダイムシフトをこのようにとらえると、原発事故問題をどのようにとらえるかの答えが得られるのではないか。事故以前は巨大地震や大きな津波は想定せずに今回のような水素爆発もないという仮定の上に安全が言われた。そしてそれは安全神話だったというのが大方の判断だろう。まさに原発は安全発電設備であるという天動説への疑問や矛盾が見えてきたのである。これは安全性だけではなくて発電コストが低くCO2の胚珠もないクリーンな発電設備というのも事故後の賠償金や事故を起こした原発の廃炉の困難さからかさむだろう費用、いったん事故が起きれば制御のできない放射能の拡散という環境破壊というCO2とは質の違う環境破壊が起こったことによりやはり天動説は覆されている。このような原発への不信や矛盾の現れの中に脱原発の声が高まり、政府民主党内にも将来的ではあるが原発に依存しない社会を言うようになっている。すでに積極的原発推進は言われなくなっている。地動説が言われるようになりその正しさが明らかになってきていると言えるだろう。そして新たな発電設備としての自然再生エネルギーへの転換が言われ、産業としても発展する目ができている。
このように原発依存という天動説から脱原発と自然再生エネルギーという地動説へとパラダイムシフトが行われようとしているということである。
まず、このパラダイムシフトの過程であるという位置づけを確認することから話を進めるべきだろう。
このようなパラダイムシフトの中においても拡散された放射能の安全性や危険性の議論は尽きない。どちらが正しいのかは素人判断では正確には判断できないだろう。その中に確かに「正しさ」から離れたパラダイムシフトが必要である。しかしこれは、科学的な判断による「正しさ」という唯物論から離れて『「政府を信じなくていいですし、テキトーなことをいうメディアは無視して、被災地で不便を強いられている人たちを支援し、福島を差別から守りましょう」というよう』なあるいは『「正しい」ことではなく「良い」ことをするというように文脈に変えて』といった感情論的な観念論に移行することがパラダイムシフトだろうか。もちろん引用した文章は放射能の危険性を訴える人々への「説得」あるいは抑え込みのための論理的パラダイムシフトなわけですから観念論的手法も気には止めないでしょうが。
放射能汚染の現状の中において「安全だ」という人と「危険だ」という人のこの矛盾をどのように解決をするのが本来のパラダイムシフトだろうか?
今現在の放射能汚染度は通常時の放射線量ではないというのは誰もが共通して認めるものだろう。そしてその放射線量からの処置としての外部被ばく量や内部被ばく量の基準値は今回の原発の事故時や核戦争時の緊急的汚染時における暫定基準であるというのも共通した認識となるだろう。また一部には安全も危険も低線量被ばくについての統一的な見解はないという人もいる。この事実から話を始めるなら、放射線量は基準値は最低限守らねばならない数値であるということからその基準値以下にして国民(特に子供や幼児)を守るというのがパラダイムシフトと言えるだろう。最低限度の守るべき被ばく線量数値から下げる必要性は「危険だ」という人はもちろん「安全だ」という人も否定はしないだろう。政府も除染の必要性を言っているわけで実際行われている。同時にこれは飛散された放射能をさらに拡散してはならないということにもパラダイムシフトは働くだろう。
天動説という常識あるいは正しいと言われたものの中に矛盾が見えるようになった時、その天動説は否定をされて発展した形の地動説が生まれる。このパラダイムシフトの現象面の裏には、というよりもパラダイムシフトを貫徹させるエネルギーは矛盾である。「安全だ」「安全ではない」という矛盾が新たな方向性を産むのである。科学的に安全柿喧嘩の追及はされ続けなければならない。しかし同時にその答えが得られる前に国民を守るという政治的な方向性は、脱原発と自然再生エネルギーの方向に向かい、出来るだけ被ばく量を小さくしていくことに向かう。これが発展ではないか。
【2013年】ツイッターつぶやき
今、もう一度振り返らねばならないものがあるのではないか?
それはなぜ圧倒的な支持に下に民主党政権が生まれたのかという事です。
もちろん民主党の「国民の生活が第一」という政策がだんだんと尻つぼみになり、脱官僚は官僚排除という誤った方向になり、財政問題では仕分けという限界にとどまり社会全体のも順にまで目が向かなかった。そのほかにもさまざまな問題があったと思うのですが、とどめは菅内閣の消費増税で、原発事故後に野田総理の自民党化色が強くなってしまった。こういった民主党の過ちや限界はあった中に国民の失望とその失望の中からの反発が政策批判とともに感情論にもなった。
しかしこういった民主党の失敗はあったが国民が民主党に期待したもの(マスコミも含めた反自民も)自体は間違いはなかったはずなのです。残念ながら先にも書いたように感情的なまでの反民主党という批判が二大政党制の中での二者択一の中で自民党に政権が帰ったのですが、選挙を見てもじゃぁ自民党を支持したのかといえばそうではなかった。やはり国民生活が第一の政策が求められているのです。それは求めるというものが日常の国民生活の苦しさの中にあるわけですから。
もう一度振り返りましょう。
民主党政権をつくりだした国民の声が正しかったのだと。
その中で今の自民党政権の政策を見つめましょう。国民生活が良くなるのかを。
今の自民党内閣は小泉政権時の自民党に似ています。
改革に反対する勢力は抵抗勢力であるという「敵」をつくりだしながらあたかも古い自民党からの脱皮のように自民党をつぶすとも。こういった小泉劇場と現在の自民党が民主党政権時の政策を「敵」に見立てたような中で自民党も変わったという中に今の自民党を規定する。安倍劇場が起きているわけです。原発政策でも小泉内閣(当時の幹事長は今の安倍総理だったと思うのですが)と同じようにまた新たな安全神話をつくりだそうとしていか。経済政策も企業優先からの景気回復であり、その経済の好調さは国民生活には反映されずにかえって国民生活は格差の拡大に向かう。年金制度はどうなったか。。。。
こう見るならば民主党政権が生まれたときの政策をもっと拡充したしっかりと根の張った政権が必要という事ではないでしょうか?
もう一度振り返る必要がある。
民主党はどうするのでしょうか。。。。このまま消えていくのでしょうか?
【2014年】ツイッターつぶやき
すみません。
これから旧ブログのまとめ3月15日までをアップします。
お見苦しいかと思いますが失礼します。
こちらに引っ越してきてまだなれぬブログ機能に戸惑いましたがいじっているうちにどうにか形らしくなり落ち着きました。
また少しづつ思うところを書いていきたいと思います。
このブログは使いやすいかもしれない。。。。
旧ブログについては「何を思っていた?(旧ブログまとめ)」のカテゴリーとしてまとめて行きたいと思います。
3月6日からはじめましたが、2010年から2014年までの3月6日に書いたものを「3月6日という日」という形で4年間の3月6日をまとめていきたいと思います。僕は誤字が多いのですが、誤字もそのままにしておきます。
またいろいろなことが頭の中に湧いてきましたら書き綴っていきます。
【2015年】
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
久しぶりに過激な言葉を使う禁煙促進を見た。
「受動喫煙で1.5万人死んでるから屋内禁煙に!→国民「イイね!」自民党の半分が猛反対」 (ハフィントンポスト)
以前は喫煙夫が妻を肺がんで殺しているといった過激な禁煙呼びかけがあったが、最近はだいぶ少なくなったように思っていたら
「親の喫煙によって、子どもの突然死の割合が5倍近くにもなる、というのは、親が子どもを間接的に殺すことになる、ということです。」(上記サイトより引用)
このような過激な言葉を世間に流布して肺癌で死んだ妻や子に対して親類縁者から「お前が殺したんだ!」と責められて自殺でもしたらどうするんでしょ?
それも根拠となる資料には「受動喫煙を受けなければ肺癌等で死亡せずに済んだと推計」(引用)とあるようにあくまでも推計によるものである。また2016年にはJTより1.5万人死亡に対する疑問点(JTホームページ)が出されている。
少なくとも「殺した」などという過激な言葉を使った先導的なものはやめたほうがよいでしょう。
またこの推計はただ単に受動喫煙をした人としない人tに分けただけの結果です。
受動喫煙しなかった人の罹病要因は何かも示されていません。受動喫煙以外の要因でもたくさんの方がなくなっている。そうならば、受動喫煙をした方で死亡した人もこの受動喫煙以外の要因で罹病したと考えるのが当たりまです。しかしこの関連性については考慮しないで結論として推定とする。
仮に受動喫煙しない人の死亡率から、10万人当たり100人とすると、受動喫煙をした方が1.3倍ですから10万人当たり130人としてみることができる。すると受動喫煙した方のうち100人は受動喫煙しない方と同じ罹病要因で亡くなったとみることに無理はないでしょう。すると受動喫煙以外の要因での罹病者数は200人、受動喫煙と思われるものが30人となります。
どうも受動喫煙をしたかしないかの単純比較には無理があるでしょう。先に引用したJTのホームページには次のように書かれています。
「受動喫煙によってリスクが上昇するという結果と上昇するとは言えないという結果の両方が得られており、未だ科学的に説得力のある形での結論は得られていないものと認識しています。」
やはり「殺した」と言った過激な言葉は控えるべきで、肺がんなどをなくすことを真に考えるならばたばこ以外の要因を研究すべきなのです。
現在政府が検討している受動喫煙防止法に例外なく賛成するという方が、58.6%、小規模店舗を例外とするという方と同法案に反対という方を加えると39.3%となり、現在の喫煙率18%(上記引用サイト)からみると喫煙をしない方も小規模店ならとか同法に対しては反対という方もいるということです。
ここに受動喫煙防止のための分煙が含まれていません。完全分煙ならという聞き取り項目がないのです。
こう見ると、「国民「イイね!」自民党の半分が猛反対」という言葉にも過激な言葉使いと誇張があるのではないでしょうか?
【2018年】ツイッターつぶやき
コンビニに行った帰り道
公園の横を通ったら
ざわざわとざわつく音がした。
見上げると大きな楠が
ものすごい勢いでざわついていた。
蕾がだいぶ膨らんだ桜の木や低木は静かだった。
何をざわついているんだい?
そういえば2011年の今日もざわついていたね
今日は。。。。。
今年の日本の今日は。。。。。
また楠は大きくざわついた。
【2019年】ツイッターつぶやき
久しぶりに切り干し大根のペペロンチーノ風を作りました。
切り干し大根はよく洗ってから好みの硬さに茹でておきます。
フライパンにオリーブオイルを入れて低温でニンニクのスライスと鷹の爪を炒めます。香りが出てきたらニンニクと鷹の爪を器に戻します。香りが出たオリーブ油で玉ねぎとニンジンの千切りを炒めます。しなっとしたら切り干し大根を入れて炒めます。水分は野菜の水分だけで十分です。パサパサなら水をちょっぴり。
味付けは鶏がらスープの素、塩、コショウ、しょうゆ少々です。
仕上げに桜エビを散らしてさっと炒めたら出来上がり。今日はクコの実を少々。
以下ツイッターから
景気の後退が言われはじめている中で、狭まった行動範囲の緩和を行うのか?日銀も景気判断を下方修正すれば相対的に経済の動きにも鈍さが出てくる。デフレはカネ余りですから、吹き溜まっているカネがどう動くのでしょ?
政府も日銀も景気判断の下方修正を行うとすれば、景気は政府が言ってきたような好景気という状態ではなかったと見るべき。その中で消費増税が行われ、賃上げもない状態での生活に密着をした物やサービスが値上がりして億世の物価高に。隠しておいたデフレ不況がすごい形相で顔を出す。
格差の拡大で富が所得の低いところから高いところに回って、その金は吹き溜まっている。デフレ不況はカネ余りですから、吹き溜まったカネというものは必然的な現れです。同時に庶民にはカネがない。悪性の物価高が襲い掛かる。
デフレ不況と同時にハイパーインフレに近い悪魔が襲い掛かるかもしれない
好景気時には物価は上がらず、景気の後退宣言と同時に物価は上がっていくという皮肉が何を意味するか?
アベノミクスや日銀緩和は逆立ちをしていたということです。
その結果がさらに悪性のデフレ不況を深化させ、インフレを引き起こす。
強力なスタグフレーションが起こりえる。
ゼロ金利、マイナス金利で銀行の脆弱性が現れているかもしれない。
ほんの少しの景気後退でもあらわになれば、そして株価の下落が起きれば、危なくなるのか?
銀行の力が弱くなっているとはいえ、銀行の危機は国民に動揺を与える。
社会に経済的パニックが起きればそれは恐慌です。
【2020年】ツイッターつぶやき
安倍総理は14日に会見を行った。もちろん特措法成立後にです。
安倍総理の会見は威圧的でした。
なぜ威圧的かと言えば、特措法という鎧を着ていたから
ただ刀を抜かないで言葉は柔らかいだけ
いつでも刀は抜くよ。。。。
そこにあらゆる忖度が出てきてしまう。
安倍総理は会見で日本は人口1万人当たりの感染者の割合は0.06人にとどまっていることからすぐに特措法での緊急事態宣言を行う必要がないとしつつ、事態を見て法に基づいて緊急事態宣言を行うとしました。
しかし日本ではPCR検査の数量自体が少ないわけで、もしかしたら検査数量を考慮すれば、例えば韓国のほうが検査数量が日本の10倍ならば、検査数量の少ない日本は感染者数が10倍となる可能性があるわけです。
政府は検査能力があるにもかかわらず検査件数を抑えコロナウイルスの疑いがあっても検査はしないで自宅待期です。日本医師会もインフルエンザの検査さえ行わない状態です。
この中で政府への批判も出ているわけですが、総理大臣が非常事態宣言の鎧を着て刀に手をかけているわけですから、検査件数を増やして爆発的な感染者が起きらかになれば刀を抜くかもしれない。非常事態でもいいのですか?中国やイタリアのようになっていいのですかという暗黙の圧力となるでしょう。国民はじっと自宅待機など自己責任のもとに自己解決を行わざるを得ない。
ある意味強権的な現状を作り出します。
しかし院内感染があったとしても検査をしやすくして院内感染を抑えた和歌山県の例もあります。韓国も積極的な検査体制でコロナウイルスと戦っています。
国民を自己責任に追い込むような状態では感染防止にも穴が開くでしょう。
【2021年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの「東京日記」が更新されました。
3年程前だったか、長い間使っていたコード付きの掃除機が故障してしまったので新しく買いました。今はほとんどの掃除機がコードレスですなぁ。そしていざ使ってみるとなぜか右腕が筋肉痛というのか間接近くの筋が痛むようになった。手元にモーターやバッテリーが付いているのでコード付きのものより重いせいだと後日気付きました。
この掃除機でフェンシング?
たしかに鍛えられますなぁ。腕が太くならないかな。。。。。。
川上さんは「フランス人は10着しか服を持たない」という本に影響されたようです。
「掃除機をフェンシングの剣のように持ち、ずいずい掃除する」
衝動買いをした川上さん。
僕のイメージでは掃除機を片手で持ち上げてフェンシングするように勘違いをしたのですが、川上さんも?ちょっと心配になりました。
「フランス人は10着しか服を持たない」
誰でもが着回しでお洒落になれる?
川上さんはおしゃれなフランス人とご自分を同一視して読むがフランスのおしゃれはコーディネートであったことに気づき怒りながら本をしまう。
「フランス人は10着しか服を持たない」
誰でもできるお洒落。。。。
この「誰でも」というのが曲者ですなぁ。。。。。
川上さんはご友人にリーもーとリモートの設定を教える。
「私にもできるから大丈夫」と。
すると数日後
「川上さんでもできるならと思ったら、アプリのインストールもできた」という返事。
「誰でもできる」。。。川上さんの立場は「フランス人は10着しか服を持たない」の著者に。
友人は難なくできた。。。。。
川上さんの心の動き、お察しします。
夜半からの雨風がやんだら
空からさっと日の光が降りそそいだ
きらきらと七色の光は
桜の木にも降りそそいだ
あまりにもきれいなので出窓から眺めた
すると七色の光が集まって
3センチほどの桜の精があられた
蜂のような羽をパタパタと
枝の周りをゆらゆら飛んでいた
おやと思いながら外に出てながめることにした
桜の精は桜のつぼみに近づくと
「えいっ!」と、スティックを振り下ろした
つぼみは開かない。。。。
「開きませんなぁ。。。」思わず声をかけてしまった
桜の精はびっくりしたように振り向き
頭をポリポリと掻いて「あハハハ。。。。。」と
そして大きく息を吸い込んで「えいっ!」
「だめですなぁ。。。。」という言葉が終わらないうち
桜の花がスローモーションのように
1輪咲いた
「ほう、たいしたものですなぁ。。。」
(だいぶ昔、ホームページに書いたものですが・・・・・)
【2022年】ツイッターつぶやき
さらに円安は進み今日は118円を上回った。
この1年間を見ても10円以上の円安です。日本製品をアメリカに売った時、1億円で売れたとしてもドルで決算したら1年前に比べて10%も売り上げは減ってしまいます。10%多く売れればよいのですがそうはいかないのが日本企業です。
アベノミクスにより企業利益は増大し企業の内部留保も増え続けたようですが、現実はドル換算をすると10%減少したことになる。
企業利益が増大をして腹は膨らんだが、実態は経済が落ち込んでしまった。
毒饅頭を食ってしまったのです。
アベノミクスという言葉が注目されたころ、企業は少し半信半疑だったようですが目先の利益にとらわれてアベノミクスは進められた。アベノミクスに懐疑的だったのは毒饅頭ではないかという懸念だったのでしょう。
毒饅頭は腹を膨らませますが、腹を壊すか最悪死んでしまいます。
【2023年】ツイッターつぶやき
スーパーに神奈川県産の春キャベツが出はじめました。
かる~い、かる~い。。。春キャベツ
小皿に味噌を出してその味噌をちぎった春キャベツにのせて食べました。
やわらかでうまいですなぁ。。。。。
残りは朝のサラダに。小さめに切って他の野菜に混ぜました。
春キャベツは心が案外ありますね。これは味噌汁にしました。
しばらくの間春キャベツを楽しめます。
車の調子が悪いので点検と修理に出しました。
2泊3日です。
昔はもう少し早かったと思うのですが、今はディーラー店も少なくなっていますからなぁ。
そういえば、コロナとかいろいろありましたが、新車の納車に相当待たされるようですね。
人手不足からでしょうが、新車点検不正もありましたね。
色々なところで不便さが出る社会です。
先日も書いたけど、大量生産大量販売の競争から、値上げによる少量生産少量販売になっていく社会。
≪過去の記事≫
【2004年】
神様
中公文庫
川上 弘美 著
「神様」をはじめ、九つの短編からなる短編集です。
「神様」は、「くまにさそわれて散歩に出る」という言葉からはじまり、最後の短編「草上の昼食」は、そのくまからのお別れの手紙に返事を書くところで終わります。
神様とは、熊の世界の神様。熊の神様にお祈りをすると同時に人の神様にもお祈りをしてこの短編集は終わります。
このように、さまざまな不思議なお話の短編集ですが、すべての作品が独立をしているかといえばそうではないのかもしれません。主人公の女性華子は、全編に共通します。
最後に華子は熊の神様に華子は何をお祈りしたのか。
はじめの短編「神様」では、熊は「くまの神様のお恵みがあなたの上にも降り注ぎますように」と言う。華子は「くまの神様とはどのようなものか、想像してみたが、見当がつかなかった」と。
最後に華子は、なぜくまの神様にお祈りしたのか?ここがこの作品の主題ではないでしょうか?
「夏休み」は、夏の不思議な体験と夏が終わる寂しさを現しています。とても心にしみるお話です。「花野」は、死んだ素敵な叔父と対面し、世間話のようなお話をする。叔父は実態のあるものには触れられないはずなのに、最後に大好物のソラマメをつまみ食べることができ感謝をする。暖かい気持ちになれます。
その他の作品も、心を暖かくさせるものがあります。
くまの誠実さに暖かいものがあります。
くまの神様が与えてくれた「お恵み」とは、こんな人の心を暖かくしてくれるような不思議な世界なのかもしれません。しかし、それは現実の世界のある面でもあるのかもしれません。
華子は、最後に、これをくまの神様にお祈りをして感謝したのかもしれません。
素晴らしい作品でした。
解説には、「これは夢だ」とあります。また、夢であることからと言ってフロイト的な夢分析(性を中心とした)をしてこの作品を分析してはならないと書いています。
僕は、この作品は夢ではないと思います。
夢の世界のようではありますが、川上さんの内面を表した作品でしょう。内面に沸き起こるものを自動筆記のように思うままに描いていく、これが川上さんの作品です。でも、内面を見つめてそれを計算高く不思議な世界に現したというような打算は川上さんにはないと思います。自然になるがままに描いたということが伝わります。
<加筆訂正>2005年9月16日
上の感想で、主人公「わたし」を華子としましたが、華子は、「わたし」の叔父の娘で、「わたし」の従姉です。
主人公「わたし」は、一人のある女性としておきます。
暖かでした。
もうすぐ春分!春本番ですね。
洗濯物もからっと乾き、気持ちの良い一日でした。
駅前の肉屋さんでチャーシューを買ってきました。少し高いのですが自家製のチャーシューでおいしいです。脂身の多いところ少ないところを選べるのでいいです。ここのチャーシューを食べると、スーパーのパック入りのものはどうも・・・・・
時間があるときは我が家でも作るのですが、もちろんこれが一番うまいです!!(笑)
【2005年】
デパートに行ってきました。おいしいケーキがあるので行ったのですが、食料品売り場の片隅に生ジュースコーナーがあったのでついでに飲みました。本格的なジュースで、僕の前に並んでいた男性のオレンジジュースを作るところを見ていたのですが、オレンジを3個か4個使っていました。僕はビタミンが豊富な何とか言うジュースにしました。すっぱさがきつかったですがおいしかったです。
ケーキもジュースもおいしいものは高いです。
ジュースというのは果汁100%でなければならないそうですが、濃縮還元の安いジュースばかりを飲んでいると、新鮮な本物の味にあらためてびっくりします。
【2006年】
朝まで寒かったですが、昼過ぎから暖かさが戻りました。昨夜はまるで真冬のようでした。
スーパーのレジの列が混雑していました。こういうときは買い忘れをしないように慎重になります。だいぶ前、油を買い忘れてその油一つでまた長い列に並んだことがありました。いらいらしちゃいます。
あぶなく缶チュウはいを買い忘れるところでした。。。。
帰り道、公園の横を通ったら子供達が大勢遊んでいました。暖かいのでもうシャツ一枚で遊んでいました。桜の木を見上げたら、もう莟がだいぶ膨らんでました。
東京の公園も子供達にとってはけして安心できる場所ではなくなりましたが、日が延びてきて6時少し前頃までは明るいので子供達も外に出ることができる時間も延びました。
【2007年】
気象庁による桜の開花予想が大幅に修正されたらしい。ワイドショーなどで気象庁の責任者のお詫びが放映されていたが、はじめはたがか桜の開花宣言でなぜこんなお詫びをと思ったが、隅田川は桜の時期となると屋形船がたくさん浮かび、早い時期からの予約となるし、開花宣言は利用者にとっては大切らしい。こういうことって案外たくさんあるのかもしれない。
午後から雨!という予報なら、駅の売店やコンビにではビニール傘を出すかもしれないし、行楽用の弁当屋さんも影響があるかな。。。。
たかが開花予想されど開花予想。。。。。
東京も予想より1週間ほど桜の開花が遅くなるらしいが、暖冬といっている割には去年と変わりなさそうである。
夕螺家恒例隅田川夜桜船が楽しみ。。。。。今、ホームページを見たら、運行予定が3月17日(土)~4月8日(日)と、なっていた。明後日は無理でしょう。。。。やはり気象庁の開花予報を当てにしたのか(笑)
春闘も終盤
1000円ぐらいの賃上げ?
政府も財界も景気拡大維持には賃上げが必要という認識がやっと出てきたようだが、どうも大幅な賃上げには慎重なメンもある。
理由は「国際競争力」。たしかに賃金コストが上がれば競争力は落ちるというのはじょうしきなようだが、大企業の工業製品は、現地生産が多くなり、韓国や中国で生産されたものを企業は売っている。もちろん日本にも韓国や中国で生産されたものが入ってきて、テレビは輸入製品にもなりつつある。でも売っているものは日本企業製。。。。なんだか国際競争力というのもわかりづらくなっている。
国際競争力をつける=中国並みの人件費。。。。ということか?
これでは大幅な賃上げは無理となり、個人消費の伸びも無理ということで、停滞は続くのだろう。
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】
僕は野原を歩いていた
春の風が吹いていた
その風がヒューと強く吹いたとき
隣にいたはずの君はいなくなっていた
僕はあせったなびく草に君を探した
落ちていたのは君の言葉だけだった
僕は全部拾ってつなげてみた
僕はつなげ方が下手だった
拾った言葉は羅列でしかなかった
そのときまた春の強い風が吹いた
君の言葉たちが空に舞い上がった
そしてくるくると回った
つむじ風は一つの整然とした一言の言葉をつなげた
君の言葉は整然と僕の心に入り込んだ
そうなんだ。。。でもその整然とした言葉は
僕の心の中でまたばらばらになってしまった
また僕はなびく草に君を探した
僕は野原を歩いていた
春の風が吹いていた
【2011年】ツイッターつぶやき
東京も含め関東から甲信越まで計画停電が一部の地域で行われはじめています。
節電ですからしかたないと思って見ています。
この原因はもちろん東北の地震と福島原発の事故であると思うのですが、東京をはじめ人口が集中する大都市の電気エネルギーは、今の原発事故を見るにこのような危険性を福島やいろいろな風光明媚で自然豊かな土地に依拠をしてそこに住む人たちの危険性という犠牲の中にあったということですね。
これは沖縄の普天間基地にも言えるわけで、沖縄のやはり風光明媚な美しい自然の中にある基地を沖縄のこれまでの犠牲の中においてある意味日本の軍事戦略を支えていたわけです。
このように福島の原発と普天間基地は共通点があります。
今になってはどうにか原発が臨界爆発を起こさないようにそして福島の汚染が広がらないように祈ると共に安定化してもらう努力を祈るばかりですが、しかし、今が大切です。悔やんでもしかたない。今できることという中には、豊かな電力がどのような犠牲において維持されたかを確認すると共に被爆された方や避難された方に何ができるかにあります。それは個人の意識だけではない政治的な認識の中からの何ができるかにあります。
大都市や原発のないところに住んでいる地域が何をすべきかです。
関東一円に避難場所を確保していくことは難しいのでしょうか。またこれ方たぶん増えていく被爆者の問題もあると思います。その専門病院も必要になる。これをいち早く作る作業が必要でしょう。病院を新たに作るというのは大変ですから、今まで無駄だといわれた議員宿舎などを改良して簡易な施設として使うとかはできないのでしょうか。そこに専門の医療器具を入れて。。。。。これはたぶん素人考えでできないよといわれると思います。でも現地で避難ばかりしかできない現状では。。。。こういう事態になったら今までの恩返しというのか。。。。何かしら大都市は都知事を中心に各県の知事が集まり動くことは必要ではないかと思うのですが。それは日本全体で普天間を考えるのと同じです。空想的でしょうが・・・・・
【2012年】ツイッターつぶやき
ツイッターで読んだのですが、アゴラに「原発問題において不可欠なパラダイムシフト」という文章がある。
この文章の要旨は
「なぜ、放射能をそんなに恐れるのかわからない」という人もいれば、「なぜ、低線量被ばくは危険ではないと言えるのかわからない」という人もいる。
片方が正しく、片方が間違っているとは言えないし、「安心」と「不安」は共存する。論理的な話や科学的な検証といった「正しさ」は必要であり、それを信じて真摯に情報提供に努めることに価値はあっても、それだけでは解決しない。
正しい間違っている、勝った負けたの話では決してない。もしそう考えるのであれば、原発の是非は主張の異なるものとの正しさを巡る議論ということとなり、復興とは無関係のものである。
ここで発想の転換、つまりは「パラダイムシフト」が必要となる。「正しさ」を決められないのなら、「正しさ」を求めなければいい、と。
「妥協点」という言葉はポジティブではないので、「共通目的」と言い換えよう。具体的には、「被災地の復興」と「福島県から避難している人たちのケア」である。どうアプローチするかはさておき、これは議論を待たずして共有できる目標のはずだ。
つまり、「正しい」ことではなく「良い」ことをするというように文脈に変えて、反対派をモチベートするということである。「安全だから大丈夫です。受け入れてください」という受動的な表現ではなく、能動的な表現に変えていくことである。
「政府を信じなくていいですし、テキトーなことをいうメディアは無視して、被災地で不便を強いられている人たちを支援し、福島を差別から守りましょう」というように。
被災地で助けを求める人、避難生活を余儀なくされている人がいる。これは紛れもない事実だ。
今、必要なのは「正しさ」を超えたパラダイムシフトなのである。
(以上、上記リンクページより引用)
パラダイムシフトとは何か?
こちらのサイトを参照させていただきますが、人々が正しいと思っていたことがある。たとえば天動説である。しかし観測の技術が向上していく中に天体の動きの説明に矛盾が出てくる。そこでこれまで異端とされた地動説が検討をされ始めて矛盾した天体の動きが合理的に解決をされていく。ここに天動説が地動説にというパラダイムシフトが行われる。
パラダイムシフトをこのようにとらえると、原発事故問題をどのようにとらえるかの答えが得られるのではないか。事故以前は巨大地震や大きな津波は想定せずに今回のような水素爆発もないという仮定の上に安全が言われた。そしてそれは安全神話だったというのが大方の判断だろう。まさに原発は安全発電設備であるという天動説への疑問や矛盾が見えてきたのである。これは安全性だけではなくて発電コストが低くCO2の胚珠もないクリーンな発電設備というのも事故後の賠償金や事故を起こした原発の廃炉の困難さからかさむだろう費用、いったん事故が起きれば制御のできない放射能の拡散という環境破壊というCO2とは質の違う環境破壊が起こったことによりやはり天動説は覆されている。このような原発への不信や矛盾の現れの中に脱原発の声が高まり、政府民主党内にも将来的ではあるが原発に依存しない社会を言うようになっている。すでに積極的原発推進は言われなくなっている。地動説が言われるようになりその正しさが明らかになってきていると言えるだろう。そして新たな発電設備としての自然再生エネルギーへの転換が言われ、産業としても発展する目ができている。
このように原発依存という天動説から脱原発と自然再生エネルギーという地動説へとパラダイムシフトが行われようとしているということである。
まず、このパラダイムシフトの過程であるという位置づけを確認することから話を進めるべきだろう。
このようなパラダイムシフトの中においても拡散された放射能の安全性や危険性の議論は尽きない。どちらが正しいのかは素人判断では正確には判断できないだろう。その中に確かに「正しさ」から離れたパラダイムシフトが必要である。しかしこれは、科学的な判断による「正しさ」という唯物論から離れて『「政府を信じなくていいですし、テキトーなことをいうメディアは無視して、被災地で不便を強いられている人たちを支援し、福島を差別から守りましょう」というよう』なあるいは『「正しい」ことではなく「良い」ことをするというように文脈に変えて』といった感情論的な観念論に移行することがパラダイムシフトだろうか。もちろん引用した文章は放射能の危険性を訴える人々への「説得」あるいは抑え込みのための論理的パラダイムシフトなわけですから観念論的手法も気には止めないでしょうが。
放射能汚染の現状の中において「安全だ」という人と「危険だ」という人のこの矛盾をどのように解決をするのが本来のパラダイムシフトだろうか?
今現在の放射能汚染度は通常時の放射線量ではないというのは誰もが共通して認めるものだろう。そしてその放射線量からの処置としての外部被ばく量や内部被ばく量の基準値は今回の原発の事故時や核戦争時の緊急的汚染時における暫定基準であるというのも共通した認識となるだろう。また一部には安全も危険も低線量被ばくについての統一的な見解はないという人もいる。この事実から話を始めるなら、放射線量は基準値は最低限守らねばならない数値であるということからその基準値以下にして国民(特に子供や幼児)を守るというのがパラダイムシフトと言えるだろう。最低限度の守るべき被ばく線量数値から下げる必要性は「危険だ」という人はもちろん「安全だ」という人も否定はしないだろう。政府も除染の必要性を言っているわけで実際行われている。同時にこれは飛散された放射能をさらに拡散してはならないということにもパラダイムシフトは働くだろう。
天動説という常識あるいは正しいと言われたものの中に矛盾が見えるようになった時、その天動説は否定をされて発展した形の地動説が生まれる。このパラダイムシフトの現象面の裏には、というよりもパラダイムシフトを貫徹させるエネルギーは矛盾である。「安全だ」「安全ではない」という矛盾が新たな方向性を産むのである。科学的に安全柿喧嘩の追及はされ続けなければならない。しかし同時にその答えが得られる前に国民を守るという政治的な方向性は、脱原発と自然再生エネルギーの方向に向かい、出来るだけ被ばく量を小さくしていくことに向かう。これが発展ではないか。
【2013年】ツイッターつぶやき
今、もう一度振り返らねばならないものがあるのではないか?
それはなぜ圧倒的な支持に下に民主党政権が生まれたのかという事です。
もちろん民主党の「国民の生活が第一」という政策がだんだんと尻つぼみになり、脱官僚は官僚排除という誤った方向になり、財政問題では仕分けという限界にとどまり社会全体のも順にまで目が向かなかった。そのほかにもさまざまな問題があったと思うのですが、とどめは菅内閣の消費増税で、原発事故後に野田総理の自民党化色が強くなってしまった。こういった民主党の過ちや限界はあった中に国民の失望とその失望の中からの反発が政策批判とともに感情論にもなった。
しかしこういった民主党の失敗はあったが国民が民主党に期待したもの(マスコミも含めた反自民も)自体は間違いはなかったはずなのです。残念ながら先にも書いたように感情的なまでの反民主党という批判が二大政党制の中での二者択一の中で自民党に政権が帰ったのですが、選挙を見てもじゃぁ自民党を支持したのかといえばそうではなかった。やはり国民生活が第一の政策が求められているのです。それは求めるというものが日常の国民生活の苦しさの中にあるわけですから。
もう一度振り返りましょう。
民主党政権をつくりだした国民の声が正しかったのだと。
その中で今の自民党政権の政策を見つめましょう。国民生活が良くなるのかを。
今の自民党内閣は小泉政権時の自民党に似ています。
改革に反対する勢力は抵抗勢力であるという「敵」をつくりだしながらあたかも古い自民党からの脱皮のように自民党をつぶすとも。こういった小泉劇場と現在の自民党が民主党政権時の政策を「敵」に見立てたような中で自民党も変わったという中に今の自民党を規定する。安倍劇場が起きているわけです。原発政策でも小泉内閣(当時の幹事長は今の安倍総理だったと思うのですが)と同じようにまた新たな安全神話をつくりだそうとしていか。経済政策も企業優先からの景気回復であり、その経済の好調さは国民生活には反映されずにかえって国民生活は格差の拡大に向かう。年金制度はどうなったか。。。。
こう見るならば民主党政権が生まれたときの政策をもっと拡充したしっかりと根の張った政権が必要という事ではないでしょうか?
もう一度振り返る必要がある。
民主党はどうするのでしょうか。。。。このまま消えていくのでしょうか?
【2014年】ツイッターつぶやき
すみません。
これから旧ブログのまとめ3月15日までをアップします。
お見苦しいかと思いますが失礼します。
こちらに引っ越してきてまだなれぬブログ機能に戸惑いましたがいじっているうちにどうにか形らしくなり落ち着きました。
また少しづつ思うところを書いていきたいと思います。
このブログは使いやすいかもしれない。。。。
旧ブログについては「何を思っていた?(旧ブログまとめ)」のカテゴリーとしてまとめて行きたいと思います。
3月6日からはじめましたが、2010年から2014年までの3月6日に書いたものを「3月6日という日」という形で4年間の3月6日をまとめていきたいと思います。僕は誤字が多いのですが、誤字もそのままにしておきます。
またいろいろなことが頭の中に湧いてきましたら書き綴っていきます。
【2015年】
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
久しぶりに過激な言葉を使う禁煙促進を見た。
「受動喫煙で1.5万人死んでるから屋内禁煙に!→国民「イイね!」自民党の半分が猛反対」 (ハフィントンポスト)
以前は喫煙夫が妻を肺がんで殺しているといった過激な禁煙呼びかけがあったが、最近はだいぶ少なくなったように思っていたら
「親の喫煙によって、子どもの突然死の割合が5倍近くにもなる、というのは、親が子どもを間接的に殺すことになる、ということです。」(上記サイトより引用)
このような過激な言葉を世間に流布して肺癌で死んだ妻や子に対して親類縁者から「お前が殺したんだ!」と責められて自殺でもしたらどうするんでしょ?
それも根拠となる資料には「受動喫煙を受けなければ肺癌等で死亡せずに済んだと推計」(引用)とあるようにあくまでも推計によるものである。また2016年にはJTより1.5万人死亡に対する疑問点(JTホームページ)が出されている。
少なくとも「殺した」などという過激な言葉を使った先導的なものはやめたほうがよいでしょう。
またこの推計はただ単に受動喫煙をした人としない人tに分けただけの結果です。
受動喫煙しなかった人の罹病要因は何かも示されていません。受動喫煙以外の要因でもたくさんの方がなくなっている。そうならば、受動喫煙をした方で死亡した人もこの受動喫煙以外の要因で罹病したと考えるのが当たりまです。しかしこの関連性については考慮しないで結論として推定とする。
仮に受動喫煙しない人の死亡率から、10万人当たり100人とすると、受動喫煙をした方が1.3倍ですから10万人当たり130人としてみることができる。すると受動喫煙した方のうち100人は受動喫煙しない方と同じ罹病要因で亡くなったとみることに無理はないでしょう。すると受動喫煙以外の要因での罹病者数は200人、受動喫煙と思われるものが30人となります。
どうも受動喫煙をしたかしないかの単純比較には無理があるでしょう。先に引用したJTのホームページには次のように書かれています。
「受動喫煙によってリスクが上昇するという結果と上昇するとは言えないという結果の両方が得られており、未だ科学的に説得力のある形での結論は得られていないものと認識しています。」
やはり「殺した」と言った過激な言葉は控えるべきで、肺がんなどをなくすことを真に考えるならばたばこ以外の要因を研究すべきなのです。
現在政府が検討している受動喫煙防止法に例外なく賛成するという方が、58.6%、小規模店舗を例外とするという方と同法案に反対という方を加えると39.3%となり、現在の喫煙率18%(上記引用サイト)からみると喫煙をしない方も小規模店ならとか同法に対しては反対という方もいるということです。
ここに受動喫煙防止のための分煙が含まれていません。完全分煙ならという聞き取り項目がないのです。
こう見ると、「国民「イイね!」自民党の半分が猛反対」という言葉にも過激な言葉使いと誇張があるのではないでしょうか?
【2018年】ツイッターつぶやき
コンビニに行った帰り道
公園の横を通ったら
ざわざわとざわつく音がした。
見上げると大きな楠が
ものすごい勢いでざわついていた。
蕾がだいぶ膨らんだ桜の木や低木は静かだった。
何をざわついているんだい?
そういえば2011年の今日もざわついていたね
今日は。。。。。
今年の日本の今日は。。。。。
また楠は大きくざわついた。
【2019年】ツイッターつぶやき
久しぶりに切り干し大根のペペロンチーノ風を作りました。
切り干し大根はよく洗ってから好みの硬さに茹でておきます。
フライパンにオリーブオイルを入れて低温でニンニクのスライスと鷹の爪を炒めます。香りが出てきたらニンニクと鷹の爪を器に戻します。香りが出たオリーブ油で玉ねぎとニンジンの千切りを炒めます。しなっとしたら切り干し大根を入れて炒めます。水分は野菜の水分だけで十分です。パサパサなら水をちょっぴり。
味付けは鶏がらスープの素、塩、コショウ、しょうゆ少々です。
仕上げに桜エビを散らしてさっと炒めたら出来上がり。今日はクコの実を少々。
以下ツイッターから
景気の後退が言われはじめている中で、狭まった行動範囲の緩和を行うのか?日銀も景気判断を下方修正すれば相対的に経済の動きにも鈍さが出てくる。デフレはカネ余りですから、吹き溜まっているカネがどう動くのでしょ?
政府も日銀も景気判断の下方修正を行うとすれば、景気は政府が言ってきたような好景気という状態ではなかったと見るべき。その中で消費増税が行われ、賃上げもない状態での生活に密着をした物やサービスが値上がりして億世の物価高に。隠しておいたデフレ不況がすごい形相で顔を出す。
格差の拡大で富が所得の低いところから高いところに回って、その金は吹き溜まっている。デフレ不況はカネ余りですから、吹き溜まったカネというものは必然的な現れです。同時に庶民にはカネがない。悪性の物価高が襲い掛かる。
デフレ不況と同時にハイパーインフレに近い悪魔が襲い掛かるかもしれない
好景気時には物価は上がらず、景気の後退宣言と同時に物価は上がっていくという皮肉が何を意味するか?
アベノミクスや日銀緩和は逆立ちをしていたということです。
その結果がさらに悪性のデフレ不況を深化させ、インフレを引き起こす。
強力なスタグフレーションが起こりえる。
ゼロ金利、マイナス金利で銀行の脆弱性が現れているかもしれない。
ほんの少しの景気後退でもあらわになれば、そして株価の下落が起きれば、危なくなるのか?
銀行の力が弱くなっているとはいえ、銀行の危機は国民に動揺を与える。
社会に経済的パニックが起きればそれは恐慌です。
【2020年】ツイッターつぶやき
安倍総理は14日に会見を行った。もちろん特措法成立後にです。
安倍総理の会見は威圧的でした。
なぜ威圧的かと言えば、特措法という鎧を着ていたから
ただ刀を抜かないで言葉は柔らかいだけ
いつでも刀は抜くよ。。。。
そこにあらゆる忖度が出てきてしまう。
安倍総理は会見で日本は人口1万人当たりの感染者の割合は0.06人にとどまっていることからすぐに特措法での緊急事態宣言を行う必要がないとしつつ、事態を見て法に基づいて緊急事態宣言を行うとしました。
しかし日本ではPCR検査の数量自体が少ないわけで、もしかしたら検査数量を考慮すれば、例えば韓国のほうが検査数量が日本の10倍ならば、検査数量の少ない日本は感染者数が10倍となる可能性があるわけです。
政府は検査能力があるにもかかわらず検査件数を抑えコロナウイルスの疑いがあっても検査はしないで自宅待期です。日本医師会もインフルエンザの検査さえ行わない状態です。
この中で政府への批判も出ているわけですが、総理大臣が非常事態宣言の鎧を着て刀に手をかけているわけですから、検査件数を増やして爆発的な感染者が起きらかになれば刀を抜くかもしれない。非常事態でもいいのですか?中国やイタリアのようになっていいのですかという暗黙の圧力となるでしょう。国民はじっと自宅待機など自己責任のもとに自己解決を行わざるを得ない。
ある意味強権的な現状を作り出します。
しかし院内感染があったとしても検査をしやすくして院内感染を抑えた和歌山県の例もあります。韓国も積極的な検査体制でコロナウイルスと戦っています。
国民を自己責任に追い込むような状態では感染防止にも穴が開くでしょう。
【2021年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの「東京日記」が更新されました。
3年程前だったか、長い間使っていたコード付きの掃除機が故障してしまったので新しく買いました。今はほとんどの掃除機がコードレスですなぁ。そしていざ使ってみるとなぜか右腕が筋肉痛というのか間接近くの筋が痛むようになった。手元にモーターやバッテリーが付いているのでコード付きのものより重いせいだと後日気付きました。
この掃除機でフェンシング?
たしかに鍛えられますなぁ。腕が太くならないかな。。。。。。
川上さんは「フランス人は10着しか服を持たない」という本に影響されたようです。
「掃除機をフェンシングの剣のように持ち、ずいずい掃除する」
衝動買いをした川上さん。
僕のイメージでは掃除機を片手で持ち上げてフェンシングするように勘違いをしたのですが、川上さんも?ちょっと心配になりました。
「フランス人は10着しか服を持たない」
誰でもが着回しでお洒落になれる?
川上さんはおしゃれなフランス人とご自分を同一視して読むがフランスのおしゃれはコーディネートであったことに気づき怒りながら本をしまう。
「フランス人は10着しか服を持たない」
誰でもできるお洒落。。。。
この「誰でも」というのが曲者ですなぁ。。。。。
川上さんはご友人に
「私にもできるから大丈夫」と。
すると数日後
「川上さんでもできるならと思ったら、アプリのインストールもできた」という返事。
「誰でもできる」。。。川上さんの立場は「フランス人は10着しか服を持たない」の著者に。
友人は難なくできた。。。。。
川上さんの心の動き、お察しします。
夜半からの雨風がやんだら
空からさっと日の光が降りそそいだ
きらきらと七色の光は
桜の木にも降りそそいだ
あまりにもきれいなので出窓から眺めた
すると七色の光が集まって
3センチほどの桜の精があられた
蜂のような羽をパタパタと
枝の周りをゆらゆら飛んでいた
おやと思いながら外に出てながめることにした
桜の精は桜のつぼみに近づくと
「えいっ!」と、スティックを振り下ろした
つぼみは開かない。。。。
「開きませんなぁ。。。」思わず声をかけてしまった
桜の精はびっくりしたように振り向き
頭をポリポリと掻いて「あハハハ。。。。。」と
そして大きく息を吸い込んで「えいっ!」
「だめですなぁ。。。。」という言葉が終わらないうち
桜の花がスローモーションのように
1輪咲いた
「ほう、たいしたものですなぁ。。。」
(だいぶ昔、ホームページに書いたものですが・・・・・)
【2022年】ツイッターつぶやき
さらに円安は進み今日は118円を上回った。
この1年間を見ても10円以上の円安です。日本製品をアメリカに売った時、1億円で売れたとしてもドルで決算したら1年前に比べて10%も売り上げは減ってしまいます。10%多く売れればよいのですがそうはいかないのが日本企業です。
アベノミクスにより企業利益は増大し企業の内部留保も増え続けたようですが、現実はドル換算をすると10%減少したことになる。
企業利益が増大をして腹は膨らんだが、実態は経済が落ち込んでしまった。
毒饅頭を食ってしまったのです。
アベノミクスという言葉が注目されたころ、企業は少し半信半疑だったようですが目先の利益にとらわれてアベノミクスは進められた。アベノミクスに懐疑的だったのは毒饅頭ではないかという懸念だったのでしょう。
毒饅頭は腹を膨らませますが、腹を壊すか最悪死んでしまいます。
【2023年】ツイッターつぶやき
スーパーに神奈川県産の春キャベツが出はじめました。
かる~い、かる~い。。。春キャベツ
小皿に味噌を出してその味噌をちぎった春キャベツにのせて食べました。
やわらかでうまいですなぁ。。。。。
残りは朝のサラダに。小さめに切って他の野菜に混ぜました。
春キャベツは心が案外ありますね。これは味噌汁にしました。
しばらくの間春キャベツを楽しめます。
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