羨ましいですな goo.gl/SBm1ok
— 藤井裕子 (@YukoTrumpeter) 2017年11月4日 - 01:37
こんばんはー!
今日書いてみようと思ってること、、、
そんなことを書いたところで、私に具体的にできることがあるわけじゃ無いし、なんだか書きっぱなしになりそうな話ですが、でもでもやっぱり読んでくださった方の頭の片隅にでも残ってて何かのきっかけとかなればいいかな、、、と思うので書きますですたい。
ま、もともとなんでも書きっぱなすわけだし(≧∇≦)
いやはや、今日生徒や仕事仲間と話してて、なんだかいろいろ考えさせられたわけです。
世の中には、
ホントに頭いいなー、周りのこともよく見えてるし、気遣いもできるし、、、って感心するような、尊敬しちゃう人と、
勉強はできるみたいだし、なかなかのキレ者だけどねー、、、みたいな人と、
もー、ホントお馬鹿さんだけど、その一生懸命さがホントに素晴らしいよ、、、とこれまた感動する人と、
あーもー、なんなんだ??って人
などなどいますよねー。
できたら、心も頭も素晴らしくありたいですな。
しかし、残念ながら私は頭ももうちょいは良いかと思いきや、相当なポンコツっぷりを発揮してますし、周りも見えてる時とまるで見えてない時がありますし、え?気遣い?!全く自信がありません、、、シクシク。ダメな人だな、といつも思いつつ、でも、何とか生きてます。
それはさておき、
なんだろ?今って、勉強さえできれば、将来何にでもなれるみたいな、なんか便利なお札みたいな思想があるのかしら??
勉強できて、いい大学行ければ、可能性は高くはなる気がするけど、そこから仕事となったら、勉強できる頭脳を使って、何ができるかってことと、社会(あるいはもっと狭くは会社かもしれないけど)に対してその人がどんな貢献ができるかってことが、その人に仕事が来るかのきっと最大ポイントじゃないかなと。
だとすると、単に勉強ができる、という事実は単にそれだけでしかなくて、それを社会に対してどう活かそうとする「精神」や「意思」や「行動」があって、初めて役に立つ人間ってことで社会から評価されるわけでしょ?
まあ、それか社会がどう思おうと、自由にやるさ、って考えもあるかもしれないけど、この歳になって日々思うのは、人間1人じゃ全く何にもできないってことで、さっき食べた美味しいみかん1つ取っても、土作る肥料を用意した人、木を手入れした人、収穫、物流、販売、、、買って来てくれた実家の父母、その上、「はいどうぞ」って差し出してくれた母など、私の口に入るまでに関わった人、正直もう想像できないくらいだし。
金払った、なんてのは、もはやなんの意味もないくらい、あらゆる人とそうとは知らずに繋がりつつ、ほとんどお陰様で生きているという、、、
自分でも、まー出来ないこと(やってないことも含めて)が多過ぎて、恥ずかしく情けなくなるけど、その恥も受け止めつつ、それでもお陰様で生きてるというね。一丁前なこと言ってても、ホント全くのおかげさまですよ。
でも、何を言ってるかって、その「勉強ができれば」って言うお札を信じてる子どもは、「勉強さえできれば良い」って思ってたら、社会に出た時、絶対にビビることになると思うのよ。
だって、学校で習ったようなレベルのこと使うとこほとんどなさそうだし、それだけでやっていけるとこなんかないし、そんな「知識」なんぞ、コンピュータやらそういうので良いわけだし。
テストで点を取るなんての、あくまで個人的、内向的作業であって、社会に対して何ももたらしてないからね。
もっと体力もいると思うよ。仲間との協力もいるよね。リーダーシップとか、企画力とか、諦めない力とか、そういうのが何十倍も必要。
そこら辺を「オミット」して育って来ちゃうと、ただの頭の良い人で終わっちゃう。
この「オミット」されがちな部分は、知識ではないから、血肉になって、そういう精神や人格となるまでには多くの時間と経験と失敗と試行錯誤が必要だよね。
なぜなら、そういう経験から学んでいくものには「正解」なんてないから、自分で探さなきゃなんないし、もしも正解が分かったとしても、それを行動に移して、自分自身のモノにするには、やっぱり膨大な時間がかかると思うわけ。
子どもの頃から、そういうことが大切だと周りの大人が思って育てていかないと。
勉強さえできてれば、大人は褒めるし、安心するし、正直分かりやすいから「楽」だよね。
もちろん、勉強させるのが楽だなんて、言って欲しくないよ!!と反発必至だけど、そうじゃなくて、本当なら人の心を分かるとか、周りの人と何かするとか、そういうのって大人にとっても難しいし、判断基準とか分かんないし、そもそも大人にその基準というかそういう価値観というか、そういうものが確立してないと、伝えていけないものだし。そうなると、それを時間をかけてやるのは難しいよね、ってこと。すぐには成果は出ないし、点数も付かないしさ。下手したら、一見損に思えることだっていっぱいだからね。
勉強さえできれば、なんでもできる!!
って言う価値観の中で育って来たら、そんな価値観は役に立たないってことを知った時、
勉強さえできれば、って聞いてたから、ここまで辛くても頑張って来たのに、、、
と失望するんじゃないか?!
あるいは、勉強がチョチョイのチョイって出来ちゃって、それで上手く大学までスイスイ行けちゃった人も、その後、何かの壁にぶち当たった時に、「時間をかけて」「失敗しても諦めない」って言う精神が育ってないから、挫折するんじゃないか??
実は、そういう学生の話は時々聞くんだわ。
良い進学校から来た学生(大学生)は、実験なんかがチャットやってみて思ったようにいかないと、学校に来なくなっちゃうとかね。卒業論文とか書かなきゃいけないのに、実験放棄。で、結局適当にでっち上げ(そりゃー言い過ぎ)て、適当にまとめて出す的な。
そもそも実験なんだから、予想通りに行かないことの方が多いでしょうよ?想像通りなら、やる必要ないし。
そこの試行錯誤する、トライアンドエラーっていう思考回路が断然足りない。
そういう子が結構いるって話。
そう思うと、大人がもっともっと本当の意味で子どもに手間かけて、勉強さえしてれば良いみたいな風潮を見直して、もっと深いところを見ていかないと、これからの日本はホントにヤバイと思う。
自分自身も人としてヤバイと思うけど、若い人のことも心配なんだよ。
いや、自分自身がヤバイと分かるから、若い人見てると、こりゃヤバイと分かるって方が正解か?!
もっと一見ムダなことを大事に。本当にやりたいことを大事に。友だちや家族との時間を大事に。世の中をもっと良く見て。自分に何ができるか考えて。
何でもない野原で草を眺めたり、空に浮かぶ雲の流れをいつまでも見たり、貝殻を集めたり、くだらないものを作ってみたり、、、
「知識」ではできないことがたくさんある。できるまで練習しなきゃできないこともたくさんある。挫けたら、そこで終了。諦めたらそこで終わり。世の中、分かっててもできないことや、簡単そうに見えてても、自分でやろうとしたら、物凄く難しことが、ゴロゴロ。
ひとつひとつ当たっていくしかない。
それが人生。
それも人生。
諦めも必要だし、それでいて諦めちゃ終わりなの。頭じゃ分からんことがいっぱいなのさ。
新河岸のおじさん(管楽器工房のずっとお世話になってたおじさん。もう亡くなっちゃったけどね)が、「ふじーさん、欲張っちゃーいけないよ。でも諦めちゃいけないよ」って。
何でもすぐできると思って欲張るな!!
でも自分にはできないと思って諦めちゃいけない!
って言う教え。
今も沁みてる。
今日書いてみようと思ってること、、、
そんなことを書いたところで、私に具体的にできることがあるわけじゃ無いし、なんだか書きっぱなしになりそうな話ですが、でもでもやっぱり読んでくださった方の頭の片隅にでも残ってて何かのきっかけとかなればいいかな、、、と思うので書きますですたい。
ま、もともとなんでも書きっぱなすわけだし(≧∇≦)
いやはや、今日生徒や仕事仲間と話してて、なんだかいろいろ考えさせられたわけです。
世の中には、
ホントに頭いいなー、周りのこともよく見えてるし、気遣いもできるし、、、って感心するような、尊敬しちゃう人と、
勉強はできるみたいだし、なかなかのキレ者だけどねー、、、みたいな人と、
もー、ホントお馬鹿さんだけど、その一生懸命さがホントに素晴らしいよ、、、とこれまた感動する人と、
あーもー、なんなんだ??って人
などなどいますよねー。
できたら、心も頭も素晴らしくありたいですな。
しかし、残念ながら私は頭ももうちょいは良いかと思いきや、相当なポンコツっぷりを発揮してますし、周りも見えてる時とまるで見えてない時がありますし、え?気遣い?!全く自信がありません、、、シクシク。ダメな人だな、といつも思いつつ、でも、何とか生きてます。
それはさておき、
なんだろ?今って、勉強さえできれば、将来何にでもなれるみたいな、なんか便利なお札みたいな思想があるのかしら??
勉強できて、いい大学行ければ、可能性は高くはなる気がするけど、そこから仕事となったら、勉強できる頭脳を使って、何ができるかってことと、社会(あるいはもっと狭くは会社かもしれないけど)に対してその人がどんな貢献ができるかってことが、その人に仕事が来るかのきっと最大ポイントじゃないかなと。
だとすると、単に勉強ができる、という事実は単にそれだけでしかなくて、それを社会に対してどう活かそうとする「精神」や「意思」や「行動」があって、初めて役に立つ人間ってことで社会から評価されるわけでしょ?
まあ、それか社会がどう思おうと、自由にやるさ、って考えもあるかもしれないけど、この歳になって日々思うのは、人間1人じゃ全く何にもできないってことで、さっき食べた美味しいみかん1つ取っても、土作る肥料を用意した人、木を手入れした人、収穫、物流、販売、、、買って来てくれた実家の父母、その上、「はいどうぞ」って差し出してくれた母など、私の口に入るまでに関わった人、正直もう想像できないくらいだし。
金払った、なんてのは、もはやなんの意味もないくらい、あらゆる人とそうとは知らずに繋がりつつ、ほとんどお陰様で生きているという、、、
自分でも、まー出来ないこと(やってないことも含めて)が多過ぎて、恥ずかしく情けなくなるけど、その恥も受け止めつつ、それでもお陰様で生きてるというね。一丁前なこと言ってても、ホント全くのおかげさまですよ。
でも、何を言ってるかって、その「勉強ができれば」って言うお札を信じてる子どもは、「勉強さえできれば良い」って思ってたら、社会に出た時、絶対にビビることになると思うのよ。
だって、学校で習ったようなレベルのこと使うとこほとんどなさそうだし、それだけでやっていけるとこなんかないし、そんな「知識」なんぞ、コンピュータやらそういうので良いわけだし。
テストで点を取るなんての、あくまで個人的、内向的作業であって、社会に対して何ももたらしてないからね。
もっと体力もいると思うよ。仲間との協力もいるよね。リーダーシップとか、企画力とか、諦めない力とか、そういうのが何十倍も必要。
そこら辺を「オミット」して育って来ちゃうと、ただの頭の良い人で終わっちゃう。
この「オミット」されがちな部分は、知識ではないから、血肉になって、そういう精神や人格となるまでには多くの時間と経験と失敗と試行錯誤が必要だよね。
なぜなら、そういう経験から学んでいくものには「正解」なんてないから、自分で探さなきゃなんないし、もしも正解が分かったとしても、それを行動に移して、自分自身のモノにするには、やっぱり膨大な時間がかかると思うわけ。
子どもの頃から、そういうことが大切だと周りの大人が思って育てていかないと。
勉強さえできてれば、大人は褒めるし、安心するし、正直分かりやすいから「楽」だよね。
もちろん、勉強させるのが楽だなんて、言って欲しくないよ!!と反発必至だけど、そうじゃなくて、本当なら人の心を分かるとか、周りの人と何かするとか、そういうのって大人にとっても難しいし、判断基準とか分かんないし、そもそも大人にその基準というかそういう価値観というか、そういうものが確立してないと、伝えていけないものだし。そうなると、それを時間をかけてやるのは難しいよね、ってこと。すぐには成果は出ないし、点数も付かないしさ。下手したら、一見損に思えることだっていっぱいだからね。
勉強さえできれば、なんでもできる!!
って言う価値観の中で育って来たら、そんな価値観は役に立たないってことを知った時、
勉強さえできれば、って聞いてたから、ここまで辛くても頑張って来たのに、、、
と失望するんじゃないか?!
あるいは、勉強がチョチョイのチョイって出来ちゃって、それで上手く大学までスイスイ行けちゃった人も、その後、何かの壁にぶち当たった時に、「時間をかけて」「失敗しても諦めない」って言う精神が育ってないから、挫折するんじゃないか??
実は、そういう学生の話は時々聞くんだわ。
良い進学校から来た学生(大学生)は、実験なんかがチャットやってみて思ったようにいかないと、学校に来なくなっちゃうとかね。卒業論文とか書かなきゃいけないのに、実験放棄。で、結局適当にでっち上げ(そりゃー言い過ぎ)て、適当にまとめて出す的な。
そもそも実験なんだから、予想通りに行かないことの方が多いでしょうよ?想像通りなら、やる必要ないし。
そこの試行錯誤する、トライアンドエラーっていう思考回路が断然足りない。
そういう子が結構いるって話。
そう思うと、大人がもっともっと本当の意味で子どもに手間かけて、勉強さえしてれば良いみたいな風潮を見直して、もっと深いところを見ていかないと、これからの日本はホントにヤバイと思う。
自分自身も人としてヤバイと思うけど、若い人のことも心配なんだよ。
いや、自分自身がヤバイと分かるから、若い人見てると、こりゃヤバイと分かるって方が正解か?!
もっと一見ムダなことを大事に。本当にやりたいことを大事に。友だちや家族との時間を大事に。世の中をもっと良く見て。自分に何ができるか考えて。
何でもない野原で草を眺めたり、空に浮かぶ雲の流れをいつまでも見たり、貝殻を集めたり、くだらないものを作ってみたり、、、
「知識」ではできないことがたくさんある。できるまで練習しなきゃできないこともたくさんある。挫けたら、そこで終了。諦めたらそこで終わり。世の中、分かっててもできないことや、簡単そうに見えてても、自分でやろうとしたら、物凄く難しことが、ゴロゴロ。
ひとつひとつ当たっていくしかない。
それが人生。
それも人生。
諦めも必要だし、それでいて諦めちゃ終わりなの。頭じゃ分からんことがいっぱいなのさ。
新河岸のおじさん(管楽器工房のずっとお世話になってたおじさん。もう亡くなっちゃったけどね)が、「ふじーさん、欲張っちゃーいけないよ。でも諦めちゃいけないよ」って。
何でもすぐできると思って欲張るな!!
でも自分にはできないと思って諦めちゃいけない!
って言う教え。
今も沁みてる。