のんびりぽつぽつ

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のんびりと。

「ドリアン・グレイの肖像」

2009年10月01日 08時10分04秒 | ☆本☆
オスカー・ワイルド著 福田恒在訳
(訳者の方の恒は旧字体。ごめんなさい。見つからない・・・)
新潮文庫

光文社古典新訳文庫版に続いて2冊目。
訳者が違う同じ物語を読むというのは多分初めての経験。
こちらの方が出版が古いので、文体に不安があって最初光文社を選んだけれど、
取り越し苦労だった。

光文社版を読んで、劇場に通い詰めて、その後だからという事も大きいと思うのだが。
意外なほどすんなりと、自然に物語の中に入っていくことができた。
海外文学にありがちな苦手文章も、情景が頭に浮かぶから判りやすい。
あれほど苦労した、中盤のドリアンが落ちていく場面の描写も、
やっぱり苦労はしたけれど、すんなりと文章が頭の中に入ってきた。

不思議だな、と思ったのは、ラスト。
2冊の本は訳がそれほど違うわけではないのに、
こちらの方がよりバッサリとドリアンの死を切り落としたような印象を受けた。
この場面に対する疑問は同じなのだけれど。
男性の訳文だから、、かな?

ヘンリー卿はこの後どう感じ、どう行動をするのだろう。

バッサリ切り落として放り出された疑問。
ここだけは、自分の中でそれぞれが答えを見つけ出すんだね。

1つ、こちらの本で違和感。
ドリアンの一人称。「おれ」と訳されてひらがな表記であるもの。

「おれ」
イメージじゃないんだよね。
ドリアンが自分を呼ぶときの人称。

ドリアンが「おれ」と言うたび(思うたび)に、とても違和感があった。
「僕」か「わたし」がいいと思ってしまう。
これは・・・・。
舞台の印象が強いせい?。
(確か、状況で使い分けていた気がするんですが。耕史@ドリアンは・・・)

でも。
小説の印象でも、ドリアンはあくまでも貴族階級なので・・・・
「僕」か「わたし」がいいなあ。

ラスト直前のこころの葛藤場面で、特にそう思いつつ・・・
読み終えました。

あー。疲れた・・・・(やっぱり苦手です。海外文学・・・/苦笑)

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