創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

サヨナラ.私の池田大作-10

2016-10-19 08:32:21 | Weblog

『サヨナラ 私の池田大作』--女たちの決別--
  創価学会・公明党を糺すOB有志の会 編著
              2013/7/3 人間の科学新社 
    ------(54P)---(以下、本文)------- 

4、池田教と化した創価の異常性    青木ひとみ
     元創価学会婦人部
     東京都出身
     創価学会関連勤務者の夫人
<3-1>
◆「先生、先生、池田先生」--初会合での熱気
 私は創価学会に入会すると同時に、自動的に日蓮正宗に入りました。高校一年生のときでした。親がというか、母親が特に「これがないと人生がうまくいかない」という強い意志を持っていたので、自然に母親について行ったという感じでした。そのとき、私ばかりでなく一度に家族全員が入ったわけです。
 今にして思えば、以来ザッと五〇数年が経過しております。
 先ず会合に出て、ものすごい熱気というか「♪~先生、先生、池田先生!~♪ 」という熱気です。
 まだ十代でしたから、池田大作氏はすごい人なんだなあ、という感じを植えつけられました。毎日、先生の歌ということで「先生、今日もお元気で」という歌をみんなと一緒に唄つていました。
 主人とは、私が勤めていたBSさんの会社で知り合いました。BSさんは後に、県会議員や公明党県本部長を長く務め、地元政界での重鎮となりました。
  勤め先に仲のよかった信仰の同志として後輩のKLさんが時々会社に顔を出していたわけです。そこで、見合いとはいわないけれど、自然に出会いを作り上げられました。まあ、長く付き合いましたけれど、お互いに創価学会員同士でもあり、自然に結婚ということになりました。

◆ご本尊様より池田先生の方が上--疑問がしこり
 結婚後、主人KLが東京勤務になりましたので東京都新宿区での創価婦人部の生活が始まったわけです。普段の信仰は日蓮正宗大願寺となりましたし、創価の所属は新宿区です。私が結婚して、あるヤングミセスの集まりでのことです。「ご本尊様と池田先生とは、どちらが上か」という話になりました。手を挙げさせられたんです。ご本尊様と思う人--ほとんどの方が「はい!」つて手を挙げます。ところが、それは違う--私たちは池田門下生だから、池田先生を通じてご本尊様の偉大さを教えていただくわけだから、池田先生の方が上だ、ということを学会最高幹部が言うわけです。昭和四十九年、五十年ぐらいの幹部指導での話です。
  その時に、えっと思って--すごいんだ、ご本尊様よりすごいんだ、というのをまず植えつけられました。だだ、そのしこりや疑問はずっと私の心の中で払拭できませんでした。日蓮正宗の信者としてご本尊様を信仰して功徳をいただいたのに、なぜ池田先生を絶対視したり、崇拝するのか--まるで「池田教」みたいな崇め方をするのだろうか、という疑問です。
 それがなぜかということを知りたくて、足しげく新宿の大願寺へ自転車で通いました。
 今考えると、池田大作氏に御本尊を教えてくださつたのは、日蓮大聖人様や代々の日蓮正宗の御法主上人であり、ましてや牧ロ初代創価学会会長を折伏した三谷素啓氏や、戸田城聖氏第二代会長を差し置いて、三代目の池田氏だけを崇拝させるような指導や行動は異常という他ありません。
 でも、それが、創価の伝統になっているので、創価に居るとそれが異常と気づけなくなるようです。 これは、日蓮大聖人の仏法やご本尊様の功徳を池田氏によって盗み取りしょうとする詐欺的行為ですし、マインドコントロ-ルそのものです。
 この元凶は、側近にそうさせている池田氏であり、張本人です。今長く、生き地獄のような池田氏の状況を会員にも伝えられず、代作による著作群や名誉称号でナルシシストの極致のように表面だけを飾っております。死後も創価学会員を地獄に道連れしょうとする池田は、仏敵どころか極悪の魔の存在に成り果てました。
  五十年、五十一年ごろはちようど「五十二年路線」という、第一次の創価学会と宗門の戦争の走りがありました。それをしかけたのは創価学会です。先ず勤行の経本が変わりました。
 何かがあるんだろうなと思って、幹部に質問したところ「本門の時代になったから」と言う返事でした。ところが一旦「この経本でやります」と言っていたのに、今度はいきなり創価学会の経本の回収と言う事態になりました。
 それで「お詫び登山」という事態になり聖教新聞の記事に載ったのも鮮明に覚えています。「創価幹部二〇〇〇名を引き連れて日蓮正宗総本山大石寺へお詫びした」って。

◆三つも四つも買っている人が偉い!?--お墓
 それで創価学会関連勤務の主人に私が「何でお詫びせんとならんの」とかなりしっこく聞きましたが、主人も良くわからないようなのです。
 さらに各地に新設される創価学会の墓地の販売がありました。本山が北海道の厚田村になると言って、主人がパンフレットを持って帰ってきました。それを見て「どうしたのこれ」つて言ったら、「今度こっちが本山になる」つて言うから、「ええっ?」て、それももう疑問です。主人は、私が次々に疑問を追及するから煙たいんです。結局、はっきりした答えはありませんでした。
 それで、ほとんど一生に行くことがないような厚田村の戸田記念墓地公園に一番乗りで墓地を買いました。しかも、その自分の墓地もまだ見ていないのです。北海道の厚田まで旅行にいった方が「あんたんとこの墓が--〇〇修ニ、ひとみ建立いうて、あったから写真に撮つてきましたよ」。
 故郷にKGという創価学会用仏壇屋があるんですが、そこのお母さんに「北海道にもお墓買つたんですよ」って言いましたら「愚の骨頂」じゃなくて「バ力の骨頂だ」と言われました。当時の池田の指導に「墓はたくさん持っている人ほど偉いんだ」といういい加減な指導があり、とにかく各地の墓苑を買わせるためのトークです。だからひとりで三つも四つも買つているひとが大勢いました。

◆目と鼻の先に住んでいて母娘が会えない--家族分裂二〇年
 平成十六(二〇〇四)年の五月、私は脱会して日蓮正宗に入信しました。日蓮正宗の寺院です。それ以前に心はもう学会をやめていました。当日、友人のJMさんの妹さんか訪ねてこられ「本部勤務で単身赴任のご主人が来年あたり定年で帰ってこられるんでしょう。じゃあ、今しかないわよ」と言われて、今から行こうかってことになりました。印鑑持ってお寺へ直行、即「勧戒式」をお受けすることができたのです。
 JMさんの妹さん達は日蓮正宗ですが、JMさんとお嫁さんは、お母さんと一緒に住んでいらっしゃる。 この方たちは創価学会のままです。お母さんは、孫三人が学会にお世話になっている(創価学会関係機関、または聖教新聞関連会社に就職)だから変わることは絶対にできない、と言っている。それで電話でお母さんに会おうと言ったら、お母さんは「お寺(日蓮正宗)をやめて、学会についたら会う」と。
 ようするに「分裂」です。だからJMさんの妹さん達は、この二〇年三人の甥つ子にも会ったことがないし、目と鼻の先に住んでいて母親が拒否していて会えない。
  これが創価学会の指導だからですし、信仰が違う人とは身内ですら会ってはいけない、夫婦でも離婚するように指導する。これは社会問題です。
       ---------(59P)-------つづく--

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