今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

こどもの日・端午の節供

2005-05-05 | 記念日
今日(5月5日)は「こどもの日」(Children's Day)
1948(昭和23)年7月公布・施行の祝日法によって制定された。
国民の祝日に関する法律(祝日法)では「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ことを趣旨としている。この日が端午の節句であることに因む。端午というのは本来、午の月の午の日。新暦で言うと6月頃の行事であったが、午(ご)と五(ご)の音が同じなので、毎月5日を指すようになり、やがて5月5日のことになったとも伝えられている。
端午の節供は五節供の一つで、元は中国から伝わった病気災厄を祓う行事であった。邪を祓うとされる菖蒲(ショウブ)や蓬(ヨモギ)を摘み、家や門に飾り、屋根に掛けたり身につけたりする。本場中国においては既に「楚辞」に歌われているというので少なくても2400年以上昔から行われていたようだ。
日本における端午の節供の記録は、日本書紀・推古十九年(611年)五月五日に「薬猟りす」と言う記述が有るのが最初だそうで、ここでいう「薬」は鹿の若角のことだそうだ。これは男性の仕事で、一方女性は、野原で薬草を摘むと言うことになっていたようであり、万葉集に名高い、額田王と大海人皇子の有名な相聞歌も、5月5日の薬草摘みのときに詠まれたものである。
茜草さす紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る(額田王)
紫草のにほへる妹を憎くあらば 人嬬故に吾恋ひめやも(大海皇太子)
そして、日本の宮廷では、さまざまな行事が催され、厄よけの菖蒲をかざり、皇族や臣下の人たちには蓬(よもぎ)などの薬草を配り、また病気や災いをもたらすとされる悪鬼を退治する意味で、馬から弓を射る儀式もおこなわれたようである。これが、武家の世になると、武家では流鏑馬、民間では、二手にわかれて石を投げ合う印地打(いんじうち)などが行われていた。又、菖蒲は、尚武に通じるといって男の節句と考えるようになり、幟(のぼり)や兜、武者人形などを飾って祝うようになったようだ。
しかし、端午の節句が長男優先の武家社会に一般的であるのに対して、農村では、田植えに備えての物忌みを強調する「女の家」の民族的な面にむしろ特徴があったと考えられている。これは、田植えが始まる前に、身を清めて、豊作を祈った上で「田植え」をはじめるため、菖蒲と蓬で屋根を葺いた「女の家」と呼ぶ小屋を造って女性たちが忌みごもりしたものである。田植えにおける主役は女性で、「実りを生み出す」作業は「子を産む」性である女性でなければならないと言う発想からきたもののようだ。元々は女性のための節供だった端午の節供が「男の子の節供」に変化した理由は、武家社会になってからのようだ。
中国から来た端午の節供も、この様な古くから日本に存在した行事と結びついたため、容易に定着したものと考えられており、このような成り立ちから見ると、端午の節供も元々は、3月3日の上巳(じょうし・雛祭り)と同様に女性のための節供だったともいえるようである。上巳の節句(雛祭り)も、都市生活を営む武家や町人の行事として定着したが、農村では、山遊びや浜遊びのような忌篭(いみごも)りによる祓いのいみが強調されたものだったようである。(朝日百科・日本の歴史より)
現在のように祝日になったのは終戦後の祝日法が出来てからであるが、このとき日本政府は新しい祝日を作るために国民に調査を行った結果、3月3日は女の子の節句、5月5日は男の子の節句として祝日にする動きがあったようだが、最終的には男女に関係なく、5月5日を「こどもの日」として祝日とすることになった。「こどもの日」の趣旨には、こどもの日なのに「母に感謝する」という一文がありなぜかと思っていたのだが、これは先に述べたようなことの名残からであろうか・・・。
「柱のきずは一昨年の五月五日の背くらべ・・・・」これは、唱歌「せいくらべ」の歌詞であるが、私なども、子供の頃、柱に傷をつけて、去年からの成長振りを測っていたが、昔は、親の方が子供の身長をこんなことして測っていた。この頃は皆ずいぶんとおおらかだったね~。こまかいこと、ごたごた言わなかったもの。今の、親なら柱に傷つけて何してるの・・」と目を吊り上げて怒るだろうね。
それと、端午の節句では、粽(ちまき)や柏餅を食べたよね~。粽は、中国から渡来したものだが、柏餅は日本独特のもので、歴史に登場したのは、寛永年間(1624~1644)頃のようだ。
「守貞漫稿」(もりさだまんこう)」の5月5日の項で「男児生まれて初の端午には粽を配り、二年目よりは柏餅を贈る・・・江戸にては初年より柏餅を贈る」という風習が記されている。男児のいる家では、節句の祝いとして親戚や知人に配るが、京阪地域では、初節句では粽を、2年目からは柏餅を用いた。
(画像は鳥居清長「子宝五節遊」サントリー美術館蔵。朝日百科・日本の歴史より)
参考:
元日(1月1日)は、宮中行事「元日節会」に由来。「平安京のお正月」
http://www.heiankyo.co.jp/choice/radio/sousi/02a.html
端午の節句~由来といわれ
http://www.kougetsu.co.jp/sitteru-tango.htm