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鎌倉を歩く4.寿福寺から化粧坂へ

2009-04-05 09:16:16 | Weblog
鎌倉を歩く 4
          寿福寺から化粧坂へ



 「よい天気なので、寿福寺・海蔵寺から化粧坂(けわいさか)を登って、葛原ケ岡神社に行ってみよう」「運動靴にリュック、おにぎりに水を用意してきた」「山の上に自動販売機があるよ」「な~んだ」

 歩く:JR鎌倉駅西口→寿福寺→海蔵寺→化粧坂

 「寿福寺は駅から近い、10分だ」「中に入れないが、本堂前の柏槙(びゃくしん)は見事だ」「8百年前、栄西禅師が植えられたのかな?」「源頼朝の父・義朝の舘(やかた)だった」「ここから、京都へ往復していたの?」「ご苦労なこと。舘(たて)は盾(たて)、城砦を構えていた」「義朝は地元豪族の大庭氏と仲がよくなかった」「臨戦態勢だ」「頼朝の時代には城砦が不用になったので、栄西が鎌倉を訪れたとき、政子が寺に供したと思う」

 「政子と実朝の墓があるの?」「裏の墓地に回ってみよう」「これだね、質素な墓だ」「案内書には、母子の墓はともに勝長寿院に造られたので、寿福寺の2つのやぐらは供養塔と思われる、と書いてある」「勝長寿院?どこにあるの」「廃寺となって、石碑がたっている。またの機会に跡地へ行ってみよう」

年譜:1200年北条政子、寿福寺を創建する(前年、源頼朝没する、享年53)息子・頼家は蹴鞠にふけり政務を忘る。梶原景時失脚して、敗死する。

 「海蔵寺は質素な建物で、田舎のお寺みたいだね」「本堂横の建物の屋根が藁葺きで、昔なつかしい」「観光客も少なく、落ち着いていいね」「かなり、谷戸の奥に位置している。かって、刑場だったといわれる」「怖いところだったんだね、背後は山だ」「建長寺の奥とよく似ている」「どちらも、地獄谷といわれた」「死体をカラスや野犬に食わしたのだろうか」「鎌倉に寺院が次々にできるようになって、刑場も鎌倉の外、逗子や六浦、七里ガ浜に移された」「穢れをきらったのかな?」

歩く:化粧坂→葛原ケ岡神社→葛原ケ岡ハイキングコース→浄智寺→JR北鎌倉駅 

 「ここに化粧(けわい)坂のいわれが書いてある」「白粉を塗った頭の黒い女狐の棲みか」「なんだ、それ」「いまで言う、赤提灯の飲み屋が並んでいた」「ずばり、好色の家と言ったらしい」「鎌倉に人が集まれば、歓楽街もできる」「ほかのいわれも書いてある」「化粧という字が使われたのだから、そういうことにしておこう」「葛原ケ岡に家が立ち並び、旅籠もあった思うなあ」「すぐ下は刑場だよ」「江戸時代、東海道品川には旅籠と鈴カ森の刑場があった」「そうか」

 「日野俊基の墓と葛原ケ岡神社に詣でよう」「神社由緒を見ると明治になって創建されたとある」「天皇崇拝の国策にそったのだろう」「案外、宮内省が極秘に動いたのかも」「俊基さんは、やりすぎなんだ」「なんだ、それ」「正中の討幕計画がもれ、六波羅に捕えられたが釈放された」「そう書いてある」「公家だから、もうやるなよと許した」「元弘に再犯だ」「武士なら一度の幕府謀反、あるいは嫌疑で頭と胴は離れている」「だろうね」「一般には再犯は許さない、というのが幕府の掟だ」「再犯は許さず、か。案内書に1332年6月ここで俊基が斬られたとある」「法律はシンプルだった」「六法はなかった」「話しているうちに、浄智寺が見えてきた。北鎌倉駅は近い」「けっこう歩いた。のどが渇いた、いっぱい、やっか?」「浄智寺を見た後にしよう」「くたびれた」「そうか、またの機会にしよう」

年譜:1324年後醍醐天皇の討幕計画が洩れ、六波羅は関係した武士を斬り、公家を鎌倉へ送る
    1331年討幕密議が洩れ日野俊基ら捕えられ鎌倉に送られる。天皇、笠置に逃げる。
    1333年鎌倉幕府滅亡