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鎌倉近郊を歩く8.朝比奈切通し

2009-05-01 09:55:00 | Weblog
鎌倉近郊を歩く 8
           朝比奈切通し



 緑が濃い朝比奈切通しは長く険しい坂道ではありませんが、しんどい気持ちがします。山を手掘りした人たちの苦労が頭をよぎるからでしょうか。

 歩く:JR大船駅下車、金沢八景行きバスに乗車、朝比奈切通し前下車

 バスから降りてクルマが激しく行交いする六浦(むつうら)道を見ていると、今も昔も、鎌倉(相模湾)と六浦(江戸湾)を結ぶ交通の頻繁な道だったのだなあ、と思いました。切通し入り口と書かれた細い道に入ると静かで、昔にタイムスリップした気持ちになります。坂の登り口に、「国史跡朝夷奈切通」の説明板があります。

 吾妻鏡仁治元年(1240)11月の条に、鎌倉・六浦間に道を切り開く意見が出たとあります。翌年4月から工事が始まりましたが大変な難工事で、三代執権北条泰時が督促のため自ら岩石を運んだとも書かれています。鎌倉は数万人が住む都会に急膨張し、生活物資を運ぶ道の整備がいそがれたのでしょう。

 六浦の海浜は製塩に適していたようです。塩のほか、関東平野や房総半島で産するコメや味噌などの食料品、麻や絹の衣料品など生活用品が六浦港に陸揚げされて運ばれたのでしょう。それにしても、この急な坂を牛車に荷物を積んで登り降りしたとは考えられません。馬や牛の背に積み替えて運んだのでしょう。数十人の馬子とその家族を合わせて数百人が、この谷の近くで生活していたに違いありません。

 途中に熊野神社に詣でる道があります。鎌倉の鬼門(東北)の守りとして祀られたとありますが、なぜ、数ある神様から熊野神社を選んだのかと思いながら参拝しました。元の道に戻って、峠に着きました。明治時代の写真には、ここに茶屋が写っています。かなりの通行人がいたのでしょう。

 峠を越えると水はけが悪く、すべりそうな岩盤の道なので要注意です。坂道を降りきると小さなの滝があって、その横に石碑があります。「朝夷奈三郎義秀 一夜の内に切り抜けたる以て 其名ありと伝へられる」とあります。義秀は和田義盛の息子で、豪力無双の勇者でした。由比ケ浜で海に潜って鮫を三匹も捕らえたという逸話があるそうです。父・義盛に依頼されて、安房国朝夷郡を支配していました。

 歩く:朝夷奈切通の石碑 十二所神社 光触寺 バスでJR鎌倉駅へ

 石碑の横の滝は「三郎の滝」と呼ばれています。鎌倉市街を流れる滑川の上流です。川を少し下ったところに、上総介平広常の邸がありました。梶原景時が源頼朝の意を受けて広常を斬殺し太刀(たち)を洗ったと伝えられ、この辺りは「太刀洗い」と呼ばれています。自動車道に出て歩道を少し歩くと、頬焼阿弥陀で知られる光触寺が在ります。朝比奈切通しを利用した商人たちは入り口の塩なめ地蔵に塩を捧げ、道中の無事を祈ったそうです。