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鎌倉を歩く21 永福寺跡

2015-12-05 09:14:03 | Weblog
           鎌倉を歩く21 永福寺跡



 「電話の声がいつもと違った」「胃の調子がどうもおかしい」「それで?」「医者に診ても
らい胃薬を飲んでる。禁酒中だ」「歩きが足らないのではないか」「そうだと思う」「今日
は少し多めに歩こう」「また、海岸の方か」「山の方だ。永福寺(ようふくじ)跡へ行って
みよう」

歩く:鶴岡八幡宮、荏柄天神前、鎌倉宮前、永福寺跡

 「まずは鶴岡八幡宮に参拝しよう」「よい天気でよかった」「大銀杏が無くなったが、
これはこれでいい眺めだね」「すっきりしている」「太陽がいっぱいあたって、石段の白、
周辺の木々の緑、本殿の朱。色彩がバランスして美しい」「そうだなあ」

 「参拝が済んだから、階段を降りてすぐ左折だ」「この道か」「そう。学校前に出ると指標
があるから、その矢印に沿って行くと道を間違えない」「それにしても、けっこう遠いなあ。
まだ荏柄天神前だ」「ぶつぶつ言わずに歩く。ほら鎌倉宮の前だ」「まだか」「この道を左折
して、すぐだ」「まだ歩くのか」「着いた」「着いた?テニスコートだよ」「その北側」
「そうか、やれやれ」「その前に石碑の文字を読んで行こう」

 「永福寺世ニ二階堂ト称ス。今ニ二階堂ナル地名アルハ是ガタメナリ 文治五年 頼朝
奥州ヨリ凱旋スルヤ 彼ノ地大長寿院ノ二階堂ニ擬シテ是ヲ建立ス 輪奐荘厳洵ニ無双雙
ノ大伽藍タリキト云フ 享徳年間関東管領ノ没落セル頃ヨリ後 全ク退廃ス」

 「鎌倉町青年会が大正9年に之を建てたとある」「すごい。この石碑を造るにはカネも
かかるし、史実を確かめる必要がある」「青年会がボランティアでやれることではない」
「案内書に文治5年は1189年、享徳年間は1452~1455年とある」「250年以上も存立し
ていたとは、すごい。その間、大地震もあっただろね、」

 「これか、いいじゃない」「ぶつぶつ言いながら来た甲斐があっただろう?」「なにもな
いのがよい。平泉の毛越寺跡みたいだ」「そうだね。湘南工科大学の推定図がある」
「なるほど、これが二階堂か」「昨年来たときは工事中だった。きれいに整備された」
「新しい名所だね」

 「頼朝は平泉の繁栄を聞いてはいたが、行って、見て、びっくりしたのだろうね」
「奥州は当時の日本の北端だ」「そのころ奥州では金が産出した」「この案内書に、頼朝が
寺院建設を命じて3年後に完成したとある。すっごく早い完成と思う。今でも設計に始ま
って、用材・資材などの手配から完成まで、そのくらいの建設期間が必要だろう」

「力自慢の畠山重忠が率先して材木や大きな石を運んだと、本で読んだ記憶がある」
「重忠は謀反を企てていると頼朝に疑われ、絶食して謹慎し許された。疑いを晴らすのは
この時とばかり自ら働いた。頼朝はその働きぶりをこの辺りから見ていたはず」「ほかの
御家人衆も重忠と同じ。疑いの目で見られないよう働いた」「西の平家は滅び、奥州藤原
氏も地上から消えた。日本全国制覇の金字塔が永福寺の建立だったと思う」

 「さてと、この山道を登ってみよう」「え?ここを登るの?」「そう、よい運動になるよ」
「いや、それは」「早く胃の調子を取り戻して、ビールを飲みたいのだろう」「登る、のぼる」
「単純な男だ」「何か言った?」「独り言だ、気にしない、きにしない」



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