サラマンダーは、聖書にでてくる怪物でしたっけ?
〇二年の映画「サラマンダー」は、ある少年が地下鉄工事現場で、一匹のサラマンダーに襲われたところからはじまる。
二十年後、時は二〇二〇年、場所は英国郊外。
世界の人びとは核兵器すら通用しない怪物にお手あげで、地下シェルターにもぐって暮していた。例の少年クインは成長し、ある要塞の首領格として、生き残った人びとをまとめていたが、食糧の調達をめぐって一部の家族と対立する。
うかつに地上に出たために、増えてしまった犠牲者。来年いのちをつなぐ畑ですら、灰にされてしまう。
焦燥がつのり、絶望するしかない、隠れ住みの人びと。
ところが、米国の軍人あがりの助っ人ヴァンサンが登場。火竜をみごとな連係プレーでしとめ、人びとは一時の平和を謳歌して歓喜に湧く。だが、軍人は倒したのは雌で、ロンドンにいる雄を倒さないかぎりは根絶できないとたしなめる。その一匹を倒すために協力を促すが、これまで幾多の犠牲をみてきたクインは、これ以上むだに命を落としたくないと反対。
闘うことをかたくなに提唱する男と、防戦で手いっぱいの男。ふたりの主張は食い違い、乱闘に。
はたして、クインたちはサラマンダーを追い払うことができるのか?
結論からいいますと、最後は三人で一匹に立ち向かうわけですが、意外とあっさり倒れます。核兵器でも倒せないドラゴンなのに、あんな弓矢一本でおとなしくなるって、いったいどんなファンタジー?
ハリウッド版の「ゴジラ」と展開が似ていたのと、怪物とはいえしょせんトカゲを大きくした程度で「ジュラシックパーク」ほどの恐怖感が煽られなかったのが不満。
近未来とはいつつ、逃げ場が英国の古城だったりして、妙に現代的なリアリティがありすぎるところがCGと噛み合っていなくて、うさんくさく感じられてしまう。
あと人物が類型的ですかね。ヴァンサンみたいな大口叩く戦闘のプロタイプは最後に主役を立てるために死ぬだろうなと思ったらほんとにそうなってるし(苦笑)
マシュー・マコノヒーは「コンタクト」で知的な神学者を演じていたのに、今回は野性味あふれる軍人っぷりで、すごく驚きました。
(〇九年五月十六日)
こういうお話は男の子には面白いですよね。
核兵器でも倒せなかったというくだりは観てないので、結末のナンジャラホイ感は湧かなかったです。でも・・
>「ジュラシックパーク」ほどの恐怖感が煽られなかったのが不満。
というのは分かりますね。
最後にマッチョが死んじゃうのも予定通りでした。^^
言われてみれば、怪獣好きにはたまらないかも…。
でも、「宇宙戦争」でも感じましたが、日本の特撮のほうがハリウッドのSFに勝っているのでは、という気がします。買い被りすぎかしら?
>核兵器でも倒せなかったというくだりは観てないので、結末のナンジャラホイ感は湧かなかったです
核兵器も近代兵器も通じない、というシーンがあったのでなくて、そういうナレーションで片づけられてしまっていたのです。繁殖力がそれを上回っていたという理由で。でも、核軍縮がはじまっている時代で、核じたいが保有しているだけの錆びた銃弾みたいになっていたのかもしれないですね、この時代は。
もしくは諸刃の剣なので、おおっぴらに使えないうちに、サラマンダーが増えたとか。ただ、序盤でのんびり畑に繰り出しているような危機意識のなさなので、ほんとに脅威なのか、という気がしました。
>最後にマッチョが死んじゃうのも予定通りでした。^^
主人公をあんなに殴りまくっていましたので。戦車とか精鋭部隊を率いていたのに全滅させられて、最後、ご都合主義的に三人で立ち向かうという展開に、すごく違和感が…。
好戦的な男が悲惨な死に方をするというのは、「キューブ」という映画に出てきたもと殺人犯を思い出しました。
いっそ「ナルニア国物語」みたいに、ファンタジー風味にしたほうがまだ観れたんじゃないかしらと思います。へたに現実テイスト持ちこんだばっかりに。人類絶滅とかいいながら、事件が起こってるのが、イギリスの田舎地方という狭さでサスペンスが感じられない。
細菌兵器とか、飛行機事故とか大型船沈没とかのほうが、現代だとリアルなんですよね…。安っぽいパニック映画が楽しめないのは、たぶん9・11事件みたいなテロや戦争の映像をリアルタイムで観れる時代に生まれたがゆえなのでしょうか。