陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

快楽という名のワクチン

2009-11-16 | 医療・健康・食品衛生・福祉
先週の金曜日は十三日だった。三年ほど前だったか、このブログで十三日の金曜日症候群について書いた覚えがある。キリスト教圏ではこの日は不吉な日とされていて人々が外出を控えることから消費が大きく落ち込んでしまうということだ。
私はニーチェよろしく反キリスト主義者なので、こんな迷信は信じちゃいない。にも関わらず、先週の金曜日は思いがけず体調を崩してしまった。二日ほど前に帰りに雨に濡れたのが原因らしい。

土曜は家族と季節型インフルエンザの接種に出かけたのだが、私だけが37度超えの微熱があったために受けられなかった。たしかに咳や嘔吐感は激しかったし食欲はなかったが、風邪なのかどうかはわからなかった。帰りがけに別の病院で診察してもらったが、腑に落ちない診断をされてしまった。医者が大嫌いですという態度を露骨に示したためらしい。
近くの病院ではすでに成人用の季節型インフルエンザ接種は締め切られた。四回打たせなくてはいけない子ども用に切り替えることで、稼ぎたいという思惑が透けてみえてしまう。

体調がよくないとはいいながら、楽しみだけは別物ではりきって借りた映画のDVDだけは観てしまった。むかし、ある方が風邪を引いたらよく眠るかしっかり食べてなおすとおっしゃっていたが、私の場合は、好きな本や映像に浸るのがいちばんのクスリなのだろう。しかし、先週読みかけにしていた本が、つまらないのでまったく養生にもならなかった。その本がつまらないというよりは、頭のなかに何もはいらない状態なのだ。

ワクチンが病の防護壁であるように、楽しみもまた、毎日まいにち浸るものではない。過剰すぎる楽しみは堕落でしかないのだが、適度なバランスを保ちながら楽しみと義務とを両立させることができない性分なので、一度片方にのめり込むと取り返しがつかない状態になってしまう。

病というのは、ほんらいせねばならないことがおろそかになってしまう状態であり、心身ともに実行能力をうしなった状態である。自分のなかに誰にも立ち入らせない聖域があって、ことあるごとにそこに逃げ込んでしまう状態というのは、やはり病的なのだと言わざるをえない。

とここまで考えて、自分にとってのワクチンとは、楽しみにせよ、義務にせよなにかをすることではなく、ただ思考を練りこんでいく作業のことではないかと気づいたのだった。下手な考え休むに似たり、とはよくいったものだ。


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