やおよろずの神々の棲む国でⅡ

〝世界に貢献する誇りある日本″の実現を願いつつ、生きること、ことば、子育て、政治・経済などについて考えつづけます。

【中学歴史教科書8社を比べる】430 28 核兵器・原子力 17 ⅱ 1946~2000 -9- <まとめと考察2/2の③:原水爆禁止運動>

2018年02月12日 | 中学歴史教科書8社を比べる(h28-令和2年度使用)

28 核兵器・原子力 17

ⅱ 1946~2000 -9- 

■まとめと考察 2/2の③ 原水爆禁止運動 ~まとめ表再々掲~



 

 

2 「原水爆禁止運動」の描き方

●「原水爆禁止運動」について書いていない。 → △ 育鵬社、自由社。

※世界の「軍縮運動」・「核兵器廃絶運動」にとって、《戦時における核兵器による民間人の大量虐殺・被爆国である日本》の「原水爆禁止運動」は、世界史的に大きな位置づけをされている。それがどれほど《国際・国内政治に翻弄された運動》であっても、無視はできないだろう。

 

●日本の「原水爆禁止運動」が、《ほとんど野党の政治的支配下にあり、政治的利用により歪められた運動だった》ことを書いていない。 → △ 5社:東京書籍、教育出版、日本文教、清水書院、学び舎。

※1 政治利用・・・戦後から最近までの「日本の原水爆禁止運動」の多くの部分が、日本共産党と、日本社会党(1996年に「社会民主党」と改名/ほぼ消滅的状況)に支配されてきたのは史実。

※2 冷戦・・・上記2政党が、ソ連や中華人民共和国(※どちらも共産党独裁国家)と ”きわめて深い関係” であったのは周知の事実。両国にとって「アメリカの水爆開発」がきわめて脅威であったのも事実。
 したがって、社共両党とソ・中両国との関係の変化によって、「原水爆禁止運動」の内容までが変化していくという ”不思議な現象” が起きたのも事実。
 例えば、日本共産党は、1960年代は「社会主義国の核兵器は侵略防止のもので容認すべき」と主張していた。しかし、その後、中ソの共産党と反目するようになると、《核兵器全面禁止》へとその主張を変えてしまった。

 <参考:私は1976(昭51)年から佐賀県で小学校の教員をしていたし、各学校は毎年8月6日か9日に全校児童参加の「平和集会(※主に原爆に関して)」をしていた。佐賀県の小中学校教員のほとんどにとって、《原水協は共産党系、原水禁は社会党系》というのは”常識”だった。>

 

※3 運動組織・・・日本の原水爆禁止運動の始まりは、1954年のアメリカの水爆実験による《第五福竜丸の被ばくと、南太平洋(魚類)の放射能汚染問題》がきっかけになったと言われている。その始まりの状況について、下記4社は次のように書いている。

 ●日本文教、清水書院、学び舎・・・「東京都杉並区の母親(主婦)たちが…」 
 ●教育出版・・・「母親たちなど市民の運動をきっかけに…」

 では、実際には、「全国的署名運動」は、いつ、どんな組織で始まったのか?

 ◆1954年5月9日に「水爆禁止署名運動杉並協議会」結成。3/1の水爆実験から、まだ2か月しか経っていない。その構成団体は、「教員組合、杉並区教職員組合、杉並漁業組合、荻窪建労組、岩崎通信機労組、杉並婦人団体協議会、杉並婦人文化連盟、杉並文化人懇談会、濁話会、杉並区小学校PTA,気象研究所 ~以下15団体名を略~…」
<すぎなみ学倶楽部 
https://www.suginamigaku.org/2014/10/h-gensuibaku.html より引用>

 当時の労働組合は今とかなりちがって、社会党か共産党、あるいは民社党が指導・主導し、「政治活動」も熱心に行う組織でした。

 

 ◆「議長」は当時「杉並公民館長」だった「安井郁」氏。 <ウィキペディア:「安井郁」>より氏の経歴などを紹介する。

 「1930年 東京帝国大学法学部政治学科卒業/1940年 東京帝国大学教授(国際法)/1953年 東京杉並区公民館館長/1954年 原水爆禁止日本協議会・理事長/1958年 国際レーニン平和賞 受賞/1965年 原水爆禁止日本協議会・理事長辞任/1967年 原爆の図丸木美術館館長/1978年 法政大を定年退職」

 「1970年朝鮮民主主義人民共和国チュチェ思想を研究し、日朝社会科学者連帯委員会の議長に就任した。晩年は金日成主義を「独創的思想」と絶賛している。チュチェ思想国際研究所初代理事長を務める。妻の安井田鶴子も安井の活動を支え、女性たちの読書会「杉の子会」(東京都杉並区)の反核署名運動や大石武一新村猛と共に「草の根平和の集い」(1985年-1991年)などで平和・人道主義の活動をした。」

 

 ◆《女性たちの読書会「杉の子会」》とはどんな会か? <丸浜江里子氏(都留文科大学)による「広島平和研究」掲載論文 「ビキニ事件・原水禁署名運動から60年 -過去(1953~54年)、そして現在」>より引用する。

 ・p61「安井と島原は1953年11月に社会科学書を読む主婦の読書会「杉の子会」を立ち上げ…。…賛同した女性たちは1954年1月に杉並婦人団体協議会(婦団協)と結成した。婦団協は、約3ヶ月後に始まる原水禁署名運動でもっとも活躍する団体となった。…」

 ・p63「(a)1954年3月後半  2年前の破防法反対運動でつながった知識人・労働者・女性、さらに魚商など約40人が「ビキニ水爆問題を話し合おう」と杉並区阿佐ヶ谷の天祖神社に集まった。…陳情書には「平和」の文字を避け、保守系議員の紹介とする等、細やかな配慮がなされた。他方、安井郁公民館長も署名運動を憲法擁護国民連合に働きかけるなど独自に動き始めていた。」

 ※「憲法擁護国民連合憲法改正に反対する日本社会党の組織。略称護憲連合。 1954年1月,憲法改正の反対運動を進めるために,日本社会党日本労働組合総評議会 (総評) など 144団体が集って結成した。結成後,全国各地で憲法擁護の講演会を開き,また憲法記念日には集会などを催し,反対運動に力を入れている。なお 56年から機関誌『平和と民主主義』を刊行している。(出展:ブリタニカ国際百科事典 小項目辞典)

 

 きりがないのでこれぐらいでやめますが、「日本の原水爆禁止運動が、ほとんど野党の政治的支配下にあり、政治的利用により歪められた運動だった。」ことはご理解されたと思います。

 

※4 東京書籍は「…全国に広がりました」「…ねばり強く続けられています」と書いているので△とするが(※広げた主体は社共勢力)、帝国書院は「…始まりました」とだけ書いているので〇と認定する。

 

~次回、ⅲ 2001~現在:実物コピー1/n~

<全リンク⇒ <28 核兵器・原子力 ⅰ 414415416417418419420421・/ⅱ 422423424425426427428429430・/ⅲ 431432433434435(この項:完)>

著者:松永正紀  教育評論家 /h22年度 唐津市・玄海町:小中学校校長会長》

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