A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

ビバップの創始者は、ビッグバンドもバップスタイルで・・・

2017-02-05 | MY FAVORITE ALBUM
Dizzy Gillespie and His Big Band in Concert

今年2017年は、ジャズのレコードが初めて作られた1917年からちょうど100年。



この、Original Dixieland Jass Bandのレコードはいきなりミリオンセラーになったそうだ。太古の昔から、絵画や文字でその当時の記録を残すことはできたが、音だけはレコードが発明されるまで記録に留めることはできなかった。クラシックと違って譜面に残されていないジャズの演奏は、レコードが無ければ当時の演奏の再現も難しい。音は悪くても貴重な演奏だ。

この史上初のジャズレコードが生まれた年1917年に誕生したジャズミュージシャンは沢山いるが、その一人がトランペットのディジーガレスピー。パーカーと共に、モダンジャズの原点であるビバップの創始者としても有名だ。

ガレスピーがミュージシャンとして本格的に活動を始めた1940年代、世の中はビッグバンドの全盛期。ガレスピーに限らず当時のジャズミュージシャンは皆ビッグバンドが仕事場であった。形にはまったジャズに満足できずに、仕事が終わった後のジャムセッションからビバップは生まれた。丁度、第2次世界大戦の真っ只中から戦後にかけてであった。戦争は多くの歴史・文化を失うが、大戦中でも戦場にならなかったアメリカ大陸だけは文化活動も途絶えることなく、却って革命的な変化が起こっていたということになる。

コンボの演奏形態としてのビバップが進化していった中、ビッグバンド好きのガレスピーは自らビバップオーケストラを作り、ビッグバンドが下火になった1956年まで自らのビッグバンドを率いていた。その後も、機会ある毎にレコーディングやライブで臨時編成のビッグバンドを率い、時には他のバンドのゲストとしてもよく参加した。根っからのビッグバンド好きであったのだろう。



先日、エリック宮城率いるブルーノートオールスタービッグバンドの新春ライブがあった。このバンドは最近ゲストプレーヤーを招くことが多いが、今回はガレスピーの生誕100年を祝って、ジョンファディスをゲストに招いてのライブであった。
宮城自身トランペットの第一人者であっても、今回のお題がガレスピーとなると、やはり一番弟子のジョンファディスが適役と考えたのだろう。実際のステージでも、ファディスが登場するとエリックは舞台を退き、プレーだけでなく、バンドの指揮もすべてファディスにお任せであった。

ジョンファディスも、若い頃はサドメルの一員として活躍し、近年ではカーネギーホールジャズオーケストラのディレクターを務めるなど、ガレスピー譲りは演奏だけではなく、
ビッグバンドバンドにも思い入れがあるようだ。

ステージではお馴染みのガレスピーナンバーを次々と繰り広げたが、得意のハイノートを駆使したプレーでバンドを引っ張るだけでなく、バックのオーケストラの演奏にも気を配っていた。ブルーノートオールスターズは百戦錬磨の日本を代表するプレーヤー揃い。しかし、ガレスピービッグバンドのノリを再現するには少々リハ不足だったかもしれない。最近では珍しいリフサンサンブルでの盛り上がり、そしてバラードの名曲アイリメンバークリフォードではバックのデリケートなアンサンブルに細かく指示を出していたのだが・・・。その中でファディスの期待に応えていたのは二井田ひとみの掛け合い。大先輩ファディスとのやり取りに多少困惑、そして気後れした感じはあったが、歌心あるプレーズで堂々と渡り合っていた。彼女のファンとしては嬉しい限り。

さて、このようなライブを聴くとオリジナルが聴きたくなる。リーモーガンやウィントンケリーがいた頃の、ニューポートでのライブがすぐに思い浮かぶが、やはり結成直後の演奏が原点だろう。



このアルバムは、ビバップの伝道師と言われたジーンノーマンが1948年に西海岸(パサディナのオーディトリアム)で行ったライブアルバム。ビバップのムーブメントは西海岸ではすんなりと受入れられなかったといわれるが、会場の盛り上がりは凄い。ジーンノーマンの功績は大きい。

ガレスピーのビッグバンドの特徴はもう一つ、ラテンサウンドを採り入れた所だ。それにはアレンジだけでなくパーカッションも大事。このライブにはキューバ出身のチャノボゾが参加しているのも価値がある。キューバからアメリカに来たのが、このライブの前年の’47年、翌年’49年の12月にはニューヨークのバーで射殺され、実際にアメリカで活躍した期間はほんの僅かであった。

ガレスピー以外のメンバーにも、テナーのジェイムスムーディー、バリトンのセシルペインなどがいてソロを繰り広げる。アレンジはガレスピーのオーケストラアレンジでは有名なギルフラーやタッドダメロン。やはり、バップオリエンテッドなモダンビッグバンドの原点はここにある。

1. Emanon            Dizzy Gillespie / Milton Shaw 4:30
2. Ool-Ya-Koo            Gil Fuller / Dizzy Gillespie 6:15
3. 'Round About Midnight  B. Hanighen / T. Monk / C. Williams 3:35
4. Stay on It           Tadd Dameron / Dizzy Gillespie 5:40
5. Good Bait             Count Basie / Tadd Dameron 3:20
6. One Bass Hit      Ray Brown / Gil Fuller / Dizzy Gillespie 5:05
7. I Can't Get Started         Vernon Duke / Ira Gershwin 3:30
8. Manteca         Gil Fuller / Dizzy Gillespie / Chano Pozo 7:35

Dizzy Gillespie (tp)
Dave Burns (tp)
Elman Wright (tp)
Willie Cook (tp)
William Shepherd (tb)
Jesse Tarrant (tb)
Cindy Duryea (tb)
Erney Henry (as)
John Brown (as)
Joe Gayles (ts)
James Moody (ts)
Cicil Payne (bs)
Nelson Boyd(b)
James Foreman (p)
Teddy Stewart (ds)
Chano Pozo (conga)

Produced by Gene Norman
Recorded live at Pasadene Civic Audorium, Calfornia on July 26,1948




Dizzy Gillespie And His Big Band In Concert
クリエーター情報なし
GNP Crescendo
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偶然一緒に演奏したのかきっかけで、2人のソウルエネルギーが全開へ・・・

2017-01-10 | CONCORD
Soular Energy / The Ray Brown Trio featuring Gene Harris

毎年8月になるとサンフランシスコに程近いコンコルドの街にはジャズミュージシャンが集まる。街の郊外にあるパビリオンで開かれるコンコルドジャズフェスティバルに参加するためだ。
規模が大きくなるにつれて、西海岸だけでなく東海岸や遠く海外から、日本からも北村英治が参加するようになった。ここでのステージの模様はライブアルバムとして毎年のようにコンコルドレーベルでリリースされ、会場に出向いたファンだけでなく、世界中のファンが楽しむことができた。また、その機会を利用してスタジオでの顔合わせセッションも開かれ、これも数多くアルバムとなって世に登場した。

自分のレーベルの所属ミュージシャンを中心にフェスティバルの毎年の出し物を考えるのはオーナーであるカールジェファーソンの楽しみであり、特権でもあった。1984年のフェスティバルのプログラム構成を企画していたジェファーソンが、何においても彼の片腕であったレイブラウンに、「今回はアネスティンアンダーソンにすべてブルースを歌ってもらおうと思う、メンバーを考えてくれないか」と、相談を持ち掛けた。

レイブラウンはすぐに、ピアノのジーンハリスを思い浮かべた。
というのも、少し前にレイブラウンはハリスに頼まれて2日間ハリスのセッションに付き合って、その縁で一緒にアルバムも作ったからであった。

お互い50年代からジャズ界で活躍してきた2人だが、共演したのはそれが初めてだった。というのも、ハリスは70年代には第一線を退きアイダホ州のボイセという地方都市に引き籠り、地元のホテルでピアノを弾いていた。ボイセはアイダホ州の州都とはいえ人口は20万人ほど。黒人が極端に少ない田舎町。ジャズ界との接点はほとんど無い場所だった。その地ででハリスはジャズだけでなくブルースからカントリーまで日替わりで何でも演奏している毎日だった。

レイブラウンと初めてプレーしたハリスは、久々にジャズのエネルギーが体内に蘇った。一方のレイブラウンはハリスのソウルフルなピアノの躍動感を一緒にプレーすることで体感した。ブラウンは数え切れない程のミュージシャンとの共演経験があるが、この感覚はあのミルトジャクションと一緒にプレーする時と同じだと感じ、早速ハリスを連れてニューヨークに行った。そのミルトジャクションと一緒にアルバムを作るために。
1983年12月のことであった。

その印象が強く残っていたブラウンは、ジェファーソンからの依頼を受けると、早速ボイセにいるハリスに参加を求め、一緒にフェスティバルのステージに立つことになった。

このアネスティンアンダーソンのブルース特集はステージでの演奏だけでなく、別にスタジオでアルバムを作ることになった。サンフランシスコのCoast Recordersスタジオにメンバー達は三々五々集合した。その時のアルバムが、先に紹介したアネスティンのアルバム”When the Sun Goes Down“である。

このアネスティンのレコーディングの準備を行っている最中、トリオの面々はせっかくだから自分達のアルバムも作ろうということになった。特にレコーディングの準備をしている訳でもなかったが、そこは臨機応変に対応できるジャズの良さ。リハーサルもなくスタンダード曲を次々と演奏し始めた。ライブでも初顔合わせの面々が簡単な打ち合わせでセッションを繰り広げるが、そのノリでこのレイブラウントリオのアルバムが誕生した。

過去にブラウンはオスカーピーターソンのトリオで、そして一方のハリスはスリーサウンズでピアノトリオでの演奏には手慣れた2人、レギュラートリオのように次々と曲をこなす。
ドラムはジョーウィリアムスのバックをしていた新人のゲーリックキングを起用したが、2人が引っ張るトリオに複雑なリズムやバックはいらない、ステディなドラムングがかえって効果的だ。
普段もう少し早いテンポで演奏されることが多いTake The A Trainをゆったりとしたテンポでスイングさせるところなどは、即席のトリオとは思えないコンビネーションだ。



ライブでのセッションも、演奏が興に乗じてくると飛び入りの参加で盛り上がる。ここでもアネスティンアンダーソンの録音にスタンバイしていたテナーのレッドホロウェイが加わる。そして、何と自分のアルバム(先日紹介したCatwalk)作りに来ていたギターのエミリーレムラーも加わって一緒に大ブローを披露している。
この曲だけはレイブラウンがヘッドアレンジで曲を提供。思いっきりアーシーな演奏に、レムラーのギターもデビュー当時のモンゴメリーライクなブルージーな演奏となる。自分のアルバムでの演奏と比較すると同じプレーヤーとは思えない。

コンコルドの常連であり重鎮のレイブラウンはこれまでトリオの時はモンティーアレキサンダーなどと組むことが多かった。今回、ハリスとは余程相性が良かったのだろう、これを機に2人のコンビのレイブラウントリオがスタートする。
ハリスにとっても、ちょっと歌伴のお手伝いという感じの参加のはずだった。だが、これがきっかけでコンコルドの看板スターに返り咲き、ジャズ界でのセカンドステージが始まった。何がきっかけで人生の大きな転機を迎えるか分からないものだ。

コンコルドのアルバムは総じて録音が良いが、このアルバムのハリスのピアノのタッチと、レイブラウンの重低音のベースが絡み合う迫力は、演奏だけでなく録音も格別だ。

1. Exactly Like You    Joe Burke / Dorothy Fields / Jimmy McHugh 5:47
2. Cry Me a River                 Arthur Hamilton 5:46
3. Teach Me Tonight            Sammy Cahn / Gene DePaul 4:51
4. Take the "A" Train                Billy Strayhor 6:20
5. Mistreated But Undefeated Blues            Ray Brown 4:16
6. That's All               Alan Brandt / Bob Haymes 5:48
7. Easy Does It         Count Basie / Sidney Keith Russell 4:03
8. Sweet Georgia Brown  Ben Bernie / Kenneth Casey / Maceo Pinkard8:45

Gene Harris (p)
Ray Brown (b)
Gerryck King (ds)
Red Holloway (ts) #5
Emily Remler (g)  #5

Produced by Carl Jefferson
Engineer : Pill Edwars
Recorded at Coast Recorders, San Francisco, August 1984
Originally released on Concord CJ-268

Soular Energy
クリエーター情報なし
Concord Records
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ブルースで育ったアネスティンアンダーソンが久々にブルースづくしで・・・

2016-03-15 | CONCORD
When The Sun Goes Down / Ernestine Anderson

ベテランミュージシャンの「再生」を得意としたコンコルドは、ボーカリストの再生も手掛けた。一番の成功はローズマリークルーニーであったと思うが、このアネスティンアンダーソンもその一人だ。一度はアメリカを離れて活動をしていたアンダーソンを再びアメリカで活躍するきっかけを作ったのはレイブラウンであった。再デビューアルバムに付き合って以来、いつもアンダーソンのアルバムには一緒にプレーしてきたが、前作”Big City”ではモンティーバドウィックにベースの席を譲っていた。

アンダーソンは、子供の頃ブルース好きの両親の元で育った。何事においても幼い頃の幼児体験が大人になって役立つと言われているが、彼女のブルースフィーリングは生まれ育った環境によるものかもしれない。といっても、彼女の場合はオールラウンドシンガー。ブルースだけでなく、スタンダードからポップスまで何でもこなす。ブルースは彼女の幅広いレパートリーの一部であった。彼女のブルースをタップリ聴きたいと思うファンも多かったのだろう。

そんなファンの気持ちを察知したのか、ジェファーソンが彼女のブルースアルバムを企画した。オーナーの片腕であり、アンダーソンの後見人ともいえるレイブラウンは早速段取りを始めた。コテコテのブルースだけでなく、ブルース風の曲、そして古い曲だけでなくザヴィヌルのマーシーマーシーマーシーまでを選んだ。
ブルースに拘るとなるとバックのメンバーも大事だ。ピアノにはジーンハリスを起用した。アンダーソンとは昔、ライブで一緒にステージを共にしたこともあった。そして、テナーにはレッドホロウェイ。コンコルド初登場だがブルースナンバーの歌伴には良い人選だと思う。ドラムには若手だが、ジョーウィリアムスのバックも務めたゲーリックキング。今回はベースも自ら務め、全体のアレンジもレイブラウンが担当した。

お膳立てはすべて揃って、お馴染みの”Goin’ To Chicago Blues”からスタートする。そして最後のマーシーマーシーまで一貫してブルースフィーリングで歌い通す。ブルースに拘ったアルバムにしようというレイブラウンの思惑通りの出来に仕上がったのではないだろうか。ジャズ歌手であればブルースの一曲や2曲はアルバムやステージのプログラムに入れるのは当たり前だが、全曲ブルースに拘るというのもたまにはいいものだ。



コンコルドでは7枚目になるが、その後もコンコルドでのアルバムは続く。その後は?と思ってディスコグラフィーを見ると、2011年まではアルバムを出している。まだ健在のようなので。前回紹介したリーショーのように米寿になってもまだどこかで歌い続けているかもしれない。

このセッションがきっかけになったのか、ジーンハリス、レッドホロウェイも2人もコンコルドに登場する。

1. Goin' to Chicago Blues            Count Basie / Jimmy Rushing 4:48
2. Someone Else Is Steppin' In                Denise LaSalle 4:45
3. In the Evening (When the Sun Goes Down)            Leroy Carr 7:20
4. I Love Being Here with You           Peggy Lee / Bill Schluger 4:59
5. Down Home Blues                      George Jackson 6:04
6. I'm Just a Lucky So and So          Mack David / Duke Ellington 6:21
7. Alone on My Own                      Tony Webster  3:18
8. Mercy, Mercy, Mercy Johnny "Guitar" Watson / Larry Williams / Joe Zawinul  4:57

Ernestine Anderson (vol)
Red Holloway (ts)
Gene Harris (p)
Ray Brown (b)
Gerryck King (ds)

Produced by Carl Jefferson
Recorded at Coast Recorders, San Francisco, California. August 1984
Originally released on Concord CJ-263

When the Sun Goes Down
クリエーター情報なし
Concord Records
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日本発のアルバムが世界中のファンの元へ・・・

2015-12-13 | CONCORD
Overseas Special / Monty Alexsander・Ray Brown・Herb Ellis

70年代から80年代の日本は活力がみなぎっていた。ちょうど自分が社会人になったが、まだ見習いで忙しく仕事を学んでいた時である。この成長に伴い世の中も経済的に豊かになり、個人的にも懐が豊かになった。欲しいレコードもすぐに買えたし、行きたいコンサートにも行けるようになったが、反対にそれを楽しむ時間が無くなった。学生時代は隅から隅まで読んだスイングジャーナルも、パラパラとめくって積んどく状態になったものだ。

この日本の経済力がジャズ界にも活気をもたらしていた。幻の名盤といわれた古いアルバムが次々に発掘され、次から次へと大物ミュージシャンが来日し、日本中で大きなコンサートが催され、日本のプロデューサーが企画するアルバムも数多く作られた。
60年代の初頭は、ジャズを理解してくれるのはヨーロッパというのがジャズ界の常識で、アメリカで思う存分演奏する機会に恵まれないミュージシャン達の多くはヨーロッパに渡ったものだが。時代が変れば所も変る。

80年代の日本のジャズフィーバーをアメリカの関係者は驚きの目で見ていた。秋吉敏子がアメリカに渡り、日本人でもジャズを演奏するミュージシャンがいるのだという事を知り、大物ミュージシャンが大挙して日本に行くようになって、日本にもジャズを聴くファンがたくさんいるというのが分かった。それから、このフィーバー状態になるまであまり時間はかからなかった。

多くの来日ミュージシャンの公演を手配していたのはプロモーターといわれる人々。アメリカ側で大物ミュージシャンや大きなフェスティバルを仕切っていたのはジョージウェインのような有名なプロデューサー。日本側も個人のプロダクションから、大手の音楽事務所、さらには大手メディアの文化事業部のようなところまでが次々と公演を企画した。もちろん成功する公演もあれば、お客が集まらずガラガラという公演もあった。その中で、プロモーターとミュージシャンの信頼関係も生まれてきたと思う。

少し前に、モンティーアレキサンダーのトリオが来日した。その時にも記事にしたが、その公演を段取りしたのはプロモーターとしては老舗のオールアートプロモーション。モンティーアレキサンダーがまだコンコルドに所属していた時からの付き合いになる。

富士通コンコルドジャズフェスティバルが日本で始まったのは‘86年だが、それに先立って’82年にモンティーアレキサンダートリオの単独公演が行われた。ビッグスリーとタイトルされたそのトリオのメンバーは、レイブラウン、ハーブエリスの豪華版。3月初めから一ケ月近くかけて日本ツアーが行われた。ほぼ同じ時期に、オスカーピーターソン、カウントベイシー、グレンミラー、ジョンルイス、チコフリーマン、ボブジェイムスなどのコンサートツアーも行われていたので、当時の活況ぶりを窺い知ることができる。

この日本ツアーの最後にアレキサンダーのトリオの面々は六本木のサテンドールに出演した。この頃有名ミュージシャンが来日した時に、東京でジャズクラブへの出演というのは珍しかった。レコーディングのためのスペシャルセッションかどうかは定かではないが、このようなトリオの演奏はホールとは違ったクラブ独特の雰囲気にピッタリだ。



この録音を聴いた感想を、コンコルドレーベルの地元紙サンフランシスコエグザミナーの記者がライナーノーツに書いている。トリオの演奏が素晴らしいのはいうに及ばす、日本のジャズクラブの雰囲気が実に素晴らしいこと、そしてライブレコーディングが上出来な事を褒めちぎっている。特に日本のジャズファンがこんなに演奏に溶け込んでいる事、そしてレイブラウンのベースの音の良さに。個人的には、日本のファンを見くびっているとも思えるコメントだし、レイブラウンのベースの音も弦の音が目立ち、いつもの図太い音がかえって消されてしまっているような気もするが。いずれにしても日本が見直されていたのは事実だ。

タイトルとジャケットデザインは、3人から世界中のファンへの贈り物といった感じだが、その陰には日本のプロデューサー、ファン、クラブ、そしてエンジニアがいたことも間違いない。
このトリオでの演奏は、ツアーの最中に大阪でスタジオ録音されたアルバムもあるので聴き較べてみるのも面白い。いずれにしても、日本が元気な時代であったからこそ実現できたアルバムだ。その陰にはプロモーターであるアートプロモーションの石塚氏の努力と活躍があったからだと思う。

それにしても、今の世の中金儲け以外何かをやろうと気が起こらない社会になってしまったのは困ったものだ。きっと今の時代ではこのようなアルバムは自主制作以外生まれないであろう。

1. But Not for Me             George Gershwin / Ira Gershwin 9:17
2. A Time for Love          Johnny Mandel / Paul Francis Webster5:47
3. Orange in Pain                       Herb Ellis 6:02
4. F.S.R. (For Sonny Rollins)                  Ray Brown 5:57
5. For All We Know               J. Fred Coots / Sam M. Lewis 7:26
6. C.C. Rider                     Ma Rainey / Traditional 8:22

Monty Alexander (p)
Ray Brown (b)
Herb Ellis (g)

Produced by Yoichiro Kikuchi
Engineer : Yoshihisa Watanabe
Recorded live at the Satin Doll Club, Tokyo, March 15 1982

Concord CJ-253

Overseas Special
クリエーター情報なし
Concord Records
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ピアノとベースのデュオといえばこの一枚も・・・・

2015-09-08 | MY FAVORITE ALBUM
This One’s For Blanton / Duke Ellington & Ray Brown

デュークエリントンといえば、ビッグバンド、そして作曲家として有名だが、ピアニストとしてのエリントンも忘れる訳にはいかない。エリントンが素晴らしいのは、そのどれをとってもオンリーワンのエリントンサウンドを持っている事。ジャズ界で実力者といわれても、なかなかエリントンに匹敵するオリジナリティー持ち、すべてにおいてパワーと影響力を持ち合わせたミュージシャンは他には見当たらない。

エリントンのピアノはもちろんビッグバンドでも聴けるが、コンボでの演奏での方かより特徴が分かる。単に古いとか新しいとか、スイングするとかしないとかで表現できない、ある種のジャズの伝統を感じる一方で、ある時は前衛的に感じることもある。ミンガスとかコルトレーンなど意外な組み合わせであっても、誰と一緒にプレーしてもエリントンのこのピアノスタイルは変る事はなかった。

ジミーブラントンは、セントルイスでエリントンの目に留まり、グループに抜擢された1940年代のベーシスト。モダンジャズ時代に入ってのベースの改革者はスコットラファロといわれているが、このブラントンこそが、スイング時代の単調な4ビートを刻むベースを、メロディー楽器としてのベースへ進化させた先駆者だ。その力強さと合わせて、モダンジャズのベースの始祖とも言われているのもそのプレーを聴くと納得できる。

そのブラントンはラファロと同様に若くしてこの世を去っている。ブラントン23歳、ラファロ25歳、そしてジャコも35歳と天才ベーシストは皆早死にだ。
という訳で、ブラントンのプレーはエリントンと一緒の演奏しか残されていないが、その中にはDuoの演奏もある。1940年の録音だがモダンな演奏だ。



その演奏から30年以上経って、エリントンはこのブラントンとのデュオを思い浮かべるアルバムを作った。パートナーに選んだのはレイブラウン。ブラントンとのDuoの演奏を再現するには適役だ。

レイブラウンは最初ピアノを弾いていた。家の近くのバーあるジュークボックスに店の外から耳を傾けることが多かったが、そこでかかるデュークエリントンの「スイングが無ければ意味が無い」の最後のベースの2音を聴くのが楽しみであった。それでベースに魅せられベースを弾くようになったという。この時のレコードのベースがブラントンだったそうだ。とすると、このレコードが、レイブラウンがベーシストになったきっかけであり、恩人はエリントンでありブラントンという訳になる。

ブラントンが早く世を去り、ブラウン自身もガレスピーやピーターソンなどと忙しく演奏をするようになりブラントンを次第に意識する事も無くなっていった。ノーマングランツからこのアルバムへの参加を打診された時、きっとブラウンにとっては初恋の人との再会のような気分であっただろう。

このようなアルバムの企画はブラントンの演奏のカバーになりそうだが、ここでは1曲だけPitter Panther Patterが再演されている。A面の他の曲はお馴染みのエリントンナンバーが中心、そしてB面はブラントンに捧げた組曲風のエリントンとブラウンのオリジナルだ。
レイブラウンのベースもけっしてブラントンのプレーを真似るのではなく、ブラウンの本来の演奏をストレートにぶつけている。ブラントンの切り開いたプレーをさらにここまで進化させたとアピールしたかったのかもしれない。



このアルバムは最初のエリントンのピアノとブラウンのベースを聴いたとたんに、何かが違うと感じる。2人のプレーの気迫を感じるのもあるが、重厚なサウンドは録音のクオリティーも良いからだろう、実にいい音だ。これもこのアルバムの魅力だ。

エリントンが亡くなったのは、このアルバムを残してから半年後。ピアノプレーの遺作ともいえるアルバムだ。

1. Do Nothin' Till You Hear from Me    Duke Ellington / Bob Russell 5:36
2. Pitter Panther Patter                 Duke Ellington3:06
3. Things Ain't What They Used to Be Mercer   Ellington / Ted Persons 4:00
4. Sophisticated Lady    Duke Ellington / Irving Mills / Mitchell Parish 5:30
5. See See Rider                      Traditional 3:07
6. Fragmented Suite for Piano and Bass: 1st Movement Ray Brown / Duke Ellington 4:51
7. Fragmented Suite for Piano and Bass: 2nd Movement Ray Brown / Duke Ellington 5:11
8. Fragmented Suite for Piano and Bass: 3rd Movement Ray Brown / Duke Ellington 3:40
9. Fragmented Suite for Piano and Bass: 4th Movement Ray Brown / Duke Ellington 4:58

Duke Ellington (p)
Ray Brown (b)

Produced by Noman Granz
Recorded at United Recording, Las Vegas, Nevada on December 5 1973

This One's for Blanton
クリエーター情報なし
Ojc
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幼馴染でも一緒にレコーディングしたのは・・・

2015-08-29 | MY FAVORITE ALBUM


Art'n Zoot / Art Pepper & Zoot Sims

1925年9月1日生まれのアートペッパー、そして同年10月29日生まれのズートシムスは同い年。出身地もペッパーはGardena、シムスはInglewood,とロスアンジェルス郊外の隣町同士の幼馴染、若い頃はよく一緒に演奏をしたそうだ。

ペッパーはスタケントンオーケストラで活躍しソリストとして頭角を現す。シムスもベニーグッドマンのオーケストラでプロ生活を始め、ウディーハーマンのフォーブラザースバンドに参加し有名になったが、それを足掛かりにその後多くのバンドを渡り歩く。

華々しくデビューした二人だが、その後のアートペッパーは長い療養生活をおくることに。実際に演奏活動した期間は限られる。
一方のズートシムスはニューヨークに移り、ジェリーマリガンのコンサートジャズバンドに参加し、アル&ズートのコンビでも活躍した。スタジオワークも多く、多くのアルバムのクレジットで彼の名前を見かけ、亡くなるまで多方面で忙しく活躍した。

スタートは同じであっても、2人のそれぞれが歩んだ道は異なった。そのため、幼馴染の2人が共演したアルバムを聴きたいと思っても、その演奏は見当たらない。
デトロイトやフィラデルフィア出身のミュージシャンは、ニューヨークに出て有名になってからも無名時代一緒に演奏をした仲間達とよく一緒にプレーをし、アルバムも残した。
しかし、ロス出身のミュージシャンはその数も多く、ジャズだけでなく活動する領域も広かったせいか、2人に限らず同郷といってもあまり仲間意識が強かったようには思えない。

ズートシムスは活動拠点をニューヨークに移し、以前にも増して多方面で活躍した。一方のアートペッパーは西海岸に留まったが、活動自体が断続的となった。このような2人が共演する機会を作るのも難しかったのだろう。

70年代の後半、そして80年代にかけてジャズコンサートが全盛を極めた。当時、ジャズフェスティバルが各地で数多く行われ、スタープレーヤー達の夢の共演もよく再現された。しかし、それらの場でもこの2人の競演が実現されることはなかった。

その様な中、ラジオ放送用の公開ライブもよく行われたが、National Public Radioという公共放送にJazz Aliveという番組があった。案内役のティムオーエンスは順次メンバーを入れ替えながら全国を回ってその演奏を電波に乗せた。

1981年ロスでその公開収録が行われたが、9時間に及ぶスペシャルプログラムが組まれた。ジェラルドウィルソンのオーケストラやハロルドランド&ボビーハッチャーソンのグループなど地元のミュージシャン中心に出演したが、そこでズートシムスのオールスターバンドにアートペッパーも加わり、念願の競演が実現した。

この公演は予算も多く、その模様はマルチトラックでの録音も行われ後にアルバムとしてもリリースされた。そのお蔭で、ズートシムスとアートペッパーの共演がアルバムとして初めて世に出ることになった。

CDへの収録は編集され曲順が実際のステージとは異なり、全貌が収められている訳ではない。実際のプログラムの順序は、ズートシムスのカルテット、そしてバニーケッセルが加わったクインテットの演奏が先行し、そこにアートペッパーが加わって2曲演奏した。
その後、CDには収められていないが、ピアノのビクターフェルドマンのソロを挟んで、今度はアートペッパーがチャーリーヘイデンを伴って再びステージに登場し、オーバーザレインボーを演奏、リズム隊が残ってボビーハッチャーソン達が登場する構成であったようだ。

したがって、実際に2人の共演とはいっても2曲だけのものではあったが・・・・。

先行したズートシムスの演奏は実に快調。バニーケッセルが加わったイパネマの娘も実にアグレッシブな演奏だ。その勢いでアートペッパーとの共演に臨むが、2人の熱い演奏が見事に残されている。シムスが盛り上げたステージに、真打ペッパーが登場という形だ。

このような形で2曲だけではあったが、幼馴染の2人の演奏が後世に残された意義は大きい。この時2人は56歳。翌年6月にはペッパーは世を去り、それを追うようにシムスも85年には亡くなってしまう。最初にして最後の共演アルバムとなった。

1. Wee (Allen's Alley)               Denzil Best 7:39
2. Over the Rainbow    Harold Arlen / E.Y. "Yip" Harburg 10:28
3. In the Middle of a Kiss             Sam Coslow 8:51
4. Broadway   Lew Brown / Buddy DeSylva / Ray Henderson 6:29
5. The Girl from Ipanema  N. Gimbel / Antonio Carlos Jobim 10:31
6. Breakdown Blues          Art Pepper / Zoot Sims 10:01

Zoot Sims (ts) #1,3,4,5,6
Art Pepper (as) #1,2,6
Victor Feldman (p)
Barney Kessel (b) #4,5
Ray Brown (b)
Charlie Haden (b) #2
Billy Higgins (ds)

Produced by Tim Owens
Recording engineer : Paul Blakemore
Recorded live at Royce Hall,University of California, Los Angels on September 27 1981

Art 'N' Zoot
クリエーター情報なし
Pablo
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2人の再会に偶然集まったメンバーは・・・

2015-07-26 | MY FAVORITE ALBUM
Together Again ! / Teddy Edwards & Howard McGhee

ジャズのミュージシャンというのは、常に自分のグループで演奏をしている訳ではない。他のグループに加わったり、レコーディングがあったり、ジャズとは関係のないスタジオワークがあったり。時にはたまたま集まったメンバーでのジャムセッションもある。スケジュール調整は至難の業だと思う。ひとつでも予定が変更になると他の予定の調整も大変そうだ。それも広いアメリカでは尚更。

しかし、偶然が重なんと思わぬメンバーの組み合わせのセッションが生まれることもある。

テナー奏者のテディーエドワーズは、ロスを拠点として活動していた。バップ時代から活躍していたが、旅の多い生活を嫌いロスに定住したという。スタジオでの仕事も多くなったが、ジャズの演奏も忘れなかったようだ。
いわゆるウェストコースト派の演奏とは違って、よくスイングする味のあるテナーだ。そのエドワーズは、ウェストコーストジャズのブームが一段落した後、コンテンポラリーレーベルにリーダーアルバムを残すようになる。

そのテディーエドワーズは、デビュー直後の1945年から47年にかけてはトランペットのハワードマギーのグループに加わって演奏していた。このグループは最初活動のベースは西海岸であったようだ。しかし、マギーがロスを去る時、テディーはそのままロスに残り、自然にグループを離れる事になった。

ハワードマギーは、その後麻薬で演奏活動を何度か中断することになるが、1960年になって、ダスティーブルーというアルバムで再び復帰を果たした。若い頃デトロイトでも活動していたマギーの復帰作には、トミーフラナガンやペッパーアダムスも参加しマギーの復帰を支えた。持つべきものは昔の仲間である。

そのマギーが、ジャイムスムーディーのグループに加わって、翌年5月にロスにやってきた。旧友のテディーエドワーズと久々の再会を果たす。久々の再会セッションを段取りしたのは、地元ロスのコンテンポラリーレーベルのオーナーレスターケーニッヒであった。
ウェストコーストジャズのブームが去ったこの頃コンテンポラリーレーベルはそれほど多くのアルバムを出していない。反対に、オーナーがこれはと思うアルバムだけを作っていたように思う。

ピアノには、ちょうどその時ロスに居たフィニアスニューボーンを起用した。というのも、今回の主役でもあるエドワーズが一週間クラブ出演するのに、このニューボーンをメンバーに起用していた。話題の新人の起用は大金星だった。

さらに都合がいいことに、丁度その時オスカーピーターソントリオがロスに2週間滞在していた。その時のピーターソントリオのベースはレイブラウン、ドラムはエドシグペンの黄金のトリオであった。

レイブラウンとテディーエドワーズは旧知の仲、音楽だけでなくロスにブラウンが来た時はいつもゴルフを一緒にする親友同士でもあった。またレイブラウンはピーターソンのトリオがオフの時は、コンテンポラリーのアルバムには何度か登場する勝手を知った常連であった。

このような経緯で偶然ロスに集まった5人でセッションが行われたのは、5月15日と17日の両日。ケーニッヒの拠点であったコンテンポラリースタジオであった。

仲良く、マギー、エドワーズ、ブラウンのオリジナル曲が一曲ずつ、それにパーカーの曲にスタンダード曲が2曲でアルバムが作られた。

アルバムタイトルのように、基本はマギーとエドワーズの15年ぶりの再会セッションだが、それを支えるバックの演奏が素晴らしい。普段ピーターソンと一緒に演奏しているブラウンもニューボーンジュニアのピアノには手応えを感じたであろう。後に、レイブラウンはニューボーンの復帰の時のレコーディングにも参加することになる

1961年というと世間はファンキーなジャズが主流になりつつあった時代。東海岸の喧騒とは別に、5人のいぶし銀のようなプレーがかえって輝いて聴こえる、いいセッションだと思う。

1. Together Again                Teddy Edwards 9:40
2. You Stepped Out Of A Dream  Nacio Herb Brown / Gus Kahn 7:19
3. Up There                   Ray Brown 3:27
4. Perhaps                  Charlie Parker 5:12
5. Misty           Johnny Burke / Erroll Garner 4:19
6. Sandy                    Howard McGhee 9:50

Howard McGhee (tp)
Teddy Edwards (ts)
Phineas Newborn Jr. (p)
Ray Brown (b)
Ed Thigpen (ds)

Produced by Lester Koenig
Recording Engineer : Roy DuNann
Recorded at Contemporary Records' Studio, Hollywood, CA, May 15 & 17, 1961

Together Again!
クリエーター情報なし
American Jazz Class
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レスターケーニッヒが復帰を支えたもう一人の大物は・・・

2015-04-29 | MY FAVORITE ALBUM
Please Send Me Someone To Love / Phineas Newborn Jr.

誰でも一生の間、一度や二度は何らかの苦境に立つことがある。その時、頼りになる友がいるといないではその後の人生が大きく変る。

1968年アートペッパーが、長い療養の後、やっとバディーリッチのオーケストラに加わって復帰の第一歩を踏み出した矢先、胸の痛みで病院に担ぎ込まれた。その時、ペッパーがすぐに呼んだ名前はその後結婚するローリーと、コンテンポラリーレコードのオーナー、レスターケーニッヒであったという。

その時、直ちに手術が必要という状況であったが、保険に加入できず、手持ちのお金も無くすぐに手術を受けられなかったペッパーを救ったのはバディーリッチであった。
これで一命をとりとめたペッパーはその後無事心身ともに回復し、ケーニッヒの元で復帰アルバムを作ることになる。もしこの時に、誰か一人が欠けてもその後のペッパーの人生は大きく変ったかもしれない。

今の時代、すべてがお金優先になってしまった。物でも人でも使い物にならなくなるとすぐに捨てられる運命にある。昨今の業界事情には詳しくないが、金儲けを度外視してミュージシャンと信頼関係を築けているプロデューサーが果たして何人いるであろうか?特に、落ちぶれたミュージシャンをもう一度再起させる面倒を見続けられる人間が。ケーニッヒを始めとして、この時代のプロデューサーは、ジャズが好きで、ミュージシャンに惚れ込んでアルバム作りをしたプロデューサーが何人もいたように思う。

アートペッパーの復帰を支えたレスターケーニッヒは、もう一人大事なミュージシャンの復帰に手を貸している。自らのレーベルでもアルバムを出したピアノのフィニアスニューボーンJr.である。

ニューボーンは良く知られているように精神的な障害でプレーができなくなったという。天才肌で、テクニックも、表現力も、どれをとっても同時代のピアノの名手達と較べてもけっして引けを取らない。
他の多くのピアニストがバドパウエルの影響を受け右手中心のプレーをしたなかで、一人左手も重視するスタイルを引き継いでいた。だからといって、オールドスタイルをそのままという訳ではない。
本来であれば、ワンアンドオンリーのスタイルでもっと人気が出ても良かったはずだが、あまり脚光を浴びることはなかった。天才肌の人間というのは、どんな分野でもその時代には評価されず、後になって再評価されることが多いが、ニューボーンもそんな一人であったのだろう。

ダイナミックなプレーを聴くと、オスカーピーターソンのような堂々とした体格、そして風格を持ち合わせている印象を受けるが、実際には小柄な目立たたない風貌だったようだ。きっと性格的にも気が小さいタイプであったのだろう。そして、極端に潔癖症であったという。才能があるが故に評価されないということを、些細な事を気にして精神的に大きなプレッシャーを受けていたのかもしれない。

60年代に入って精神障害で療養を強いられる。地元に戻り半ば引退状態であったニューボーンに再びアルバム作りの場を用意したのがレスターケーニッヒであった。
1969年2月、久々にスタジオにメンバーの面々が集まった。ベースにはレイブラウン。そして、ドラムにはエルビンジョーンズ。
いつものエンジニア、ロイデュナンは都合がつかず、録音はケーニッヒ自身がやったそうだ。

特段何の打ち合わせも無く、ニューボーンのペースで録音は進んだという。大部分の曲は録り直しも無くtake1で終了、自然発生的な演奏であった。それができたのも、レイブラウンとエルビンを選んだケーニッヒの眼力と、それに応えた2人の力量のお蔭だ。2日間に渡った録音はアルバム2枚分になった。その中からとりあえずこのアルバムPlease Send Me Someone to Loveが発売され、残りの曲は後にHarlem Bluesで世に出た。

この録音の殆どがtake1で終えたという事は、あまり細かい事にはとらわれず、ニューボーンのピアノを中心に皆で思いの丈を出し合った演奏ということになる。どちらのアルバムがいいとか、どの曲がいいかは、あくまでも聴き手の主観でいいだろう。それよりこの2枚は2日間にわたるニューボーン復活のドキュメンタリーと考えるべきアルバムだと思う。何といっても、このアルバムの前後10年近くの間には他の演奏を聴く事はできないのだから。

その後もニューボーンの体調は一進一退を繰り返す。最後まで、ニューボーンを見守り、機会があるごとに演奏を再開することを促し、アドバイスしたのは、このセッションに参加したレイブラウンであった。そして5年近く経ってからのレコーディングにも付き合っている。ニューボーンが病気に苦しみながらも何度か復帰を試みられたのはレイブラウンのお蔭ということになる。

レイブラウンはピーターソンの元を離れてからは西海岸を拠点として、数多くのセッションやレコーディングに参加し、誰とでもオールマイティーな活躍をしてきた。引手数多で楽しくプレーをすることには何の不自由もなかった自分と、いつもきっかけを掴めず、せっかく掴んだきっかけをものにできずにいたニューボーンを比較すると、彼の事がいつも気に掛かっていたのだろう。

同じ天才でも2人の辿った道は大きく異なった。

1. Please Send Me Someone to Love         Percy Mayfield 5:05
2. Rough Ridin'   Ella Fitzgerald / Elvin Jones / William Tennyson 4:09
3. Come Sunday                Duke Ellington 4:52
4. Brentwood Blues            Phineas Newborn, Jr. 8:01
5. He's a Real Gone Guy             Nellie Lutcher 4:39
6. Black Coffee        Sonny Burke / Paul Francis Webster 7:03
7. Little Niles                  Randy Weston 4:20
8. Stay on It           Tadd Dameron / Dizzy Gillespie 5:05

Phineas Newborn, Jr. (p)
Ray Brown (b)
Elvin Jones (ds)

Produced & Recorded by Lester Koenig
Recorded at Contemporary Studio in Los Angeles on February 12, 13 1969

Please Send Me Someone to Love
クリエーター情報なし
Ojc
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ジャズから離れたクインシーの中で、唯一光るのはロソリーノのソロだけ…

2015-03-17 | MY FAVORITE ALBUM
Body Heat / Quicy Jones

季節の変わり目は体調を崩しやすい。鼻がぐずつきだし、喉がいがらっぽくなり、目がもぞもぞしてきたので、いよいよ花粉症の本番到来かとかと思ったら、想定外の発熱。週末は予定していたゴルフも止む無く取り止め、普段であれば滅多な事ではキャンセルしないのだが。結局3日間も床に臥せることとなってしまった。

時間はできても、体調が悪いと何もする気が起きない。ジャズを聴くのもBGMとしてはいいが、とてもじっくり聴くにならない。溜まっていた本を読むのも億劫。つまらないテレビを見る気にもならないが、海外ドラマの録画だけは一気に片付いた。

一番よかったのは、最近youtubeに沢山あがっている色々な講演や放送コンテンツを聴く事であった。寝ながら聴けるし、途中で寝てしまうことも多かったが、気になればまた聴き直せばいいし、これは今後病みつきになるかもしれない。歳をとるとラジオを友にする人が多いと聴くが、確かにそうかもしれない。

さて、大分体調も戻ったので、ボチボチ復帰することとしたものの・・・。中断していたものを復活するにはきっかけが大事。さて何から?
先日、スーパーサックスのTokyo Liveのアルバムを紹介したが、その辺りから続きを。

そのアルバムにゲストとして参加していたフランクロソリーノ。トロンボーンファンの中には熱烈なファンの方も多くいらっしゃるようだが、自分は何となくという事になる。知らず知らずの内にアルバムが増える、J.J.ジョンソンよりロソリーノの参加しているアルバムの方が、遥かに数が多いというパターンだ。しかし結果的にファンであることは間違いない。

このスーパーサックスが来日したのは、1975年1月。この辺りは自分が社会人になって直ぐで記憶が鮮明な頃だ。ロソリーノだが、その直後の4月には今度はクインシージョーンズのオーケストラで来日している。社会人になり金銭的も余裕ができていたし、クインシーが好きな自分にとっては、迷わずコンサートに駆けつけるはずなのだが、このライブは躊躇してパスした。というのも、この時クインシーの新しいアルバムとして流行っていたアルバムがこのBody Heatであった。どうもこのアルバムを好きになれないでいた。今思えば、「ビッグバンドが無くなったじゃない」ということだったと思う。

もう一昨年になってしまうが、クインシージョーンズ御一行様の大コンサートが東京フォーラムで開かれた。1部、2部に分かれていたが、内容はもっと多彩に分かれていて、クインーの歴史のような構成7時に始まり。終ったのは11時過ぎ、4時間を超える長丁場のステージであった。クインシーのこれまでの偉業を知る今聴けば、大プロデューサークインシーのすべてを聴く事ができ、楽しく、また有意義なものではあった。もちろん、お目当てはクインシービッグバンドで行ったのだが、それはエアメイルスペシャルから数曲であったが、それは仕方がないと諦めもついた。

クインシーは色々な賞を数多く受賞しているが、グラミー賞でJazzと名がつく賞をとっているのは、1969年のWalking in SpaceでのBest Large Jazz Ensemble Performance、1993年のMiles & Quincy Live at Montreuxでの、Best Large Jazz Ensemble Performanceくらいだ。

今思えば、このBody Heatをジャズと思って聴いていたのがそもそも間違いであったのだが。

しかし、このボディーヒートのアルバムの中で、好きな曲が2曲あった。
ひとつは、Everything Must Change。ジャズアルバムかどうかは別にして、この歌自体は気に入った。
しかし、それ以上にいいと感じたのは、後半に出ているフランクロソリーノのソロ。これはジャンルを超えて絶品だと思った。
すべては変わらなければ駄目だと歌い上げているのに、いつも通りのロソリーノが「俺は何も変える気はないよ」と諭しているように思えてならない。



そして、ベニーゴルソンのAlong Came Betty。これはボーカル無しで、ヒューバートロウズのフルートを一応フィーチャーしているが、ロソリーノのそれとは違う。これは、あくまでもThe Birth of a Bandの頃のアレンジとの違いを楽しむ曲だろう。自分はやはり60年代のアレンジの方が好きだが。



昔のアレンジはこちらで、


当時のスイングジャーナルを繰ってみた。歌手の後藤芳子のコラムがあった。彼女は同行したレイブラウンの知己であり、羽田に迎えに行った彼女が、ブラウンがベースを持ってこなかったことにビックリしたが、コンサートを聴いて納得とある。そして、コンサート評自体もロソリーノやサヒブシハブがもっとクローズアップされていればといった論調であった。



いつも、細かく書いているパーソネルは省略する。というのも数が多すぎるので。
特に、キーボード、ギター、そしてパーカションは当代の名手が勢揃いしている豪華版で曲によってそれぞれの音作りの技を競っている。それも聴き所なのかもしれない。そんな時代でもあった。

そうそう、5月の連休中は、新宿Somedayは毎年ビッグバンドウィーク。今年もスケジュールが発表されているが、

5月5日に小林正弘率いるOne Night Jazz Orchestraが、 Quincy Jones Night ! で出演する。
昨年、クインシージョーンズのコンサートでオーケストラを務めた面々だ。昨年も、舞台で披露できなかった他の多くの曲を披露してくれたが、今回も同じプログラムであろう。
クインシージョーンズのビッグバンドファンで、昨年のコンサートが消化不良であった方々にはお勧めのライブだ。

1. Body Heat  Bruce Fisher / Quincy Jones / Stan Richardson / Leon Ware 3:58
2. Soul Saga (Song of the Buffalo Soldier)           Quincy Jones 4:58
3. Everything Must Change              Benard Ighner 6:01
4. Boogie Joe, the Grinder  Tom Babler / Dave Grusin / Quincy Jones 3:09
5. One Track Mind                  Quincy Jones1:01
6. Just a Man                    Quincy Jones 6:14
7. Along Came Betty                 Benny Golson 3:31
8. If I Ever Lose This Heaven           Pam Sawyer / Leon Ware 4:47

Produced by Quincy Jones & Ray Brown
Frank Rosolino (tb)

Body Heat
Quincy Jones
A&M
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レーベルの立上げに選ばれたのは、町の名士のビッグバンド。というのも・・・

2015-03-14 | MY FAVORITE ALBUM
Debut / Full Faith & Credit Big Band

ペッパーアダムスのアルバムを紹介している中で、Urban Dreamというアルバムが、当初はPalo Altoレーベルから出たことを書いた
パロアルトというと、サンフランシスコの少し南、いわゆるシリコンバレーの入り口。いわゆるベイエリアといわれる辺りで、西海岸といっても、ロスやハリウッドとは違う一体だ。自分が好きで良く採り上げるコンコルド市はサンフランシスコ湾を挟んで反対側になる。
いずれにしても、ニューヨークともロスとも違う雰囲気の場所だ。パロアルトレーベルはこのパロアルト市に1981年にできた。いわゆる音楽監督には、評論家&プロデューサーであり、DJもやっていたHerb Wongが全面的に監修に加わった。

これも紹介したアルバムで、コーラスグループレアシルクのAmerican Eyesがラストアルバムとなる。3年近くの活動期間で80枚を超えるアルバムを出しているので、中には面白いアルバムもあるのだが・・・。

では、このレーベルのファーストアルバムはというと、このアルバムになる。ビッグバンド物であり、そのバンド自体が地元以外では全く無名なので、初アルバムにしてはインパクトが無い。
自分もこのアルバムをどうして持っているかもよく覚えていないが、たまたま珍しいビッグバンドアルバムという事で中古アルバムを纏めて購入した時に手に入れたのだろう。

という訳で、今回聴き直すのは初物を聴くような感じであった。
メンバーを見渡しても全く知らない、曲もオリジナルが多くスタンダードは数曲。とにかく聴くしかないというで、聴き始めると一曲目はベイシー、昔のハーマン風のスイングする曲。途中のフレーズは、サドメルのグルーブマーチャントをパクったのではないかというほど似た感じだ。しかし、サドメルのようなサックスのソリがある訳でもなく、ソロを無難に廻して終わる。

ジャケットをざっと眺めるとコンマス的な役割で、レイブラウンという名前がよく出てくるので、もしやと思ったが、これはベースのレイブラウンではなく、同姓同名のトランペッター。このアルバムではアレンジも提供しているが、ソロでもフィーチャーされている。70年代の前半はスタンケントンオーケストラに参加していたようだ。50年代は西海岸で活躍したほとんどのミュージシャンが、ケントンかハーマンの卒業生だったが、時代が変り、この時代になっても、ケントンのオーケストラの役割は変わっていなかったことを再認識。

コンベンショナルなバンドかと思ったが、2曲目になると8ビートに、次はスローな曲だが雰囲気はメイナードファーガソンのバンドの感じ。ただし、あの迫力とドライブ感はないので、そんなもんかで終わる。

80年代の最初というと、ニューヨークではサドジョーンが抜けた後、メルルイスオーケストラが頑張っていた。日本では高橋達也を始めとしてどのバンドも絶好調。それらのバンドと較べると色々やりたいのは分かるが、今一つ特徴がないバンドだ。

B面に移ると最初の組曲は、メイナードファーガソンのオーケストラでアレンジを担当していた故Willie Maidonに捧げた組曲。アレンジに力を入れたのだろうが、まずまずの出来。スタンダード曲のThe Song Is Youは、キャノンボールアダレイをイメージし、ソリストにPaul Robertsonが加わるが、その迫力はアダレイには及ばない。

という訳で、多分地元で活動していたビッグバンドのデビューアルバムであった。設立は1975年としばらく前から活動していたようだが、最初はやはりメイナードファーガソンのレパートリーを演奏してようだ。
そして、このバンドのもう一つの特徴は良く読むと、フルタイムのプロのミュージシャンが中心だが、地元の金融ファンドのエグゼクティブが3人がキーマンとして加わっていること。
Jim Berhamはレーベルのオーナー、Dent Handがプロデューサー、そしてPaul Robertsonがソリストとして。

演奏自体を採点すれば3つ星だが、小さな田舎町でも、このようなレーベル(アルバム)が地元の経営者の支援で立ち上げることができることには感服する。それを知ると、この3人の努力に敬意を払って、もう一つ星プラスしてもいいかも。
改めてジャケットを見渡したが、知っている名前は、コンコルドでお馴染みのレコーディングエンジニアのPhil Edwardsだけであった。


1. Neverbird             Ray Brown 6:06
2. Fast Buck’s           Paul Potyen 4:51
3. She’s Gone          Chuck Mangione 6:19
4. Mi Burrto             Ray Brown 4:11
5. My Man willie          Ray Brown 11:05
 1) Staraight Ahead Bebop
 2) The Epiyome of the Ballad
 3) In Orbit
6. The Song Is You         Jerome Kern 3:21
7. Procrastination City       Ray Brown 4;04


Full Faith & CreditBig Band

Steve Keller (as)
Dave Peterson (as)
Matt Schon (ts)
Chuck Wasekanes (ts)
Dennis Donovan (bs)
John Russel (tb)
Mike Birch (tb)
Joek Karp (tb)
Paul Williams (btb)
Dick Leland (btb)
Smith Donson (p)
Paul Polyen (p)
Sward McCain (b,eb)
Ed MacCary (ds)
Steve Brown (g)
Dave Esheiman (Baritone Horn)
Billy Robinson (tuba)
Ray Brown (flh)
Jim Benham (flh)
Paul Robertson (as)

Produced by Dent Hand
Recording Engineer : Phil Edwards
Recorded at Music Annex Mario Park CA


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自分でエアチェックした物は、アルバムとはまた違った楽しみがあるような・・

2015-02-05 | MY FAVORITE ALBUM
Aurex Jazz Festival '81 / All Star Jam Session

一時お蔵入りしていた自宅のアナログのレコードが再びターンテーブルに乗って10年近く経つ。当時は仕事とゴルフに熱中していたが、歳をとったら好きだったジャズをもう一度聴き直したいと思ったのがきっかけだ。

ちょうどその頃このブログを開設した。最初は、ゴルフの記録を残すことが主な目的であったが、このブログのタイトルでもあるウェスモンゴメリーのアルバムを取り上げたのを機にジャズのアルバム紹介もするようになった。

三日坊主にならないように、それをきっかけにレコードの棚卸も始めた。昔聴きこんだアルバム、一回聴いてお蔵入りしたものまで、今聴き返すとそれなりに新たな印象が生まれる。レコードを棚卸すれば、当然CDも。一時、新たにアルバムを買う事も無くなっていたが、聴き始めるとまた新たなアルバムが欲しくなる。新しいアルバムというよりは、古いアルバムを聴いて気になったものがまた増えてくる。昔は、欲しいアルバムを探すのも楽しみであったが、今ではネットで簡単に探せる。簡単に買えるようになったのが、いいのか悪いのか、店に足を運んで探す楽しみは無くなった。

お蔭で、棚卸は遅々として進まないが、最近は、ゴルフの記事よりももっぱらジャズアルバムの記事になっている。別にゴルフを辞めた訳ではないが、プレーへの執着心が無くなると、書く事も無くなる。
最近はアルバムそのものの紹介よりも、アルバムにまつわる話が多くなっている。これも、棚卸をやっている中で、好きなサドメル(ビッグバンド)、ペッパーアダムス、そしてConcordに関しては、せっかくなので少し突っ込んで調べてみたいと思う、ファンの心理からだろう。

段ボールに詰まったままであった古いスイングジャーナルも再び書棚に陽の目を見た。良く読んだ記憶のものもあれば、全く記憶にないものもある。確かに、仕事が忙しかった時期は読む暇もなく、定期購読して毎号届くものの、ただ積んでおいたものも多かった。

昨年は、ベーターのデッキを復活させた。これで段ボールに詰めてあったβのテープが陽の目を見た。30年以上前の懐かしい映像に見入ってしまうことも。

そこに、また一つ最近復活させたものがある。カセットテープである。当時エアチェックをしたものがこれも一山ある。元々整理ができない質なので、タイトルはあってもインデックスが記されていない物が大半。中身は聴いてみてのお楽しみということだ。

もうひとつ物置にオープンテープが一山あるが、これもいつかは手を付けなければと思うが、これはいつになることやら。

こんな生活ができるようになったのも、最近は仕事を減らして比較的自由な時間がとれるようになったのもひとつの要因だ。
程ほどにしようとは思うが、元々凝り性。次の楽しみが見つかるまではしばらくは続きそうだ。



さて復活したカセットで最初に聴いたのは、この81年のオーレックスのオールスターズの演奏のエアチェック。レコードではカットされている、ゲッツとブルックマイヤーのそれぞれのソロが異色だ。アルバムではゲッツはミルトジャクソンとのイマネマと、ブルックマイヤーはマリガンとバニーズチューンの再演となるが、それぞれのソロは懐メロではなく全く違う雰囲気の演奏だ。

というのも、この81年というと、ゲッツはサンフランシスコに居を移しConcordで復活する時。そしてブルックマイヤーも古巣のメルルイスオーケストラでも本気モードを出していた頃だ。
此の頃は、ジャズフェスティバルも全盛期、世界中で色々なコンサートが開かれていた。今聴き返してみると、お祭りは別の場として割り切り、皆、本業では真剣モードだった気がする。このようなお祭りでは、自分のソロの時だけは、今の自分のせめてものアピールの場だったのかもしれない。

コンサートのプログラム作りも、一般受けを狙って(それはそれで楽しいものだが)出演者の普段の演奏とは違う物であったことが良く分かる。

ということで、表題のアルバムはこの時のライブアルバムだが、今回は自分のカセットのエアチェックで聴いてみた。曲が違い、順番が違うだけでもアルバムとはまた違った印象を受けるものだ。

1. Crisis
2. Bernie's Tune
3. Song For Strayhorn
4. What Am I Here For
5. Take The 'A' Train - Caravan - Things Ain't What They Used To Be
6. A Night In Tunisia
7. Time For The Dancers
8. The Girl From Ipanema
9. Bag's Groove

Freddie Hubbard (tp)
Stan Getz (ts)
Bob Brookmeyer (vtb)
Gerry Mulligan (bs)
Milt Jackson (vib)
Roland Hanna (p)
Ray Brown (b)
Art Blakey (ds)

Engineer : Yoshihisa Watanabe, Yutaka Tomioka
Executive-Producer : Nobuo Ohtani
Producer : Yoichiro Kikuchi

Live recorded at Budokan, Tokyo on September 3, 1981
Live recorded at Osaka Festival Hall, Osaka on September 2, 1981
live recorded at Yokohama Stadium, Yokohama on September 6, 1981
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久々に、ストレートなジャズの演奏をトランペットとボーカルで・・・

2015-02-02 | CONCORD
Stand By For The Jack Sheldon Quartet

昔、スイングジャーナルの読者人気投票のランキングを見ると、ギターに植木等、トロンボーンに谷啓といった名前が並んでいた。コメディアンとして有名になったクレージーキャッツの面々であるが、以前はジャズを演奏していたミュージシャン達であった。コミックバンドを経て、それぞれの道へ進んだが、谷啓は、最後までテレビ番組でもトロンボーンのプレーを披露していた。

ジャックシェルドン、元々は‘50年代西海岸で活躍していたトランぺッター。50年代のウェストコーストで作られたアルバムには、コンボでもオーケストラでも彼の名前は数多く見かける

しかし、60年代に入ると、テレビや映画に俳優、コメディアンとして登場し、活躍の場はすっかりテレビ中心に変った。テレビに出ている時もトランペットとボーカルを忘れることは無かったが、ストレートのジャズというよりは、ポピュラーな曲を演奏したり、子供番組の主題歌を歌ったり、その活動はジャズからはどんどん離れていった。



しかし、70年代に入ると、再びトランぺッターとしてスタジオワークを中心に活動を再開する。そして、ストレートなジャズの演奏も。ビルベイリーのビッグバンドに参加しコンコルドのアルバムにもシェルドンの名前が見られるようになった。

そんな彼を、カールジェファーソンが放っておくことは無かった。
Concordレーベルは、ベテランの復帰の機会を提供する、ある種のリハビリの場のような存在であった。無理に今風の演奏を強い得ることなく、本人の意向を一番尊重し、ベストなプレーができる環境を常に用意していたので、ミュージシャンにとっては気負うことなく久々のプレーでも気楽に演奏できたかもしれない。

今回もコンコルドのハウストリオとでもいえる、トンプキンス、ブラウン、ジェイクハナがバックを務める。このトリオをバックに、シェルドンに「お好みのトランペットと歌をご自由にどうぞ」といった感じのセッションである。

ジャケットのテレビ画面を模したデザインも、シェルドンのキャリアを知っている人にとっては、意味が良く分かると思う。テレビではプレーヤーとしてよりも、長年Merv Griffin Showのミュージカルディレクターとして有名になってしまったシェルドンだが、今度のプログラムは「いつもお馴染みのシェルドンではなく、ジャックシェルドンカルテットがスタンバイしています」ということだろう。
そして、このカルテットの演奏は、ジェファーソンの思惑どおり、シェルドンのジャズプレーヤーとしての側面を再び全面的にアピールした内容となった。

トランペットを吹くボーカルといえばチェットベイカーが有名だが、タイプは異なってもこのシェルドンも両刀使いだ。このアルバムでも、トランペットとボーカルの曲を交互に配し、楽器も歌もどちらもメインとアピールしたかったのだろう。

基本的にはモダンスイング系のスインギーなトランペットであるが、曲に合わせてプレースタイルは微妙に変えている。バイバイブラックバードのトランペットというとマイルスを思い出してしまうが、ここでもミュートプレーで軽快に(もちろんマイルスのような鋭さはないが)、そしてシャドウオブユアスマイルでは、低音域でストレートなメロディーの美しさを訴える。バラードもスインギーな曲もご機嫌である。

歌の方も、余興で歌うといった感じではなく、最後の曲、The Very Thought of Youでは7分にも及んでじっくり歌い込んでいる。

この録音がきっかけだと思うが、翌月行われたウディーハーマン仕切りのジャムセッションにも参加している

その後も、プレーや歌を継続して行くが、エンターテイナーとしてステージの楽しさも、演奏や歌に加えて人気を博した要因であろう。いずれにしても、才能豊かな人は、何かを極めるにしても他の分野での才能が助けになって大きく育つのは間違いない。
どんなに上手く演奏しても、ただ黙々と演奏するライブが楽しくないのは、そのようなキャラクターが影響するのかもしれない。

その当時のライブの様子↓


1. I Love you
2. Daydream
3. Cherry
4. Don’t Get Around Much Anymore
5. Bye Bye Blackbird
6. I’m Getting Sentimental Over You
7. Shadow of Your Smile
8. Get Out Of Town / Ours
9. Poor Butterfly
10. The Very Thought Of You

Jack Sheldon (tp)
Ross Tompkins (p)
Ray Brown (b)
Jake Hanna (ds)

Produced by Carl Jefferson
Recording Engineer : Phil Edwards

Recorded at Ocean Way Recording, Hollywood, California, March 1983

Originally released on Concord CJ-229
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好きなレーベルの新人は、聴く前から演奏イメージが掴みやすい・・・・

2015-01-26 | CONCORD
Coming Out / Johnny O’Neal

1983年のオーレックスジャズフェスティバルは、ローズマリークルーニー&レスブラウンオーケストラ、そしてバドシャンク&ショーティーロジャースのウェストコーストオールスターズが目玉だった。
そして、お馴染みのジャズメッセンジャーズだが、このメンバーが凄かった。OBのベニーゴルソンとカーティスフラーのベテラン2人に、トランペットはウィントンマルサリスとテレンスブランチャードの新人2人のダブルキャストという豪華編成だった。その時のメンバーの映像があった。ウィントンマルサリスが若い。



実は、この映像にも映っているが、あまり目立っていないピアノがジャズメッセンジャーズの新人のジョニーオニールである。ちょっと見には年齢不詳だが、この当時27歳の若者だ。

見るだけで楽しくなる組み合わせだが、とかくこの手の編成されたグループの演奏はじっくり聴くとそれほどでもないということが良くある。このオーレックスもどうも見掛けのメンバーにこだわりすぎたのか、その割には中身が満足できるものにできなかったのか、この‘83年で終了してしまった。

このオニールの初リーダーアルバムが、Concordから出ている。録音日がクレジットされていないが、この来日よりは前、それほど期間が経ってはいないであろう。

新人のアルバムというのは、どこかで紹介されたのを見たり、聴いてみないとなかなか初物買うには勇気がいるものだ。特に、小遣いが少ない頃はそうだった。
ところが、好きなレーベル、好みのレーベルというのもが決まってくると、そのレーベルの新人はサイドメンに加わることも多く、自然と耳にする機会が増える。特に、自分にとっては此の頃のConcordのアルバムは、何も考えずに黙って購入したものも多い。このアルバムもメッセンジャーズでのプレーを聴いて購入した記憶は無いので、その類だ。

中身が分からないアルバムでも、最初に聴く前にメンバーには大体目を通す。ベースにはレイブラウンの名前が。コンコルドではレイブラウンはお馴染みだが、レイブラウンの名前を見るとどんなレーベルでも安心する。好きなベースというだけでなく、レイブラウンがベースを弾く時のピアノは基本的にスインギーなピアノが多いからだ。そして、ピーターソンライクなピアノをイメージしてしまう。このコンコルドではモンティーアレキサンダーもその一人だ。

この初物のオニールのピアノも、そのイメージ通りの音だった。ここまでイメージ通りというのもかえって気持ちが悪いものだが。

オニールの出身地はデトロイト。ペッパーアダムスの出身地だが、ジャズに限らず色々なジャンルのミュージシャンを多く輩出した土地だ。
最初は教会でゴスペルの伴奏から音楽生活を始める。このアルバムのJoan’s Gospel Bluesを聴くと、その経験に演奏スタイルが根差しているのが良く分かる。
本格的にジャズを始めたのは1976年、19歳の時だった。ジャズクラブにも出るようになり、そこでレイブラウンを知り、ミルトジャクソンのツアーに加わる事になる。そして、82年にはニューヨークに出て、ジャズメッセンジャーズに加わり、このアルバムを作ることに。トントン拍子での出世だ。

ペッパーアダムスがたまたまスタンケントンに加わって世に知られる存在になったように、人生ステップアップするには、チャンスを掴むには最初のきっかけが大事だということだろう。何事もそうであるが、待つだけではだめで行動しなければきっかけは掴めない。

このような経緯で世に出たオニールだが、このアルバムはトリオ演奏でオニールのピアノをタップリ聴くにはピッタリ。全編スインギーなプレーを楽しめる一枚だ。
ドラムのFrank Severinoの名前はすぐに思い出せなかったが、カーメンマクレーのバックを務めていた。その後はクラークテリーのバンドにオニールと一緒に参加していたようだ。

オニールは、その後はそのクラークテリーに可愛がられ、実績を積み重ねて今でも一線で活躍しているようだ。基本は変わらず枯れた演奏になってはいるが。



1. It Could Happen to You
2. If I Should Lose You
3. Devastation Blues
4. They Say It's Wonderful
5. Sometimes I'm Happy
6. Joan's Gospel Blues
7. Just the Way You Are
8. Just Squeeze Me (But Don't Tease Me)

Johnny O’Neal (p)
Ray Brown (b)
Frank Severino (ds)

Produced by Carl Jefferson
Recording Engineer : Phil Edwars
Recorded at Coast Recorders, San Francisco, California
Originally released Concord CJ-228



Coming Out
クリエーター情報なし
Concorde Jazz
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レイブラウンのラストレコーディングが日本人ピアニストの宝物に・・・

2014-12-29 | MY FAVORITE ALBUM

Happy Coat / Shota Osabe Piano Trio


クリスマスが終わり、毎年この時期になると年末の慌ただしさが一気に押し寄せる。最近では仕事に追われることも少なくなったが、今年は何故か積み残しが多く毎日が気忙しい。それを理由に、今年こそは家の大掃除と思っていたが、また積み残しになりそうだ。

合間を縫って「打ちお納め」、「聴き納め」はしっかり行った。
打ち納めは、雲一つない晴天に恵まれ富士の麓で気持ちよく終了。前半は絶好調、後半は大叩き、終わってみればいつものスコア。
体が元気な間は、来年も週一ゴルフは楽しみにしていきたい。高齢者の仲間入りをすると楽しいゴルフが第一だが、たまには昔の集中力でプレーしてみたいものだ。



今年はライブもかなり行ったが、期待外れだったのは少なかった。結構皆充実したライブをやっているということにもなる。来年もライブにも週に一回は行ってみたいものだが、どうしても好きなものになってしまう。場所も、ミュージシャンも少し新規開拓を心掛けてみようと思っている。

聴き収めは、前田憲男さんのライブに先日行ってきた。今話題の神田のTN Swing Jazzのビッグバンドへのゲスト出演であったが、自らのアレンジをバックにピアノのプレーも健在であった。80歳になられたそうだが、猪俣さん同様演奏を始めると元気そのもの。軽妙な語りも健在で、音楽をやる方は皆さん何をやっても生涯現役のようだ。



自分のレコード、CDの棚卸はちっとも捗らないが、これも好きなアルバムを聴き直すと、関連してまた他を聴きたくなってしまうから。結果的に特定ミュージシャンやジャンルに嵌ってしまっているが、これも流れでいつ違うテーマに変るかも?
ペッパーアダムスも色々聴き出すと奥が深い、これはまだまだ続きそうだが、来年も成り行きで続けたいと思っている。

もちろん好みのミュージシャンは他にもいる。フィルウッズレイブラウンなども好きなプレーヤーだが、彼らの場合はあまりにも参加したアルバムが多すぎて、全部聴いてみようなどと言う気にはなれない。反対に、彼らの場合はいいアルバムだなと思って、気が付くと参加していたという事が多い。

このアルバムも、その一枚。
そもそも、このアルバムのリーダーの長部正太なるプレーヤーを知らなかった。というのも、今活動の拠点としているのはアメリカ西海岸。昔は日本で尾崎紀世彦のバックなどもやっていたそうだが。
日本には今でも年に数回訪れて演奏しているようだが、残念ながら今まで聴きに行ったことがない。演奏場所もホテルなどが多いようで、どうも自分が良く行く場所とは違うようだ。次回は是非。

演奏スタイルは、ホテルのラウンジでのプレーが似合う。それに、バックがレイブラウンとハロルドジョーンズということで、よりスイングするプレーになっているのがこのアルバム。
録音も良いので真剣に向き合って聴くのも良し、ハードな演奏に聴き疲れた時、気楽にバックで聴くのも良し。車で聴くのも良し。結果的には自分にとっても、わざわざ棚卸をしなくとも、良く聴くアルバムである。

このアルバムはレイブラウンのラストレコーディングと言われている。録音の機会が多かったレイブラウンなので、その後の作品がでてきたかもしれないが、いずれにしても元気に過ごしていた晩年の亡くなる直前の録音であることは間違いない。

レイブラウンのベースというのは安心感がある。他のミュージシャンは分からなくともレイブラウンが入っているというだけで買い求めたアルバムもある。

このアルバムも、2人の参加が長部の良さを引き出したともいえよう。
アメリカでの2人のどこかでの出会いが、このアルバムを制作することになったが、長部にとっては夢のような録音だったと思う。録音場所も、キャピタルスタジオ、昔の有名ミュージシャンが名盤を多く残した場所だった。
レイブラウンにとっては数ある録音の中の一枚だが、長部にとっては一生の宝物となったアルバムであろう。




1. This Is All I Ask            Gordon Jenkins 4:54
2. Too Marvelous for Words       Richard A. Whiting 3:45
3. Happy Coat                Shota Osabe 5:05
4. I Saw Her Standing There  John Lennon / Paul McCartney 4:10
5. East of the Sun             Brooks Bowman 5:38
6. Young and Foolish             Albert Hague 5:33
7. Cotton Fields                Huddie Ledbetter 3:25
8. Can't Leave Her Again            Ray Brown 4:02
9. In the Still of the Night           Cole Porter 4:05
10. Pretend/Somewhere Along the Way 
             Douglas L./Parmen , Kurt Adams 4:15
11. Moonglow              Hudson ? Delange 4:53
12. Willow Weep for Me            Ann Ronell 5:22
13. Anema E Core               Salve D’esposito 3:28
14. My Foolish Heart              Victor Young 3:23

Shota Osabe (p)
Ray Brown (b)
Harold Jones (ds)

Produced by Jerry Stucker ( Ray Brown Co. Producer)
Engineer : Eric Zobler
Recording at Capital Studio StudioA , Hollywood, Feb 27,28, 2002



Happy Coat
Shota Osabe
CD Baby
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フォーマルでも適度な解放感がないと堅苦しくなりがちだが・・・

2014-09-29 | CONCORD
Exective Suite / The L.A.4

ジャズは色々な起源を持つ音楽がミックスされてニューオリンズで生まれたといわれる。純血種ではなく雑種の強みだろう、時代と共にどんどん進化を遂げ、さらに色々な雑種を作ってハイブリッドな新種を生んできた。
しかし、現在の新種はと聞かれると答えに窮する。
過去にはその時代の本流(流行)となるジャズというものが存在した。それに対して、さらに新しい物や傍流となるものも。
最近の新しいジャズを聴いていないので、新種を知らないのは自分が無知なだけか、果たして進化を止めてしまっているのかは???

ハードバップ全盛期に。モダンジャズカルテットというグループが生まれた。ジョンルイスが音楽監督となってからは、バンドカラーは世の中の本流であるハードバップとは違ったクラシック的な要素が色濃くなった。好き嫌いは別にして、特異な一つのジャンルを創ったのは間違いないが、あまり追従するグループも無かったように思う。

コンコルドレーベルが生まれた時、タイミングを同じくして生まれたグループにThe LA.4というグループがあった。基本はジャズだが、MJQ同様クラシック的な要素も持ち合わせ、更にはラテン的な要素も持ち合わせるといった、まさにハイブリットな新種のグループであった。
グループの性格付けを明確にしたのは、やはりギターのローリンドアルメイダの存在が大きかったと思う。ピアノレスのカルテットに、ギターがリズム楽器として、そしてソロ楽器としても活躍し、それもアコースティックでクラッシクでもボサノバでも自在に弾けるというアルメイダの技がグループサウンドを決めたように思う。このアルメイダとMJQの共演アルバムもあるが、世の中のアランフェスブームの先駆けとなった

さらにアルメイダに纏わりつくベースのレイブラウンとドラムのシェリーマンのリズムコンビネーションが最高だった。3人ともどんなリズムでもこなすと同時に、リズム楽器をメロディアスに操れる名手の集まりであった。グループの立ち上げ時のドラムはチャックフローレスだったというがレコードは残ってない。シェリーマンも短命で、途中でドラムはジェフハミルトンに替わったが、シェリーマンの代役以上の活躍であったのもグループにとっては幸いした。いつのまにかコンコルドに8枚もアルバムを残していた。

聴いた印象がクールなサウンドのリズム隊に対して、唯一の管であるバドシャンクのアルトがクールではなくホットなのがまたいいバランスだ。そして、シャンクのフルートがまた素晴らしい。ルータバキンのフルート同様単なるサックス奏者の持ち替え以上の名手だと思う。

このように各人がソロの名手であるが、グループとしてはきっちりアレンジを施したグループサウンドを作り上げており、LA4は新MJQといっても過言ではないと思う。
バドシャンクはまだボサノバが一般的になる前の50年代にローリンドアルメイダと一緒にグループ作っている。これがこのグループの起源ともいえるので2人にはその時からこのサウンドのイメージができていたのかもしれない。しかし、このグループが解散した後は、二人が一番向かう方向が違ったから皮肉なものだ。アルメイダはギターとのデュオが多くなった、そしてシャンクはよりストレートに熱いアルトに。

結局、このグループが結成されて8年目に作られたこのアルバムが最後のアルバムとなってしまった。エグゼクティブスーツとタイトルされ、いつもより多少選曲や演奏、そしてアレンジにも普段以上の「おめかし」をしたかもしれない。
メンバー達のその後の演奏を聴くと、それぞれが何か開放感を感じる。このLA4での演奏が、たまに集まっての演奏だったら良かったのだが・・・。人気が出てツアーも多くなるとやはり枠組が決まる演奏が続き、ある種の閉塞感を感じてしまうのだろう。兼ね合いが難しいものだ。

普段のジャズのライブではプレーヤーの服装も自由で、ジャズの自由な雰囲気にはそれが似合うことが多い。しかし、多少演奏に規律が必要な場合は服装もきちんとすると演奏も引き締まる。先週もベイシーオーケストラは、日本のベイシーも本家ベイシーもスーツ姿だったが、やはりベイシーサウンドはスーツ姿で聴くとより締まって聴こえるから不思議なものだ。そういえば、MJQはタキシードであった。

TheLA4は、フォーマルなエグゼクティブスーツと言っても写真の様に紺ブレとストライブタイ位が丁度よいかもしれない。しかし、南米生まれ、カルフォルニア育ちというグループだと、きっと適度な解放感が演奏にももっと必要だったかも。
でも、残念ながらこのグループがその後続くことは無かったが、このグループの持つある種の緊張感がこのグループの特徴で良かったと思う。



1. Blues Wellington                      Jeff Hamilton 5:42
2. Amazonia                       Laurindo Almeida 4:38
3. Você e Eu (You and I)   Norman Gimbel / Carlos Lyra / Vinícius de Moraes 4:21
4. Simple Invention                Johann Sebastian Bach 6:27
5. Entr'acte B.Bigard / G. Gershwin / J. Ibert / J. Kander / P. Il'yich Tchaikovsky 6:55
6. My Funny Valentine             Lorenz Hart / Richard Rodgers 7:35
7. Chega de Saudade (No More Blues)  Antonio Carlos Jobim / Vinícius de Moraes 5:41

Bud Shank (as,fl)
Laurindo Almeida (g)
Ray Brown (b)
Jeff Hamilton (ds)

Produced by Carl Jefferson
Engineer : Phil Edwars
Recorded at Coast Recorders, San Francisco, California, June 1982
Originally released on Concord CJ-215 ( 所有盤は東芝EMIの国内盤)

Executive Suite
The L,A,4/td>
Concord Jazz
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